第四 〇回 ③
ナユテ疑を排して獅子を西南に索め
ギィ漢を迎えて気魄を胸宇に復す
チルゲイが旅の顛末を語り終わると、ギィが言った。
「フドウのインジャ殿をご存知だったとは。ベルダイでお会いして以来(注1)だ。フドウに向けて発つときには、このギィからの書状を預かっていただきたい。それまではマシゲルの客として遇しよう」
ヒィが笑って、
「ということは疑いは晴れたということだな」
「いかにも。神箭将とその兄弟の言葉だ、信じよう」
ゴロのほうを見れば、やはりすっかり疑心は消えている。なぜなら、
「サルチン、ヘカトと結んだ方なら私も否やはない。彼らもまた神都を去ってホアルンにいるとは初めて知った」
四人がまた口々に彼らの様子を伝えれば、ゴロはおおいに喜ぶ。しかしそれと同時にヒスワの専制について考えざるをえず、心中穏やかではなかった。
酒食が運ばれて、しばらく他愛のない話題にうち興じていたが、やがてチルゲイが居住まいを正して言った。
「ギィ殿。アンチャイ殿から伝言を承っているのですが……」
これを聞いたギィは、びくりと肩を震わせると思わず杯を取り落とした。あわてて拾い上げると苦笑して、
「これは粗相をした。私としたことが妻の名を聞いて動揺した」
「ごもっともなことです。しかしご心配なく。アンチャイ殿は、ジョナンの客としてトオレベ・ウルチのもとに送られることもなく無事に過ごしております。人衆、家畜の多くは献じるほかありませんでしたが、ご夫人だけはムジカをはじめ諸将がその高潔な志に感銘を受け、アイルに留めたのです。ギィ殿が望めば、いつでも喜んでこれを返すでしょう。ムジカは真の英傑、何の心配も要りません」
ギィはおおいに安堵したが、反面己の不明を責めて気が重くなる。チルゲイは知ってか知らでか、すぐに言葉を継いで、
「アンチャイ殿が言うには、『私は好漢の方々の恩顧を賜り、無事に暮らしております。人衆はみな獅子の名が再び世に顕れることを信じています』とのこと」
ギィはこれを聞くや、堪らず叫んだ。
「ああ、私は何と愚かな夫だろう! 妻の身も守れず、こんなところに籠もっているとは。しかしアンチャイは何と賢い妻だろう!」
みな驚いて、あわててこれを慰める。ナユテが言った。
「アンチャイ殿はまことに徳高き女性。アイルを接収するためにやってきたセント氏の神風将軍に、臆することなく相対したそうです。ムジカらはそれによってアンチャイ殿を尊ぶようになったのです」
ゴロやコルブは幾度も頷く。独りギィは嘆息して已まない。突然ヒィ・チノが卓を叩いて言った。
「嘆くばかりでは何にもならぬぞ、獅子らしくもない。アンチャイの信に報いようとは思わんのか」
これにはみな呆気にとられる。さらにヒィは続けて、
「アンチャイは敵人が眼前に迫っても狼狽えることなく、さながら勝者のごとく堂々とこれを迎えたそうだ。なのに君はただ一度の敗戦で弱気になっている。それではアンチャイの志も無になるぞ」
ギィは衝撃を受けて言うべき言葉も知らない有様。居並ぶ好漢はみなどうなることかと肝を冷やす。しかしギィがやがて言うには、
「神箭将、君の言うとおりだ。たしかに弱気になっていた。よし、私は上天に誓おう。再び草原に繰り出し、獅子の名を知らしめてみせよう!」
一同わっと歓声を挙げる。ヒィもにやりと笑って、
「それでこそ獅子だ。暴言は恕されよ」
かくして座には笑顔が戻り、語れば語るほどに意気投合したがそれもそのはず、みなもとよりテンゲリが定めた宿星であった。彼らは夜が更けるまで語り合ったが、この話はこれまでとする。
さて四人はマシゲルの客となり、日を重ねていった。昼は狩りに興じ、夜は宴を楽しむ毎日。
ここでの狩りは馬に騎らず徒歩で行った。狩りの獲物は小鼠をはじめとする小さな獣だったが、ごくたまに虎や野鹿などに出合うこともある。
まず狩場を決めて、周辺に二十人をひと組とした部隊を幾つも配置する。彼らは金鼓を持ってこれを打ち鳴らしながら、猟犬とともに獣を追う。その先に弓手が待ちかまえていて、追われてきた獣を射殺すという算段である。
コルブはそこで神箭将ヒィの並々ならぬ腕前に驚嘆し、これに師事して技を磨くことにした。もとより弓術に秀でた将だったので、みるみるうちに上達してヒィをも驚かすほどになったが、くどくどしい話は抜きにする。
そんなある日のこと、チルゲイとナユテは意を決してギィを訪ねた。ギィは喜んでこれを迎えたが、二人の表情は硬いまま。何ごとかと尋ねれば、突然膝を屈して平伏する。おおいに驚いて助け起こそうとしたところ、チルゲイが言うには、
「今まで隠していたことがある。白状して赦しを請うために参った。先の戦のことなのだが……」
訝しがるギィに、二人はバラウンを陥れたことを偽りなく語った。聞き終えたギィはしばらく無言であったが、その表情からは何を考えているのかさっぱり判らない。
(注1)【ベルダイでお会いして以来】婚礼の挨拶のためベルダイを訪れていたギィを、インジャらが訪ねて会ったこと。初対面は第一 七回②。以降、ともにサルカキタンと戦い、別れたのは第一 八回③。