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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
17/783

第 五 回 ①

インジャ往きて盟友を援け自ら母を迎え

セイネン窮して義君に投じ以て計を致す

 さて、インジャらがエジシとタンヤンを歓迎して宴を催しているところに、ナオルが現れた。何やら鬱々とした様子なのでエジシがわけを尋ねると言うには、


「実は(エチゲ)が近ごろ病気がちなので、私を呼び戻そうというのです」


「何と。早く帰ってあげればよいではありませんか」


 するとますます沈鬱な表情で、


「ところがそう易くはいかないのです……」


「と言いますと?」


 しばらく黙っていたが、やがて(オロ)を決して語りはじめる。


「私には(アカ)が二人いて、それぞれジョンシの右軍(バラウン)左軍(ヂェウン)を率いています。本来、父の中軍(イェケ・ゴル)末弟(ニルカ)たる私が継ぐことになっているのですが、二人の兄が族長(ノヤン)の座に固執していて、迂闊に戻ると殺されかねない情勢なのです」


 一同は等しく(フムスグ)(ひそ)めたが、独りエジシはからからと笑う。ハクヒがこれを(たしな)めて気色ばむ。


「エジシ様。ナオル殿が悩んでいるというのに、笑いごとではありますまい」


いやいや(ブルウ)、失敬失敬。悩むことはありませんぞ。聞くところによるとダルシェ撃退の際には見事な策戦を建てられたそうですが、己のこととなるとその慧眼も曇るようですな」


「良い案がございますか。私は今は何も考えられません」


「そんなたいしたことではございません。何といってもナオル殿はタロト部に在るのですぞ。何よりここにいるインジャ殿と、盟友(アンダ)の誓いを結んでいるではありませんか」


 ナオルはそう言われてしばらくぼうっとしていたが、俄かにあっと叫ぶ。平伏して礼を言うと、あたふたとその場を辞して出ていった。


 みなさっぱりわけがわからない。ハクヒがきょとんとして、


「どういうことです? 我々には皆目見当がつきません」


「ふふふ、いずれわかりますよ。機会(チャク)を逃さず動きなさい。それだけ申し上げておきましょう」


 とて、それ以上は語らない。インジャらはただ首を捻るばかり。




 翌日、インジャは突然ジェチェンに呼び出された。大ゲルにはハーンのほかにナオルの姿(カラア)があった。ジェチェンは長髯(オルトゥ・サハル)をしごきつつ、射る(ハルワフ)ような視線を向けて言った。


「インジャ。お前に(たの)みたいことがある」


「何なりとお申しつけください」


「ナオルから事情(アブリ)は聞いておろう。まもなくナオルはジョンシに帰る。お前はこれを護衛して送り届けてやるがよい。そのために麾下の兵に加えて、タロトから三百騎を与えよう」


はっ(ヂェー)、承りました」


「もし何か変事があれば、お前の裁断に(まか)せる。無事にナオルが族長(ノヤン)になれば、それがお前の功じゃ。よいな」


はっ(ヂェー)、謹んで(ヂャルリク)をお受けいたします」


 平伏して辞すと、ハクヒにこのことを(はか)った。

 するとハクヒは興奮して、


「エジシ様のおっしゃった()()とは、このことではありませんか」


「私もそう思う。まったくエジシ様には恐れ入る」


 そこへナオルが訪ねてきた。それぞれ席に着くと言うには、


「義兄、悟られましたか」


ああ(ヂェー)、これを機に草原(ミノウル)に再びフドウの(トグ)を掲げるつもりだ。もちろんハーンもそれを承知で我々を野に放つのだ」


 ナオルは頷いて、


「ジョルチ部のうちに、ハーンに近しい勢力を作ろうという意図でしょう」


「エジシ様はまったく知恵者(セチェン)だな。ナオルにとっても、私にとっても、ハーンにとっても大きな利がある」


「では義兄、三日後に発つ予定ですから、そのおつもりで」


「わかった。準備しておこう」


 その三日が経ち、一同は進発した。先頭にはインジャが立ち、ナオル、シャジ、ハクヒ、タンヤンの順で従った。しばらく進んでいくと、一隊の騎兵が立ち(ふさ)がる。その数およそ五百騎。中から二騎進み出てくると、ナオルに(ホロー)を突きつけ罵って言うには、


「おい、お前はメンドゥの妖人に我が氏族(オノル)を売る気だな。早々に立ち去れ。さもなくばその首を置いていけ!」


 これこそナオルの二人の兄。長兄をスムド、次兄をウルゲンという愚物(アルビン)。ナオルも怒り(アウルラアス)(ヌル)(あか)くして罵り返す。


「何を言う! お前らこそ私欲のために我が氏族(オノル)を滅ぼそうとしているのがわからぬか! 兄とはいえ(ゆる)さぬぞ。兵を引き渡せば(アミン)だけは助けてやろう」


 二人の怒るまいことか、すぐにも突撃の(カラ)を下さんとて(ガル)を挙げる。


 と、インジャの軍中から、ひょうと一矢が放たれた。矢は(たが)うことなくスムドの(マグナイ)を射抜く。どうっと落馬して、その軍勢はおおいにどよめいた。射たのはほかでもない、タンヤンである。


 すかさずインジャ軍が銅鑼を鳴らして大喊声を挙げれば、敵兵は早くも浮足立つ。そこにシャジが進み出て呼びかける。


「お前らもジョンシの人衆(ウルス)なら、どちらが正しいか判るだろう。ナオル様は正統な世嗣であるぞ! ただちにそこの謀叛人(ブルガ)を捕らえて正道に復せ!」


 ウルゲンは狼狽(うろた)えて何か言おうとしたが、ただ(オロウル)を震わせるばかり。ついに喊声が挙がると、ジョンシの兵は彼に襲いかかった。寄って(たか)ってウルゲンを捕らえると、後ろ手に縛り上げてナオルの前に引き据える。


「今こそ団結して氏族(オノル)を守らねばならぬというのに私欲のために私の命を狙うとは……。もはや生かしてはおけぬ。斬れ(オンラヂドクン)!」


 インジャがそれを制して、


「待て、ナオル。実の兄ではないか、ここは放逐するに止めておいてはどうか。兄弟でこれ以上(ツォサン)を見るには及ぶまい」


 ナオルはなおも怒りが治まらぬ風だったが、やがて大きく息を吐くと、


「よし、義兄の情に免じて今回だけは(ゆる)してやろう。二度と姿を現すな」


 ウルゲンは縄を解かれて(アクタ)を与えられると、一散に逃げ去った。彼はそのままメンドゥ(ムレン)を渡ってウリャンハタ部のミクケル・カンに投じるのだが、それはまたのちのお話。

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