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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
18/783

第 五 回 ②

インジャ往きて盟友を援け自ら母を迎え

セイネン窮して義君に投じ以て計を致す

 ナオルは投降した兵を収め、再び軍を進めた。途中格別の話もなくアイルに帰り着く。早速カメルのゲルを訪れたが、そこにはかつての颯爽(オキタラ)たる武人の姿はなく、病み衰えて愛息との再会を喜ぶ老人(ウブグン)があるばかりであった。


 あまりの変貌にナオルは思わず涙ぐむ。カメルは痩せて肉の落ちた(ガル)を差し延べると、(むせ)びつつ言うには、


「おお、ナオル。よくぞ帰ってきた。わしはもう族長(ノヤン)の任を果たすことができぬ。今日よりお前がジョンシを率いてくれ」


はい(ヂェー)


 カメルはさらに言葉(ウゲ)を継いで、


「二人の(アカ)ともよく協力してジョンシを守るよう」


 ナオルはぎくりとして内心穏やかではなかったが、気取られぬよう答えて、


「もちろんです。どうか安心して養生してください」


 やがてカメルが静か(ヌタ)に寝息を立てはじめたので、そっとゲルを出る。すぐに人衆(ウルス)を集めて、(おごそ)かに族長(ノヤン)の位に就くことを宣言する。人衆は何ごとか察したようだったが、特に混乱もなく集会は終わった。


 インジャは、ジェチェンから預かったタロト部の兵に告げて、


「ハーンに命じられたとおり、ナオルは族長(ノヤン)となった。だがいまだ人心は定まらぬ。私はしばらくここに残って補佐にあたるゆえ、ハーンにはそう伝えてもらいたい」


 とて、三百騎みなに(ボロ・ダラスン)を振る舞うと、その(ウドゥル)のうちに全員帰らせた。


 こうしてインジャらはジェチェンの麾下から離れた。フドウ氏独立の一歩を踏み出したことになる。これよりのち、馳せ参じてくるフドウの遺民はさらに増え続け、ほどなく千戸(ミンガン)に達するまでになった。




 (オブル)のある日のこと。ハクヒが言うには、


「若君、(ようや)く落ち着いてまいりましたから、タムヤに在るムウチ様を迎えてはいかがでしょう」


 インジャはおおいに喜んで、


「私もそれを考えていた。(エケ)はこの十年、一日千秋の思いであったろう。是非とも草原(ケエル)にお呼びしたい」


「では私とタンヤンが参りましょう」


いや(ブルウ)、私が自ら赴こう。タンヤンほか十騎(アルバン)もあれば十分だ。ハクヒには留守を(まか)せる」


「よろしいのですか」


「タムヤはジェチェン・ハーンの(バリク)、心配は要らん。あとをよろしく(たの)むぞ。母を連れてすぐに戻る」


 インジャはただちにタンヤンら十騎を従えて発った。幸いにも道中格別のこともなくタムヤの城壁(へレム)が見えてくる。先にタンヤンを()って、インジャはゆっくりと進んだ。


 タムヤは幼年期を過ごした(バリク)である。記憶は定かではないが、なぜかしら自ずと笑みが零れてくる。城門(エウデン)をくぐると喧騒が(チフ)に飛び込んでくる。忘れていたはずの(バリク)の匂いがとても懐かしく、不思議な心地がする。


 タンヤンがすでに待っていて、インジャを(うなが)す。学究庵(※エジシの家)の前では、エジシがこれを迎えた。礼を交わすと、


「ようこそおいでくださいました。ご母堂がお待ちかねですぞ」


 案内されるまま奥へ入ると、一個の賢夫人が端座している。これぞインジャの生母ムウチ。およそ十年ぶりの再会であった。


 母も(クウ)も込み上げる思いに(オモリウド)が詰まり、かえって言うべき言葉も知らぬ有様。ただよくよく見つめ合うばかり。ムウチが(ようや)(アマン)を開いて、


「インジャか。まことに立派に成長なされた。もっと近くで(ヌル)を見せておくれ」


 そっと(にじ)り寄ると、ムウチは(ニドゥ)を細めて、


「おお、亡き族長(ノヤン)によく似ておる」


「母上、長らくお待たせして申し訳ありません。ジェチェン・ハーンの厚意(エルゲン・セトゲル)により自立の目途が立ちましたので、お迎えに上がりました」


 するとはらはらと流涕し、


天王(フルムスタ)様のお言葉を信じて待っていて良かった。インジャがこうして迎えに来てくれるなんて……」


 居並ぶもので涙を(こら)えうるものは一人としてなかった。その夜はエジシがささやかな宴を催して母子の再会を祝った。


 翌日、ムウチを(テルゲン)に乗せてタムヤを発つ。二十里ほど行ったところで一群の騎兵に出会ったが、何とそれはハクヒが兵を出して迎えに来たものであった。


 無事にアイルに帰ると、インジャはジョルチ部各氏およびマシゲル部に使者を(つか)わして、フドウ氏の再建を伝えさせた。


 各氏の反応はまちまちで、ジョンシ氏と敵対するベルダイ右派(バラウン)、アイヅム氏はこれを認めず冷ややかな対応であった。一方、キャラハン氏やベルダイ左派(ヂェウン)などは使者を返してこれを祝した。マシゲル部やズラベレン氏は特に何の反応も示さない。


 これを受けてナオルは、


「義兄、これで当面の(ブルガ)が明らかになりましたぞ。アイヅム氏はともかくベルダイ右派は強敵といえましょう」


「いずれ雌雄を決するときが来よう。壮丁(ヂャラウス)を鍛えておかねばなるまい」


 兵の調練を行って、来たるべき(ソオル)に備えたが、その話はこれまでとする。

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