第四 二回 ④
神箭将バヤリクトゥを急襲し患を除き
飛虎将クリルタイにて揚名し位に即く
「浅学非才の身でありながら、ハーンの大任を負うこととなった。みなの力を借りて、ナルモントの名を天下に知らしめようぞ」
そして大きく息を吸い込むと、人衆に宣言して、
永えの天の力にて誓おう
憎きセペート部を滅ぼし、積もる恨みを報じよう!
永えの天の力にて誓おう
衆庶の安寧を保ち、家畜の数を倍にしよう!
永えの天の力にて誓おう
民衆に仁を、軍事に法を、盟約に義を、祖宗に礼を、部族に光を!
高々と手を挙げれば、金鼓がどっと打ち鳴らされ、一同その名を讃えた。タガチャイは顔を赧めて末席に退き、平伏して震えていた。オルサ氏の兵や長老ですら新たなハーンに心酔して、タガチャイを顧みるものはなかった。
こうしてクリルタイは終了し、みな己のアイルへ帰っていった。
ヒィ・チノ・ハーンは翌日、最初の勅命として、セトゥ氏の処分を行った。バヤリクトゥの長子ブルドゥン・エベは追放、その家畜と人衆は諸氏に公平に分配された。
その後も多忙な日々は続く。
まず軍を再編して新たに軍法を定めた。ヒィの私兵は病大牛ゾンゲル指揮の下、侍衛軍として正規軍に組み入れられた。ゾンゲルは感激してさらに忠誠の心を厚くした。
ほかにも若い将軍たちが要職に抜擢された。すなわちツジャン、ワドチャ、キセイ、モゲトの地位が引き上げられ、ハーンを翼けることになったのである。
旧弊は次々と打破され、諸事が簡便化された。牧地の調査にも着手、ハーンの統治下で部族がひとつにまとまるよう改革が推し進められた。これらのほぼすべてがツジャン・セチェンの献策によるものである。
また四方に使者を送って、ヒィ・チノ・ハーンの即位を伝えた。高名な神箭将の登極に周囲の部族は恐れを抱き、続々と祝賀の使者を返した。小部族の類は自ら足を運んで臣従を申し出た。
唯一、セペート部だけが使者を罵って追い返した。これを聞いたナルモントの人衆はおおいに怒り、来たるべき戦に備えたのであった。
そのセペート部との戦で重傷を負ったダコン・ハーンは、ヒィの即位後ほどなくして死去した。キセイが葬送の任に当たり、遺体はハラ・ニウムの北にあるアヂュエア山麓に埋められた。
そうこうするうちに草原は漸く冬を迎えんとし、みな慌ただしく動きはじめた。ヒィ・チノはともすれば混乱しがちな冬営地への移動の指揮を見事にこなし、諸氏いずれも人畜を損なうことがなかった。
さて、セペート部を治めていたのは「鎮氷河」の異名を持つエバ・ハーンであった。まもなく五十になろうとする老練かつ狡猾なハーンである。
彼はナルモント部の使者を追い返したものの、鬱々として気が晴れず、寵臣であるドブン・ベクを召してこれに諮った。すると言うには、
「ヒィ・チノは先代の翻天竜を凌駕する英傑とか。とても単独では抗えません。かといって東原に恃みとするべき部族はありません」
エバは眉間に深い皺を刻んで唸ると、
「むむ、それでは八方塞がりではないか」
「ご心配なく。東原には、と申し上げたのです」
「どういうことか」
ドブン・ベクが得々と語るところを聞けば、
「ひとつには神都のヒスワ・セチェンと結ぶことです。ヒスワはヒィ・チノと何の盟約もありません。かつて中原で敗れたとはいえ、ジュレン部は一度は草原を制した部族、その力は侮れませぬ。これを抱き込めば、ナルモントは腹背に敵を受けることになります」
エバは興味を抱いて、身を乗り出した。
「今ひとつは、北の異族と結ぶことです。奴らは未開の蛮族ですが、兵事に関してはなかなかのもの。屈強な兵と、旺盛な闘争心を持っております。これを先鋒にしてヒィを迎え撃てば、いかな神箭将といえどもおいそれと破れますまい」
しかしエバは再び眉を顰めて、
「北の異族とは長年戦い続けている。かえってヒィと組むことはあっても、我らとは難しいのではないか」
ドブンは耳に入らなかったように、続けて言うには、
「奴らは知恵もなく、獣も同然です。餌を与えれば喰いつくでしょう。ただそのためにはハーンにも心を決めてもらいます」
「心とは?」
「財宝、家畜、奴隷の出資はもちろんですが……」
ここでふっつりと口を噤んでしまったので、
「何だ!? ナルモントを破るためなら何でもくれてやる。申せ」
促してもまだ躊躇している風だったが、やっと口を開いて、
「それでは申します。ハーンのご息女を異族に嫁がせるのです。そうすれば喜んでハーンのために戦うでしょう」
これを聞くや、エバは逆上して立ち上がった。
「ならん、それはならんぞ! あれはわしの宝だ。ほかは何でもくれてやるが、あれだけはならん! この無礼者め!」
ドブンは動揺する様子もなくすまして言うには、
「では諦めなさいませ。今からでもヒィ・チノに恭順の使者を送ればよろしい」
エバは途端に怒りも冷め、はたと言葉に詰まった。ドブンは一礼して静かに退出する。独り残されたエバは、どっかと腰を下ろして黙考した。娘は当年十五歳、妾腹だったが殊の外かわいがっていた。
「あれを、異族へ? ……できるか! しかし……」
さて、このドブン・ベクの献策から東原は俄かに風雲急を告げ、佳人ひとたび未開の地に献じられて、奸人再び野望を逞しくするということになるのだが、果たしてエバはいかなる方策をもってヒィ・チノ・ハーンに対抗するか。それは次回で。




