第四 五回 ④
ショルコウ弱を用いて急を知り令名を博し
ヒスワ歌を以て堅を計るも猛将を忿らしむ
翌日もジュレン軍はアケンカム軍の目の前で酒宴に興じた。ショルコウはそれを見て思うに、
「神都のヒスワ・セチェンは奸智に長けているとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。いずれ将兵の怒りは抑えきれなくなるに違いない」
しばし黙考していたが、やがて会心の笑みを浮かべると、白夜叉ミヒチを呼んで何ごとか耳打ちした。
「おや、それはおもしろそうだね」
おおいに喜んで、急ぎ後方に去る。しばらくすると女衆が羊肉と酒をたくさん運んできた。驚く諸将にミヒチが笑いながら、
「さあ、我々も酒宴を始めましょう! そして歌うのです」
そう言うや、ショルコウと声を併せて高らかに歌いだした。
天よ、ご覧なさい
神都の将は怯懦です
せっかく剣を携えていても
扱う術を知りません
地よ、ご覧なさい
神都の兵は弱卒です
毎日酒を飲み怠けては
囀るばかり
人よ、ご覧なさい
神都の陣は脆弱です
街で商い鬻ぐだけで
戦うことはできません
その声は高く澄んでいて心に響いた。しかしその詞となると、敵を痛罵して溜飲を下げるべき痛快なもの。将兵は瞬く間にこれを覚えて大喜び。
女衆は張り切って羊を焼き、酒を注いで回った。兵衆はそれぞれ杯を右手に、肉を左手に、わっと歓声を挙げると大声で歌いはじめた。ゴオルチュやムバイまで声を張り上げる。
ショルコウとミヒチは歌いながら陣中を巡り歩く。兵衆はその姿を見て、ますます盛り上がる。
驚いたのはジュレン軍である。不意に敵陣から歓声が挙がったかと思うと、テンゲリを驚かさんばかりの音量で歌が流れはじめたのである。しかもよくよく聞いてみれば先のような内容だったので、今度は彼らがおおいに怒り、帰ってグルカシュに詰め寄った。
報を受けたグルカシュは、首を捻りつつ馬を飛ばしてくれば、たしかに歌が聞こえる。
天よ、ご覧なさい
神都の将は怯懦です
せっかく剣を携えていても
扱う術を知りません……
「この呼擾虎を怯懦だと!? まことに剣の扱いを知らぬかどうか見せてやるわ」
瞬時に血が沸騰したがごとく怒って、陣に戻るや全軍に出撃を命じる。ヒスワがあわてて、
「大将、どうした。敵が出てきたのか?」
怒声をもって答える。
「どうもこうもない! 元帥の策は外れましたぞ。そればかりか無用の恥を被ったわ! 彼奴らを一人残さず斬るまでは戻らぬ!」
言い捨てるや凄い形相で飛び出していく。わけがわからず兵の一人に事の次第を尋ねれば、卒かに敵軍も歌いだしたとのこと。さらに聞けば、それは挑発と侮辱に満ちた悪辣な歌。
「しまった、計を逆手に取られたか! これは罠だ!」
あたふたと馬に跨がり、手勢とともにグルカシュを追った。しかし怒れるグルカシュの進軍は速く、遅れるものにかまわずまっしぐらにオノレン口に迫る。
いざ近づいてみると、アケンカムの陣はしんと静まりかえっている。
「どうした! 挑戦に応えて来てやったぞ! それとも口だけか? 出てこい!!」
グルカシュは髭を震わせて散々に喚いた。すると一個の美少女が陣頭に進み出る。思わず息を呑んで見ていると、少女は軽やかに歌いだす。
臆病者にも愧じる心はあったらしい
でもおやめなさい
恥を上塗りするばかり
虎を自ら任じても
蝨(しらみの意)ぐらいがお似合いよ
これぞナルモントの誇る華、ショルコウであった。グルカシュは怒りが嵩じて、ただあうあうと口を動かすばかり、声も出ない有様。髭をぶるぶると震わせ、赤くなったり青くなったり。これを見たアケンカム軍から哄笑が巻き起こる。
「……つ、つ、突っ込め! 女め、必ず擒えて犯してやる!」
やっとのことで突撃の命を下す。ショルコウは嫣然と微笑んで、悠々と陣中に消える。ジュレン軍は怒号を挙げて殺到した。アケンカム軍も金鼓を打ち鳴らして迎え撃ち、雨のごとく矢を放つ。
グルカシュは先頭に立って矢の雨をくぐり、敵陣目がけて崖に挟まれた細い道を駆け登った。これに勇を得た兵衆が続々と従う。
その鋭鋒がアケンカムの陣に達しようかというときであった。突如、鼓膜も破れんばかりの大音響が彼らを襲った。
「な、何だ!?」
はっとテンゲリを仰いだグルカシュは、信じられないものを目にした。
「う、うわあああっ!」
何と道の左右から大木が次々と降ってきたのである。たちまちジュレン軍の混乱は極に達する。
これぞまさしくショルコウの奇計。その才略は男を遥かに凌駕し、あの奸人をも欺いて、ここに呼擾虎の肝を冷やすことになった。果たしてグルカシュの命はどうなったか。それは次回で。