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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
173/783

第四 四回 ①

鎮氷河エルゲイ・トゥグに敗れ(いつわ)り遁走し

神箭将カラ・トゥンに伏せ鮮やかに撤退す

 ナルモント部とセペート部が激突したエルゲイ・トゥグは、河北の奥に広がる大平原(タル・ノタグ)である。両軍併せて十万近い騎兵も悠々と展開できる広さがあり、これまでも両部族(ヤスタン)の会戦が幾度となく行われてきた。


 先年、ヒィの(エチゲ)であるダコン・ハーンが落馬したのも、この地から(ホイン)へ向かって(ブルガ)を追撃する途中のことであった。


 それゆえかナルモント軍はますます復讐に燃え、士気は上天(テンゲリ)を衝かんばかり。喊声を背に進み出たモゲトも、奮い立って敵陣を睨みつける。


 一方、前回の(ソオル)では敗れ、ダコンの負傷に救われたセペート軍も、今度こそは目にもの見せてくれようと一兵卒に至るまで勇躍(ブレドゥ)していた。


 しかも先鋒(アルギンチ)には北方の雄ケルン・カーンを立てて態勢は万全、なおかつ上将たちはジュレン軍がヒィ・チノの留守(アウルグ)を襲うことを知っていたので、余裕と自信を持って決戦に臨んでいた。


 戦機は熟して両先鋒はほぼ同時に馬腹を蹴り、それぞれ麾下五百騎を従えて相手に襲いかかっていった。あとに続く中軍(イェケ・ゴル)もじわじわと前進して戦局を窺う。双方ともに正面から挑む構え。


 モゲトとケルンは一直線に(アクタ)を飛ばし、誰よりも先に得物を交えた。かたや(ヂダ)、かたや(カタン)の棍棒。がーんと濁った音が響く。両者得物を握り直し、さらに一合、二合と打ち合ったが、なかなか勝負がつかない。それを眺めたヒィは、


「ほほう、モゲトでは勝てぬか。今は互角に見えるが、敵のほうが一枚上手(うわて)だ」


 そこで銅鑼を鳴らしてモゲトを退かせる。それを見てケルン・カーンも自陣へ戻れば、大歓声がこれを迎える。


「ふふん、喜んでいるがいい」


 ヒィ・チノはにやりと笑って右手を挙げた。応じて金鼓が鳴りわたり、前軍(アルギンチ)がどっと押し出す。


 射程に入るや、一斉に矢をつがえて次々と放つ。無数の矢がテンゲリを覆ってセペート軍を襲う。セペート軍ももちろん応射して、そうするうちに徐々に距離が詰まっていく。


「ほう。鎮氷河の名は虚名ではないな。こうしている間にも見よ、我が軍の隙を狙って前軍が動いている。(ゆる)みを見せれば、ケルン・カーンが突撃してくるだろう」


 ヒィが傍ら(デルゲ)のキセイに言った。キセイは何も言わずにその次の言葉(ウゲ)を待つ。


「しかしケルンが動けば、敵にも(ほころ)びが生まれよう。右翼(バラウン・ガル)にそれを伝えよ」


承知(ヂェー)


 とて、ぱっと駆け出す。右翼はサトラン氏の兵、主将は族長(ノヤン)のジョブン・ドゥカだが、実際に指揮を()るのは副将のツジャン・セチェン。キセイは瞬く間(トゥルバス)に陣中を駆け抜け、ツジャンに会って言うには、


「ケルンが動けば敵軍に綻びが生まれる、とのことだ」


 ツジャンはたちまちその(オロ)を汲むと、部将に何ごとか伝えた。ナルモント軍の右翼が微妙な変化を見せる。だがそのために全軍の動きから僅かに遅れた。


 遥かにそれを望見したエバ・ハーンは、


「見ろ、やはり戦を知らぬ小僧(ニルカ)どもよ。右翼の戦列(ヂェルゲ)が乱れたぞ!」


 即座に金鼓を鳴らさせた。それを聞いたケルン・カーンが叫んだ。


「よし、敵の乱れを突け!」


 自ら真っ先に飛び出す。二千騎があとに続く。左翼(ヂェウン・ガル)もぐっと押し出してこれを援護(トゥサ)する。


「我が婿(グレゲン)が、敵陣を寸断してくれよう。さすれば全力を投入してこれを破る」


 エバはそう算段して高らか(ホライタラ)に笑った。一方のヒィ・チノも、ケルンがまっしぐらに突っ込んでくるのを見て、


「来たぞ、阿呆(アルビン)が! 右翼はツジャンに(まか)せておけばよい。タラント軍を敵が動いたところに()じ込め!」


 ナルモント軍からも金鼓の合図。それを(チフ)にしたエバ・ハーンは、


「さては右翼が崩れるとて焦ったな。動けば動くほど全軍が乱れるぞ。どうやって(つくろ)うかな、ふふふ」


 ところが予想(ヂョン)に反して、ナルモントの前軍はケルン・カーンの鋭鋒を無視して、これも一直線に突撃を敢行してきた。タラント氏の六千騎である。中軍もかまわずそのまま前進を続けている。


「何と、右翼を棄てて前進してくるとは。奴はまことに戦を知らぬのか!」


 ややあわてて金鼓を打ち鳴らさせ、タラント軍を迎え撃つべく兵を動かす。タラント軍は勇将モゲトを先頭に、落石のごとき勢でこれを蹴散らしていく。エバは次々に指示を出して部隊を投入する。


「所詮、一時の勢いだ。一所が崩れれば、それは全体に波及しよう。さればあわてて退くに違いない」


 エバはそう呟いたが、案に相違してナルモントの右翼は崩れない。それどころか巧みに兵を動かして、知らぬ間に堅牢な陣(ヌドゥグセン・デム)に変わっている。これも知将ツジャンの采配に依るものであるが、もちろんエバは知らぬこと。


 ケルン・カーンは厚い守りに阻まれて、それ以上進むことができなくなった。エバは(ダウン)()らして叫んだ。


「婿殿は何をしているのだ!」


 ヒィ・チノはじっと馬上で戦局を眺めていたが、言うには、


「およそ兵を用いる常として、一旦己が有利と思い込むと、判断を改めるのは難しいものだ。(あや)ういかな、殆ういかな。鎮氷河は陥穽に落ちた」


 振り向くとキセイが控えている。


「キセイ。戦においては、変を極め、勢を形して始めて利を得る。然るのちに利に溺れず、権に(おご)らずして始めて勝を収めるものだ」


「ハーンのおっしゃるとおりです。エバ・ハーンは必敗の地に立ちました」

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