第四 一回 ③ <キセイ登場>
獅子ムジカを訪ねて三傑盟を結び
神行ヒィを索めて神箭邦へ還る
その使者は、ムジカのゲルで歓待を受けていた。チルゲイはずかずかと乗り込むと、さっさと席に着いて言うには、
「朝から豪奢、豪奢」
そうして使者を盗み見るに、その人となりはといえば、
身の丈七尺半、細面痩躯、細い目、大きな鼻、常に喜色を湛え、笑面人を和すに効あり、すなわちひとたび笑えば相手を喜ばしめ、再び笑えば民を歓ばしめ、三たび笑えば国を慶ばしめ、さらに笑えば仇敵をも悦ばしめる異能の主。
チルゲイも思わず笑みを浮かべて、
「ナルモントの使者殿とお見受けしました。私はウリャンハタ部カオエン氏のチルゲイと申します。ヒィ・チノはまもなく来るでしょうから、ゆるりとなさってください」
すると男は居住まいを正して、喜色はそのままに答えて言った。
「それがそうゆっくりもしていられないのです。私はナルモント部ムヤン氏の出自で、キセイと申します。能く馬を駆って日に千里を行くので、人からは『神行公』と呼ばれて、急使伝令を務めております」
チルゲイはそれを聞いて、ナルモントを去るときにヒィがツジャンに言った言葉(注1)を思い出した。これは大事が起こったに違いないと思いつつ、
「神行公の名は耳にしておりました。お目にかかれて嬉しく思います」
そこでムジカが言った。
「ヒィは何処へ行ったのだ」
「獅子殿と遠駆けに行ったものと思われる。戻るまで諸将を集めて、キセイ殿を歓待しようではないか」
一も二もなく賛成して、マクベンに命じてみなを集める。早速一堂に会した好漢は、上席からムジカ、タゴサ、ゴロ、ナユテ、チルゲイ、ハリン、オンヌクド、マクベン、アルチンの九人。客座にはキセイが座る。それぞれ挨拶を交わしているところへアンチャイが来たので、
「獅子殿を知らないか」
と尋ねれば、
「ヒィ殿と駆けてくると今朝早く出たきりです」
キセイはがっかりした様子だったが、すぐに気を取り直してみなと乾杯する。一同はおおいにキセイを歓迎して酒食に興じたが、肝心のヒィとギィは一向に帰ってくる気配もなく、いつの間にか夕方になり、みなそわそわと心配しているうちに日が暮れてしまった。
果たして夜になっても戻らないので、キセイはチルゲイらのゲルに泊まることになった。翌日、ムジカはオンヌクド、マクベン、アルチンの三将にそれぞれ二百騎を与えて、四方にヒィを捜しに行かせた。
何の知らせもないままに日は過ぎて、ついに四日目の朝となった。みなムジカのゲルに集まって頭を抱えていたところに、何の前触れもなく二人が帰ってきた。誰もがあっと声を挙げてあれやこれやと問いかければ、ヒィは辟易して言うには、
「いったいどうしたのだ?」
タゴサが目を吊り上げて、
「それはこっちが聞きたいよ! みなに心配かけて、今までどこをうろついていたんだい?」
二人は顔を見合わせて、漸く言うのを聞けば、何とアステルノのアイルを訪ねていたとのこと。みなほっとするやら呆れるやら、ともかく席に着かせると、ムジカが溜息混じりに言った。
「ひと言残しておけばよいものを。おかげで要らざる心配をした。ナルモントから客が来ているんだぞ」
これを聞いて今度はヒィが驚く。
「ナルモントから? 誰が来た?」
「神行公キセイという方だ。急用らしいから、この四日間というもの、毎日はらはらして君を待っていたんだぞ」
「キセイか。さては何かあったな……」
ヒィはそう言ったきり黙り込む。ともかくキセイにヒィの帰還を伝えさせれば、たちまちやってきて言うには、
「おお、この放蕩児め。遊んでいるときではないぞ。すぐに東原に戻ってもらわねばいかん」
厳しい口調ではあったが、面にはやはり笑みが浮かんでいる。
「君が遠路はるばる訪ねてきたということは、大事が出来したということだな。いったい何があった?」
ヒィの問いに答えてキセイが語ったのは、驚くべき話。
先ごろナルモント部は、ヒィの父である翻天竜ダコン・ハーン自ら大軍を率いて、宿敵セペート部にひと泡吹かせんと出陣した。セペート部も大軍を動員して両軍は激突、一進一退を続けたが、この戦には意外な結末が待っていた。
三度目の会戦にてセペート部を蹴散らしたダコン・ハーンは、勢いに乗って敵を追撃したが、突如馬の前脚が折れて落馬してしまった。このときの負傷のせいで臥せることとなり、嫡子ヒィ・チノの帰りを今か今かと待ち望んでいるとのこと。
さらに部族のうちでは、次のハーン選出を控えて反ハーン派の蠢動も始まっているという噂もあった。
「セトゥ氏族長のバヤリクトゥなどは、自分こそ次のハーンと公言して憚らぬ。一刻も早く帰らねば、己の家すら失うぞ」
一同はキセイの話に顔色を変えたが、当のヒィは、
「ふふん、バヤリクトゥだと? あんな阿呆に何ができる」
と嘯く。ムジカがごくりと唾を飲み込んで、
「そうは言ってもゆっくりしてはいられまい。早急に帰郷の準備を」
ヒィはおもむろに立ち上がると、決然とした様子で、
「よし、帰ろう。敵は恐れるに足りん。むしろ俺が聞きたいのは……」
キセイはその言葉を中途で遮って、
「心配ない。ムヤン、サトラン、タラントなどの諸氏の結束は崩れていない。ツジャン・セチェンがみなを纏めている。しかし、それもハーンが存命しているからだ。事態は一刻を争うぞ」
ヒィ・チノは力強く頷くと、チルゲイらに向かって言った。
「聞いたとおりだ、君たちと旅を続けることはできなくなった。俺は帰ってハーンになる。君たちと過ごしたこの一年は楽しかった。フドウのインジャによろしく伝えてくれ」
チルゲイは応えて拱手すると、前途の幸運を祈った。ムジカ、ギィらも別れの挨拶をする。さらにチルゲイが言うには、
「長いようで短い一年だったな。ミヤーンと三人で不浄大虫バーリルを討ってから我らの旅が始まったが、その間いろいろなことがあった。多くの好漢と交誼を結んだが、フドウまでは至らず残念なことこの上ない。しかし必ずまた会おう。そのときには君はハーンになっていることだろう。楽しみにしているぞ」
「ふふ、楽しみだな。さて次に会うとき、君は何をしているんだ?」
「はは、相も変わらず、このままでいるだろうさ」
(注1)【ツジャンに言った言葉】第三 三回③参照。