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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
179/783

第四 五回 ③

ショルコウ弱を用いて急を知り令名を博し

ヒスワ歌を(もっ)て堅を計るも猛将を忿(いか)らしむ

 留守陣(アウルグ)が騒然とする中、先ほど斥候(カラウル)に出た部将が戻ってきた。おおいにあわてた様子で転がるように飛び込んでくると、


「います! (ブルガ)が、雲霞のごとき大軍が、こちらに向かってきます!」


 諸将はこれを聞いて、己を恥じるとともにすっかり浮足立つ。ゴオルチュがこれを(なだ)めて迎撃するよう要請すれば、一斉に首を振って口々に撤退(オロア)を説いた。


 ゴオルチュは困り果ててショルコウに救いを求める。応じて溜息を()いて立ち上がると、斥候を務めた部将に尋ねた。


「貴殿は先ほど雲霞のごとき大軍と申されましたが、それでは斥候の用を成していません。正確にはどのぐらいの軍勢でしたか? どこの軍勢ですか?」


 しばし呆然としていたが、首を捻りつつ、


「ジュレン部の兵、おおよそ一万騎(トゥメン)ほどかと……」


 ショルコウはこれを睨みつけると、


「いたずらに士気を落とすような発言は控えていただきたい」


 諸将の(ヌル)を見廻して言うには、


「アケンカムの誇る、数々の戦場を駆けてきた諸将に僭越ながら申し上げます。お聞きのとおり敵は我らに倍する一万騎。しかしそれは先年河西で敗れたあと、急遽掻き集められたもの。(けだ)し訓練は不足し、かつ遠征に疲弊(ハウタル)しており、またこちらに備えなきものと侮っています。そのような敵に対して無策に(ノロウ)を向けるなど愚の骨頂です」


 そして先にゴオルチュに説いた策を繰り返せば、諸将は感心してこれに心服するに至った。陣営(トイ)は俄かに活気づき、ジュレン部何するものぞと勇躍(ブレドゥ)して埋伏の準備を整えた。ヒィ・チノへの早馬(グユクチ)も出立し、あとは敵を待つばかりとなった。


 ムバイは、ショルコウに近づいて言った。


「さすがはベルン様の娘、おかげでハーンの信頼(イトゥゲルテン)(そむ)かずにすみそうです」


いえ(ブルウ)、私には何もできません。みなさんの勇戦が敵を退けるのです」


いかにも(ヂェー)。あとは(まか)せて貴女は女衆(ブスクイ)を追ってください」


 ショルコウは断ったが、ムバイがあまりに心配するので、結局は女衆のあとを追って東方へ逃れることにした。その前にゴオルチュに会って言うには、


「くれぐれも間違いなきよう。敵を破ったら、必ず退いてオノレン(ぐち)を固めるようお願いします。女衆とともに朗報を待っております」


「お前はアケンカムの(ダナ)だ。危地に留め置くわけにはいかぬ」


 一礼して辞すと、栗毛(ヂェールデ)の愛馬に(また)がって去る。彼女は女衆をまとめて無事にオノレン(ぐち)の奥にみなを導いた。




 さて、ショルコウがオノレン(ぐち)味方(イル)の到着を待っていると、昼になって(ようや)く前方に砂塵が上がるのが見えた。緊張を解かずに見守っていると、やがてアケンカムの(トグ)が見えてくる。


 先頭を走るのはゴオルチュその人である。ショルコウの姿(カラア)を認めると、歯を見せて笑う。


(ソオル)は、どうなりましたか?」


 会うなり問えば、答えて言うには、


「お前の読みどおり、大勝であった。まことにお前に助けられたわ。礼を言うぞ」


「私は何も……。とにかくおめでとうございます」


 諸将も次々と拱手して礼を述べる。ショルコウは(ハツァル)を朱く染めつつみなを祝した。ひととおり挨拶がすむと、居住まいを正して言う。


「敵はまた攻めてきます。先は奇襲をもって勝利を得ましたが、次は地の利に拠って力戦せねばなりません。ハーンが戻るまで堪え(しの)げるかどうかが勝負です。ハーンもセペートと戦いながら退くのは容易(アマルハン)ではありますまい。心構えが必要(ヘレグテイ)です」


「懸念は無用、我らには戦の女神が附いておる!」


 これを聞いてわっと歓声が挙がる。早速、堅固な陣(ヌドゥグセン・トイ)を築き、斥候を出して敵情を探る。またヒィ・チノにも再度早馬を送った。


 二日後、ジュレン軍は捲土重来を期して、大将の呼擾虎(こじょうこ)グルカシュを先頭に攻め寄せてきた。一進一退の攻防が繰り広げられたが、アケンカム軍はゴオルチュの、いや、実際は傍ら(デルゲ)にあるショルコウの指揮によって堅く守り続けた。


 グルカシュは攻めあぐねて退いたが、連日現れては挑戦し続けた。しかしどうしても抜くことができず、(ウドゥル)が過ぎた。ジュレンの本営(ゴル)では、ヒスワが焦燥を募らせていた。グルカシュを呼びつけて言うには、


「敵は少数ではないか。まだ破れぬのか!」


 グルカシュは大きな身体(ビイ)を縮めて答えた。


「とはいえ敵は険阻(ケルテゲイ)(ガヂャル)に拠って守りを固めております。見識ある将がこれを率いているらしく、隙がありません」


 よもやうら若き乙女(オキン)が指揮しているなどとは思いもしない。ヒスワはますます苛立って、


(タルヒ)を使え! 出て来なければ、そうするよう仕向ければよいのだ!」


 そして何ごとか耳打ちする。


 翌日、アケンカム軍は異様なものを見ることになった。(ホニデイ)の群れを連れた敵兵が五百騎ほど進んできたかと思うと、(にわ)かに鎧を脱ぎ、(アクタ)を降りて休憩しはじめたのである。しかもその場で(かまど)(こしら)えると、羊を()いて酒宴を始めた。口々に歌うのを聞けば、



  飛虎(※ヒィ・チノのこと)の巣に来てみれば

  野鼠(クルガナ)が隠れて震えるばかり

  擾虎(じょうこ)(※グルカシュのこと)の名を恐れるならば

  駿馬(クルゥグ)を贈って去ればいい



 アケンカムの兵衆はみな激怒(デクデグセン)して諸将に詰め寄った。諸将もまたおおいに怒ったが、判断に迷ってこれをゴオルチュに伝える。


 さすがのゴオルチュも(ドー)の内容を知って怒髪(テンゲリ)を衝かんばかり。即座に(ダウン)を震わせて出撃を命じんとしたが、ショルコウがそれを遮った。


「なぜ止める! このような屈辱を受けて黙っていては、氏族(オノル)の恥だ!」


「あれは我らを誘い出そうとする敵の計略です。侮辱に堪えるは一時の恥、軍を保てず部族(ヤスタン)を傾けるは末代の恥です。まことの雄心(ヂルケ)はこのようなときに試されるのです。自重してください!」


 必死の説得で何とか思い止まったが、怒り(アウルラアス)は一向に治まらない。それはみな同じ(アディル)ことで、誰もが(オロウル)を噛んで敵人(ダイスンクン)の傍若無人な振る舞いを眺めていた。

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