第四 五回 ③
ショルコウ弱を用いて急を知り令名を博し
ヒスワ歌を以て堅を計るも猛将を忿らしむ
留守陣が騒然とする中、先ほど斥候に出た部将が戻ってきた。おおいにあわてた様子で転がるように飛び込んでくると、
「います! 敵が、雲霞のごとき大軍が、こちらに向かってきます!」
諸将はこれを聞いて、己を恥じるとともにすっかり浮足立つ。ゴオルチュがこれを宥めて迎撃するよう要請すれば、一斉に首を振って口々に撤退を説いた。
ゴオルチュは困り果ててショルコウに救いを求める。応じて溜息を吐いて立ち上がると、斥候を務めた部将に尋ねた。
「貴殿は先ほど雲霞のごとき大軍と申されましたが、それでは斥候の用を成していません。正確にはどのぐらいの軍勢でしたか? どこの軍勢ですか?」
しばし呆然としていたが、首を捻りつつ、
「ジュレン部の兵、おおよそ一万騎ほどかと……」
ショルコウはこれを睨みつけると、
「いたずらに士気を落とすような発言は控えていただきたい」
諸将の顔を見廻して言うには、
「アケンカムの誇る、数々の戦場を駆けてきた諸将に僭越ながら申し上げます。お聞きのとおり敵は我らに倍する一万騎。しかしそれは先年河西で敗れたあと、急遽掻き集められたもの。蓋し訓練は不足し、かつ遠征に疲弊しており、またこちらに備えなきものと侮っています。そのような敵に対して無策に背を向けるなど愚の骨頂です」
そして先にゴオルチュに説いた策を繰り返せば、諸将は感心してこれに心服するに至った。陣営は俄かに活気づき、ジュレン部何するものぞと勇躍して埋伏の準備を整えた。ヒィ・チノへの早馬も出立し、あとは敵を待つばかりとなった。
ムバイは、ショルコウに近づいて言った。
「さすがはベルン様の娘、おかげでハーンの信頼に背かずにすみそうです」
「いえ、私には何もできません。みなさんの勇戦が敵を退けるのです」
「いかにも。あとは委せて貴女は女衆を追ってください」
ショルコウは断ったが、ムバイがあまりに心配するので、結局は女衆のあとを追って東方へ逃れることにした。その前にゴオルチュに会って言うには、
「くれぐれも間違いなきよう。敵を破ったら、必ず退いてオノレン口を固めるようお願いします。女衆とともに朗報を待っております」
「お前はアケンカムの宝だ。危地に留め置くわけにはいかぬ」
一礼して辞すと、栗毛の愛馬に跨がって去る。彼女は女衆をまとめて無事にオノレン口の奥にみなを導いた。
さて、ショルコウがオノレン口で味方の到着を待っていると、昼になって漸く前方に砂塵が上がるのが見えた。緊張を解かずに見守っていると、やがてアケンカムの旗が見えてくる。
先頭を走るのはゴオルチュその人である。ショルコウの姿を認めると、歯を見せて笑う。
「戦は、どうなりましたか?」
会うなり問えば、答えて言うには、
「お前の読みどおり、大勝であった。まことにお前に助けられたわ。礼を言うぞ」
「私は何も……。とにかくおめでとうございます」
諸将も次々と拱手して礼を述べる。ショルコウは頬を朱く染めつつみなを祝した。ひととおり挨拶がすむと、居住まいを正して言う。
「敵はまた攻めてきます。先は奇襲をもって勝利を得ましたが、次は地の利に拠って力戦せねばなりません。ハーンが戻るまで堪え凌げるかどうかが勝負です。ハーンもセペートと戦いながら退くのは容易ではありますまい。心構えが必要です」
「懸念は無用、我らには戦の女神が附いておる!」
これを聞いてわっと歓声が挙がる。早速、堅固な陣を築き、斥候を出して敵情を探る。またヒィ・チノにも再度早馬を送った。
二日後、ジュレン軍は捲土重来を期して、大将の呼擾虎グルカシュを先頭に攻め寄せてきた。一進一退の攻防が繰り広げられたが、アケンカム軍はゴオルチュの、いや、実際は傍らにあるショルコウの指揮によって堅く守り続けた。
グルカシュは攻めあぐねて退いたが、連日現れては挑戦し続けた。しかしどうしても抜くことができず、日が過ぎた。ジュレンの本営では、ヒスワが焦燥を募らせていた。グルカシュを呼びつけて言うには、
「敵は少数ではないか。まだ破れぬのか!」
グルカシュは大きな身体を縮めて答えた。
「とはいえ敵は険阻の地に拠って守りを固めております。見識ある将がこれを率いているらしく、隙がありません」
よもやうら若き乙女が指揮しているなどとは思いもしない。ヒスワはますます苛立って、
「頭を使え! 出て来なければ、そうするよう仕向ければよいのだ!」
そして何ごとか耳打ちする。
翌日、アケンカム軍は異様なものを見ることになった。羊の群れを連れた敵兵が五百騎ほど進んできたかと思うと、卒かに鎧を脱ぎ、馬を降りて休憩しはじめたのである。しかもその場で竈を拵えると、羊を割いて酒宴を始めた。口々に歌うのを聞けば、
飛虎(※ヒィ・チノのこと)の巣に来てみれば
野鼠が隠れて震えるばかり
擾虎(※グルカシュのこと)の名を恐れるならば
駿馬を贈って去ればいい
アケンカムの兵衆はみな激怒して諸将に詰め寄った。諸将もまたおおいに怒ったが、判断に迷ってこれをゴオルチュに伝える。
さすがのゴオルチュも歌の内容を知って怒髪天を衝かんばかり。即座に声を震わせて出撃を命じんとしたが、ショルコウがそれを遮った。
「なぜ止める! このような屈辱を受けて黙っていては、氏族の恥だ!」
「あれは我らを誘い出そうとする敵の計略です。侮辱に堪えるは一時の恥、軍を保てず部族を傾けるは末代の恥です。まことの雄心はこのようなときに試されるのです。自重してください!」
必死の説得で何とか思い止まったが、怒りは一向に治まらない。それはみな同じことで、誰もが唇を噛んで敵人の傍若無人な振る舞いを眺めていた。