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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
169/783

第四 三回 ①

ドブン・ベク奸人を説いて盟約を締結し

グルカシュ囚徒を(ほふ)りて将印を拝受す

 さて、ナルモント部の新ハーン、ヒィ・チノに恐れを抱いた鎮氷河ことエバ・ハーンは、寵臣であるドブン・ベクの献策に(タルヒ)を悩ませていた。


 というのはその策が、北の異族(ホイン・カリ)に己の娘を(とつ)がせて、ヒィ・チノと対抗するというものであったからである。三日三晩、あれこれ考えた末に、ついにドブンを召して言った。


「やむをえん。娘を、異族(カリ)にやろう」


 その(ヌル)は見るも無残に憔悴しきっている。怜悧で情の薄いドブンもそれを見ては(セトゲル)を動かさずにはおれず、面を伏せて言った。


「英断でございます。これで敵人(ダイスンクン)(はずかし)められることはありません。早速使者を送られるがよろしいでしょう。私は神都(カムトタオ)へ出向いて、ヒスワを説得します」


 これですべてが決まり、エバの娘アラクチュを異族の王であるケルン・カーンへ嫁がせることになった。使者にはやはり腹心のズベダイが選ばれ、(テルゲン)宝物(エド)を満載して(ホイン)へと向かった。


 ドブン・ベクも宝珠(ダナ)を持参して神都(カムトタオ)へ赴いた。ナルモント部のものに(とが)められるのを恐れて、西(バラウン)へ大きく迂回してから(ムレン)を渡る。


 無事に神都(カムトタオ)へ辿り着いたが、まず城門(エウデン)で厳しく来意を問われる。隠し立てする必要もないので、セペート部の使者であることを伝えた。門衛(エウデチ)の長がしばらく待つように告げて、宮城へと駈け去る。


 ずいぶん待たされたあとにやっと入城を許されると、案内の兵士数名に連れられて宮城へ向かった。


 神都(カムトタオ)は往時の面影もなく、ひっそりとしているように見受けられた。人の往来も減り、たまに道行くものは辺りを(はばか)るように(ノロウ)を丸めて早足で過ぎていく。ドブンは、ふんと(ハマル)を鳴らすと、ゆっくりと歩を進めた。


 宮城はこの(ゾン)に大改修されたらしく、そこだけが頽勢に(あらが)うかのようである。ヒスワの虚しい自尊心が(あらわ)になったそれを、民衆(イルゲン)はどう見ているのであろうか。


 ぼんやりと考えごとをするうちに宮城の門に辿り着く。ついてきた兵士は門衛に彼を引き渡して去っていった。


 宮内に入れば、そこかしこに華美な装飾が施されている。長い廊下を二度、三度と曲がると、正面に大きな(ハアルガ)が見えてきた。その扉も黄金宝玉の類を惜しげもなく(ちりば)めた(ニドゥ)(くら)むような代物。


 ドブンはそれを見て、やはり感心するよりも寒々しい気分になる。


「中でヒスワ様がお待ちです」


 と、目の前の扉がゆっくりと開いた。室は相当な広さである。鮮やかな文様に彩られた張幕(ホシリグ)がするすると開くと、奥に一人の男が(チェエヂ)を反らせて座っていた。左右には飾り槍を持った兵士が並んで、威を添えている。


 ドブンはそっと目を伏せて、深々と拝礼した。


「セペート部の使者とか。遠い(ホル)ところをよくぞ参られた。直答を許す。近く寄れ」


 そのあまりの仰々しさにドブンは呆気にとられたが、扉の脇にいた老臣の導くままに進み出て平伏した。


「ハーンの代理で参りましたドブン・ベクと申します。神都(カムトタオ)の英雄ヒスワ様に拝謁の栄を賜り、ありがたき幸せに存じます」


「そう堅くなるな。近ごろは私も暇を持て余しているのだ」


 その言葉(ウゲ)(したが)って顔を上げたドブンは、思わずあっと(ダウン)を挙げそうになった。ヒスワは眉目秀麗、かつ気力旺盛な二十代半ばの策略家だと聞いていたのに、目の前の男はどう見ても中年を過ぎていた。眼には光なく、身体(ビイ)は醜く肥満(タルガン)している。


「どうした? 余がヒスワだ。何か神都(カムトタオ)を利する知恵を携えてきたのか」


はっ(ヂェー)……」


 ドブンは早くも己の失策(アルヂアス)を悔いたが、すでにことは動きだしている。この肥満漢を説いて、兵を出させなければならない。失望の色を押し隠しつつ言った。


「東原に猶予ならざる事態が起こっております。ナルモント部のハーンが代わりました。その名はヒィ・チノ・ハーン。東原では神箭将(メルゲン)という奴の渾名(あだな)を知らぬものはおりません。ナルモント部と我がセペート部は、代々仇敵(オソル)の間柄ですが、ヒィ・チノの登極で我々は一挙に不利な形勢に立たされました。そこで是非とも神都(カムトタオ)(クチ)をお借りしたいのです」


 そこでちらりと反応を窺ったが、相変わらず眼の色は濁った(ブデグ)まま。面倒そうに(アマン)を開くと、


「東原のことは東原で処置すればよかろう。神都(カムトタオ)に何の関わりがある」


 ドブンはその知恵の(めぐ)りの悪さに内心舌打ちしたが、自らを励まして言うには、


「東原の大族といえば、ナルモント部とセペート部の二者しかありません。ヒィ・チノは雄心(ヂルケ)旺盛な英傑(クルゥド)。我らが屈すれば、次に欲するのはこの神都(カムトタオ)の富です。神都(カムトタオ)を得れば両河の東方をほぼ押さえて、遥か天下を望むことができるのですから。つまりセペート部と神都(カムトタオ)は利害を等しくするもの。両者は謂わば(オロウル)と歯の関係、『唇(ほろ)べば歯寒し』と俚諺にもあります。ここは盟を結んで神箭将に対抗するべきです。そうすればナルモントを挟撃する形勢が成り、必ずや利益をもたらすでしょう」


 ここで初めてヒスワの眼が鈍く光った。ドブンは目敏(めざと)くそれに気づいたので、さらに熱弁を振るって、


「我らがヒィ・チノの軍勢を河北に誘い出します。貴殿はその隙に奴の留守(アウルグ)を突いてください。そうすればヒィ・チノは巣を失った(ウネゲン)も同然、天下に帰るところを失います。これこそ上天(テンゲリ)が与えた好機(チャク)神都(カムトタオ)西(バラウン)で失った覇権を(ヂェウン)で復し、再び天下を望む力を得るでしょう」


 口を閉ざして返答を待つ。


 ヒスワの頭が(ようや)く回りはじめる。先の敗戦以来、()びついていた(タルヒ)知恵者(セチェン)と呼ばれた知恵が(よみがえ)ろうとしていた。

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