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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
176/783

第四 四回 ④

鎮氷河エルゲイ・トゥグに敗れ(いつわ)り遁走し

神箭将カラ・トゥンに伏せ鮮やかに撤退す

「一気に蹴散らせ!」


 ケルン・カーンが叫ぶ。またもや大喊声。と、不意にサトラン軍が反転、騎射の勢いも凄まじく攻めかかってきた。


「小癪な! 包み込め!」


 一旦押し戻された格好のセペート軍は、数を利して包囲(ボソヂュ)を試みたが、サトラン軍はさっと離れて逃げていく。ケルンは歯ぎしりして再度これを追う。


 それが数度繰り返された。サトラン軍は殿軍としての務め(アルバ)を見事に果たしていたが、さすがに疲労の色は隠せない。ツジャン自身も(ムル)に矢傷を負った。


「ハーンはすでにカラ・トゥンを越えただろうか。我らの任務は()わった。ならば潔く散るのみ」


 ツジャンは最後の突撃を敢行するべく馬首を(めぐ)らせた。と、彼の決死の意図(オロ)に反して、セペート軍はサトラン軍を無視するように方角を変えた。


「ツジャン様、いかがいたしましょう?」


「ううむ」


 唸っていると、一騎向かってくるものがある。(いぶか)しく思って見れば、何と金杭星(アルタン・ガダス)ケルン・カーン。サトラン軍を睥睨して叫んで言うには、


「殿軍の将は誰か!」


 応じてツジャンが進み出て言った。


「サトラン氏の副将ツジャンと申す。貴殿はケルン・カーンとお見受けしたが」


いかにも(ヂェー)。なるほど、お主が名高い(ネルテイ)ツジャン・セチェンであったか」


「我らを置いて去るとはどういう了見か」


 ツジャンが問えば、


勇者(バアトル)には敬意を払う。実に見事な戦ぶりであった。我らはお主を追うまい。(モル)()えてチノを追う」


 そう答えて馬首を(めぐ)らす。


「ツジャン様、これはいったい……」


「ふうむ。見逃されるならそれでよかろう。我らは(ウリダ)へ去る。それにしてもケルン・カーンとは不思議な奴だ」


 サトラン軍は完全(ブドゥン)に戦場から離脱(アンギダ)し、南方へと転じた。




 セペート軍はヒィ・チノを追って夜も休まず駆けに駆けて、翌朝にはその最後尾に喰らいついた。ケルンらはそれを追い散らすと、さらに速度を上げる。こうしてついにカラ・トゥンに至った。前方にナルモントの小隊が踏み止まっている。


「ふん、蹴散らせ!」


 号令一下、猛禽が獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)に襲いかかるように攻めかかる。もちろん支えきれるはずもなく、蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。セペート軍はさらに調子に乗って先へ進んだ。


 全軍の半ば(ヂアリム)がカラ・トゥンを越えようかというときであった。(にわ)かに金鼓が轟いた。と、横合いから喊声を挙げて一群の騎兵が湧き出てきて、セペート軍の中央(オルゴル)に割って入る。これぞ病大牛ゾンゲルの一隊。


「ふ、伏兵だ!」


 狭い道で前後に分断されたのでおおいにあわてる。しかも昼夜兼行で追ってきたために疲労が激しく、(ヂュブル)の中で待機していた新手の猛攻に途端に浮足立った。


 先頭を行くケルン・カーンは、後方が急に乱れた原因が判らずにいたが、伝令によってことを知ると、


「どうせヒィ・チノの苦しまぎれの一手、あわてずに挟撃すればよい」


 そう言って手勢を率いて反転しようとした。と、前方の丘で銅鑼が鳴り響く。ナルモント部の(トグ)が一斉に林立した。


「待っていたぞ、蛮族め!」


 これぞナルモント部の誇る先鋒(ウトゥラヂュ)、モゲト。ケルンは怒り(アウルラアス)(ヌル)(カラムバイ)に染めて言うには、


「小賢しい(クルガナ)め!」


 (カタン)の棍棒を(ガル)に、モゲト目がけて一直線に駆け上がる。数千騎がこれに続く。ナルモント軍は初めは弓で、次いで(ヂダ)を構えて応戦し、たちまち乱戦となった。


 さて、追撃の後軍(ゲヂゲレウル)を担っていたのはズベダイであったが、ゾンゲルの軍勢に行く手を(はば)まれると、不利を(さと)って早々に退却(オロア)(カラ)を下す。


 かくしてケルンは腹背に(ブルガ)を受けることになった。しばらく奮戦していたが、支えきれずに兵をまとめて退く。モゲトも追撃することなく、ゾンゲルと軍を併せて本軍に合流(ベルチル)した。


 結局、両軍ともに大きな損害を出して痛み分けの形となった。ヒィ・チノは休む間もなく撤退を命じる。


 一方のケルン・カーンは憤懣やる方なく、再追撃を要請した。エバは迷ったが、ドブン・ベクが言うには、


「たしかにヒィ・チノは戦巧者ですが、大局を眺めれば我らの優位は動いておりません。留守陣(アウルグ)がジュレン軍に蹂躙されているにも関わらず、ヒィ・チノの前にはまだ千里の道程が控えており、さらにズイエ(ムレン)をも越えねばなりません。手を(ゆる)めずに追えば、彼の損耗は激しく、ついには(ムレン)を背にして我を迎えることになります。その時分には兵衆も異状を察して動揺しはじめるでしょう。これをもってこれを()れば勝利は動かしがたく、ただ一度の蹉跌(さてつ)(注1)で諦めるのは早計かと存じます」


 エバは大きく(セトゲル)を動かし、再び追撃軍を編成した。


 そのころにはヒィ・チノはツジャンと合流を果たし、モゲトを先行させて舟の確保を命じた。またキセイを留守に急行させるよう手配して道を急いだ。




 さてここで話はところを変えて、ナルモントの留守陣。そもそもこれを預かっていたのはアケンカム軍五千騎、主将はベルン・バアトルの末弟ゴオルチュである。


 これを呼擾虎(こじょうこ)グルカシュを将としたジュレン軍一万騎(トゥメン)が襲ったわけだが、まさに勝ちを収めるには奇襲に勝るはこれなく、(チノ)の居ぬ間に巣を荒らすといったところ。この戦で一個の華が才幹(アルガ)(あらわ)すことになるのだが、果たしてジュレン軍の奇襲にアケンカム軍がいかに対処したか。それは次回で。

(注1)【蹉跌(さてつ)】つまずくこと。失敗し行きづまること。挫折。

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