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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
178/783

第四 五回 ②

ショルコウ弱を用いて急を知り令名を博し

ヒスワ歌を(もっ)て堅を計るも猛将を忿(いか)らしむ

 そうこうするうちに(ウドゥル)は過ぎ、ヒィ・チノからの捷報(しょうほう)もないままひと月が経とうとしていた。


 哨戒にあたっていた少年たち(クウヘド)は、ショルコウに喜んでもらおうといまだに勇んで飛び出していたが、大人たちの気は少しずつ(ゆる)みはじめていた。ところが、一人の少年(クウ)が青ざめた(ヌル)で戻ってきたのを境に、留守陣(アウルグ)は大騒ぎとなる。


 ショルコウは毎日欠かさず外に出て、急報を待っていた。その日も変わらずじっと西方を見つめていたが、一騎の少年があわてて駆け来たるのを見て、さすがに鳥肌が立った。


「ショルコウ様ぁ! 西方に軍影が、(トゥメン)を超える軍勢が現れました! ゆっくりと(ヂェウン)へ向かっています」


「落ち着いて! どこで?」


遠く(ホル)です。あの、ドルグ(ゴロカン)のずっと向こうです!」


(トグ)は見た?」


赤地(フラアン)金色(アルタン)の、何やら(クシ)のような……、すみません」


いいえ(ブルウ)、よくぞ知らせてくれました。戻って家の人(ゲルブル)に伝えて! 私は叔父様(アバガ)に報せるわ!」


 少年は頷くと(モリ)(タショウル)を入れて駆け去った。ショルコウは急いでゴオルチュのゲルへ行くと、挨拶もそこそこに言った。


(ブルガ)が、現れました」


「ん、何だと? 今度は何の遊びだ」


「遊びではありません。敵は西方五十里、進軍は緩やかですので攻撃は明日の早暁かと思われます。夜襲に対する備えをお願いします」


 それを聞いたゴオルチュは驚愕のあまり混乱して、


(ウネン)か? わしを揶揄(からか)っているのではなかろうな。いったいどこの兵だ?」


「誰がこんな戯言を申しましょう。敵はおそらくジュレン部。真紅の地に黄金(アルタン)の鷹(・シバウン)を配した旗です。ジュレン部は先年河西で敗れはしましたが、彼らなら一万騎(トゥメン)を動員することもできるでしょう」


 ジュレンの名を聞いて一瞬に青ざめる。そして言うには、


「まさか、お前は神都(カムトタオ)の出兵を予想(ヂョン)していたのか!?」


「そうではありません。私も驚いているところです。よもや神都(カムトタオ)が兵を出そうとは……。とにかく(はや)命令(カラ)を! 女衆(ブスクイ)はすでに東へ走る用意を()えています。あとは叔父様が男衆(ブステイ)をまとめるだけです!」


 ゴオルチュはあわてて頷くと、とりあえず諸将を集める。


 ショルコウはそこを辞すと、アイル中を駆け回って移動(ヌーフ)を指示した。もとより有事に備えていたのが功を奏して、一刻後には移動が始まった。それを確認してからゴオルチュのゲルに戻る。


 見れば諸将が何やら揉めている。ショルコウは(フムスグ)を吊り上げて一喝した。


「一刻を争うときに何を騒いでいるのですか!」


 ゴオルチュは弱り果てた様子で顔を上げた。助けを求めて言うには、


「おお、実は……」


 聞けば諸将は、敵の来襲を疑って動こうとしないとのこと。ショルコウは怒るより呆れて、


「ならば誰か確認に()ったのですか」


「それはまだ……」


 小声で言いかけるのを最後まで言わせずに、


「なぜ早く斥候(カラウルスン)を出さないのです。こうしている間にも敵軍は迫っています。座して憶測を述べ合っているときではないでしょう」


 その語勢に押されて居並ぶ諸将は反駁することもできず、ついに一人の部将が立って確認に出向いた。その間、一旦解散して念のために武備を整えるということにした。ゴオルチュはショルコウを指し招き、不安そうに尋ねて、


「わしにはまだ信じられぬ。まことに来るのか」


 ショルコウは決然たる調子で断言した。


「来ます。叔父様は先日、東原で大軍を擁するのはナルモントとセペートだけだとおっしゃいました。裏を返せば、攻撃に万を超える軍勢を必要(ヘレグテイ)とする相手もこの二者だけということ。小部族(ヤスタン)野盗(ヂェテ)の討伐に万騎を用いる道理(ヨス)はありません。また我々は神都(カムトタオ)と同盟を結んだ間柄ではありません。それにも関わらず神都(カムトタオ)が軍を動かしたのですから、セペートのほうと何らかの密約があるのです。よって彼らは必ず来ます」


 ゴオルチュは理路整然としたショルコウの意見にすっかり感心して、すっかりこの若い(オキン)(たの)む気になったので、


「では敵が来たら何とする。早急に逃げたほうが良くないか」


いいえ(ブルウ)、それは違います。敵はゆっくりと進んでいることから判るように、我らに備えがあろうとは思っていません。それを利用して反撃を加えるのが用兵の常道。四面に埋伏して敵を襲えばその動揺は量り知れず、必ずや破ることができましょう」


「そううまくいくだろうか……」


「もし我らが(ノロウ)を向ければ、敵は怒涛のごとく押し寄せます。家畜(アドオスン)老人(ウブグン)を抱えたまま追いつかれれば、身動きもとれぬうちに殲滅(ムクリ・ムスクリ)されることは明白。そうなればハーンは怒り、アケンカム氏を決して(ゆる)しはしないでしょう。また天下にはその怯懦を(わら)われることになります。叔父様は何の面目があって祖宗(ボルカイ)に顔を合わせるおつもりですか」


 ゴオルチュはううむと唸って、ショルコウの言葉(ウゲ)(したが)うことにした。ショルコウはさらに(オロ)を強くして言うには、


「ここで敵を退けられるか否かはすべて叔父様の決心次第です。諸将を説き伏せ、(クチ)を併せてアケンカム氏の名を汚さぬようはたらいてください」


 うんうんと何度も頷いて、


「そのあとはどうすればよい?」


「一度敵を退けても、すぐに態勢を立て直してくるはず。我らは今度はその前に退かねばなりません。なぜなら数の上で不利だからです。奇襲が成功するのは一度だけ、追撃は構えだけに止めて、急いで退いてください。東方三十里を行けばオノレン(ぐち)と呼ばれる要害があります。ここを固めれば敵は攻めあぐねるはず。じっと守っていれば、急を聞いたハーンが帰ってきます。そのときが前後呼応してジュレンを破るときです。ハーンはきっと叔父様を嘉賞されることでしょう」


 そのとき、外が俄かに騒がしくなったので何ごとかと出てみれば、男衆と女衆が(いが)み合っている。中でも白夜叉ミヒチは、女衆の先頭に立って甲高い声で(わめ)き散らしている。


 聞けば、家畜を移そうとする女衆を、男衆が引き止めようとしているとのこと。するとショルコウが(まなじり)を決して言うには、


行きなさい(ヤブ)! 道理の判らぬ男の言うことを聞く必要はありません。ハーンの命令(ヂャルリク)を忘れましたか。留守を無事に保つことが我らの責務(アルバ)。敵襲の恐れがあれば、家畜を移すのは当然のことです。もし敵が来なければ、いたずらに衆庶を惑わせた罪をこの身に負いましょう」


 男衆はしぶしぶ引き下がり、女衆はわっと喜んで移動を再開する。

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