第四 三回 ③
ドブン・ベク奸人を説いて盟約を締結し
グルカシュ囚徒を屠りて将印を拝受す
岳父となるエバ・ハーンは、ケルンをにこやかに迎えながら早くも後悔の念に駆られていた。それを心奧に押し込め、強いて上機嫌を装って、婿を歓待する。
ドブンから前もって戒められていたからである。彼は病もすっかり癒えて婚礼の進行を任されていた。習俗の違う両家の挙式は、至極簡素に行われた。ケルンが礼を害って恥をかかぬよう配慮したもの。
アラクチュを初めて見たケルンは、その清楚な美しさに目を細めて喜んだ。花嫁のほうは異様な風体の新郎に怯え、俯いて目を合わせようともしなかった。
しかしケルンは意に介する様子もなく杯を傾け、豪放に笑っていた。ドブンやズベダイがほっとしたのは言うまでもない。ケルンは数日滞在し、莫大な贈物を手に北へと帰っていった。
アラクチュは泣き喚きこそしなかったが、最後まで恨みを籠めて父を睨み据えていた。エバは目を逸らしてこれを見送ったが、内心は決して穏やかではなかった。
すっかり客人が帰ってしまうと、すぐにドブンを召して真情を吐露する。ドブンは何を今さらと眉を顰めたが、色には出さずに言った。
「ハーンの胸中、察するに余りあります。必ずナルモントの小僧を破りましょう。ケルン・カーンは三月ののち、全軍を率いて参ります。我らも兵馬を整えておかねばなりません。然るのちに神都に盟約を確かめに参ります。これからが勝負ですぞ。東原を制することができれば、富貴はこれまでの比ではありません」
そう言って励まし慰めたが、この話はここまでにする。
そのころ、神都ではヒスワが盟約に順って軍を再編し、往時には劣るものの、総勢一万騎の動員を可能にしていた。
ヒスワ自身も気概を復して、肥満していた身体も、春を迎えるころには漸く肉が落ちた。奸人ヒスワは完全に己を取り戻したと言ってよい。ある日、そのヒスワを訪ねたものがあった。名をグルカシュという。
「ほう、余に仕えたいとな」
「ははっ。カムタイの出身でグルカシュと申します。ヒスワ様のなされようを観るに、近く大きな戦があるようなので馳せ参じた次第。私を用いれば必ずや利となりましょう」
吼えるように言うのを、値踏みするように眺め回して、
「ほほう、ずいぶんと自信があるようだが、何ができる」
すると答えて、
「幼きころより多くの師に附いて武芸を極め、今や草原中を見渡しても私より優れたものがあるとは思えません。人からは『呼擾虎』の名を頂戴しております」
ますます鼻息が荒い。
「大仰な名だな。よし、試してやる」
ヒスワは笑って左右のものに何ごとか命じる。グルカシュは宮城の中庭へと連れていかれる。
「ここでお前の技を見てやろう」
上から声がするので見上げれば、上階よりヒスワが見下ろしている。グルカシュは馬と槍を与えられた。
「ははっ、必ずやご期待に添えるものと思います」
そう言ってまずは手にした槍を軽々と振り回す。そしてさまざまな型を披露に及んだが、いずれも見事なものであった。ヒスワはおおいに感心して、
「実戦はどうかな」
右手を挙げて合図すれば、反対側の扉が開いて、騎乗の無頼漢が猛然と飛び出した。グルカシュはふふんと嗤って得物を握り直す。ヒスワが言うには、
「このものは『牛頭蝨』のババルと云って、武に秀でるも粗暴で始末に負えないので、牢に繋いであったものだ。遠慮する必要はない。存分に戦うがよい」
グルカシュは頷いた。ババルは手にした戦斧をしっかと握りしめると、怒号一声馬腹を蹴った。対するグルカシュの表情には余裕がある。
二騎が交錯した瞬間、がーんと凄まじい音が響きわたった。ヒスワがはっとして目を凝らすと、ババルが呆然と立ち尽くしている。手に戦斧はない。
「ふふ、どうした。得物がなければ話にならぬぞ。拾ってこい」
戦斧は、と見れば弾き飛ばされたのか地面に転がっている。ババルは憤怒に顔を赤黒く染め、急いでこれを拾うと再び馬に跨がる。
グルカシュは口の端を歪めて笑っている。ますます怒り心頭のババルは、前後の見境もなく襲いかかった。
「愚かな!」
グルカシュは一喝すると、槍をさっと振るった。
「ぐああああ!」
凄まじい断末魔の悲鳴。ババルは戦斧を振り上げたまま動きを止めた。刹那ののち、どうっと崩れ落ちる。槍は一撃でその喉を貫いていた。
「見事!」
ヒスワは思わず身を乗り出して勇武を称えた。グルカシュは下馬して平伏すると、すまして言うには、
「いかがです。用いていただけますでしょうか」
ヒスワは興奮して、
「用いぬ道理があろうか。この神都にお前より強いものはおるまい。あの牛頭蝨を一蹴した武勇のほど、戦場でも見せてもらおう」
こうして呼擾虎グルカシュは軍籍に身を置くことになった。
ヒスワはすべての準備を整えると、大院にて東征の件を諮った。とはいえ、上卿以下ことごとくヒスワの意のままであったから即座にことは決した。クルイエはすでに形骸を留めるばかりで、ヒスワの思いどおりにならないことはない。
軍制においてもかつての原則は崩れ去った。というのは、東征軍の将軍に任命されたのは、貴族どころか神都のものですらない呼擾虎グルカシュであった。これにはみな驚いたが、あえて反対するものもなかった。
ヒスワ自身は、将軍の上に新たに元帥の位を設けて、自ら就任することにしたのである。