第四 六回 ①
ヂェベ勇名を争いて身を戦陣に虚しくし
ヒィ・チノ朋友を迎えて憂を河畔に解く
ヒスワはオノレン口を堅く守るアケンカム軍を誘い出すため、これを挑発する歌を歌わせた。ショルコウはその意図を看破して、逆にジュレン軍を嘲る歌を作って呼擾虎グルカシュを怒らせた。「鞭を借りて馬を窃む」とはまさにこのこと。
グルカシュは忿りに任せて押し寄せたが、ショルコウの策略は万全、ジュレン軍が道を駆け登ってきたところへ合図一声、しかけておいた巨木を転がす。
悲鳴が交錯し、ジュレン軍は大混乱に陥った。多くの兵が下敷きになり儚くなる。逃れたものはあわてふためいて馬首を廻らす。大将のグルカシュはといえば、あわや圧し潰されるところを間一髪免れて、真っ青になって逃げだす。
「追え!」
ゴオルチュの命が下れば、左右から射手が一斉に矢を放つ。次いで騎馬がどっと繰り出し、ジュレン軍を散々に蹴散らす。
「退け! 退け!」
命じられるまでもなくほうほうの体で逃げ戻る。アケンカム軍は、ショルコウの献言で追撃せずにこれを帰した。
退却したグルカシュは自らの身に縄をかけてヒスワに見えた。
「怒りに逸って兵を失いました。いかようにもご処断ください」
ヒスワは激昂して身を震わせたものの、己に軍事の才がないのを自覚していたのでやむなくこれを恕し、名誉回復の機会を与えることにした。グルカシュは再拝して謝すと、必ずオノレン口を抜くことを誓った。
アケンカムの陣ではゴオルチュがショルコウを激賞し、全軍の士気はテンゲリを衝かんばかりとなったが、依然兵力では敵が上回っていたので、驕ることなくさらに守りを固めた。
そのころ、河北のヒィ・チノは撤退に撤退を重ねて、苦戦を強いられること数度、やっとのことでズイエ河畔に辿り着いていた。しかしエバ・ハーンは先に人を遣って、舟をほとんど燃やしてしまっていた。
やむなくヒィは岸を離れて陣を張り、ツジャンに舟の調達を命じたが、各処に手が回っていて思うように舟が集まらないまま数日が過ぎた。
「舟はまだ集まらぬか」
さすがのヒィも苛立ちを隠せない。ツジャンが答えて言うには、
「一騎、二騎ならともかく数万騎を渡河させるのは容易ではありません。八方手を尽くしておりますので、もう少しお待ちください」
「留守陣が気に懸かる。連絡はないか?」
「今のところは……」
話し合っているところにちょうど使者が到着したとの知らせ。すぐに連れてこさせると、挨拶の暇も惜しんで、
「留守陣は無事か?」
すると頬を綻ばせて答えて言うには、
「はい。ジュレン軍に襲われる前に家畜その他は移動させました。そして敵の夜襲を見破り、伏兵をもってこれを撃退しました。今はオノレン口に拠って、敵と対峙しております」
ヒィはおおいに喜んで、
「そうか、よくやった。ゴオルチュにそれほどの才覚があろうとは知らなかった。礼を言わねばなるまい」
そこで使者は得意げに言うには、
「実は敵の侵攻を喰い止めているのは、ゴオルチュ様ではありません」
「ほう。というと?」
「ベルン様のご息女であるショルコウ様が敵襲を予期して、これに備えていたおかげで事前に家畜を移すことができたのです。また伏兵の策もオノレン口に拠ることも、すべてショルコウ様のお考え。あの方がいなければ、すでに家畜も人衆もジュレンに奪われていたでしょう」
居合わせたツジャン、ゾンゲルはおおいに驚き、かつ感心した。ヒィ・チノも感嘆の念を禁じえず、
「あの娘が我が部族を救ってくれたか。さすがは名将ベルン・バアトルの娘」
「はい。諸将もすっかり心服して、これを称えております。しかし敵は我らに倍する兵を擁しております。一日も早くお戻りくださるようお願いいたします」
途端に顔を曇らせて、思わず言うには、
「……そうしたいのだが、舟を焼かれてしまったのだ。だが近いうちに必ず河を渡る。それまでオノレン口をしっかり守るよう伝えてくれ」
「承知」
使者は休む間もなく、その日のうちに帰途に就いた。