表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻三
159/783

第四 〇回 ③

ナユテ疑を排して獅子を西南に(もと)

ギィ漢を迎えて気魄を胸宇に復す

 チルゲイが旅の顛末(ヨス)を語り終わると、ギィが言った。


「フドウのインジャ殿をご存知だったとは。ベルダイでお会いして以来(注1)だ。フドウに向けて発つときには、このギィからの書状を預かっていただきたい。それまではマシゲルの(ヂョチ)として遇しよう」


 ヒィが笑って、


「ということは疑いは晴れたということだな」


いかにも(ヂェー)神箭将(メルゲン)とその兄弟の言葉(ウゲ)だ、信じよう」


 ゴロのほうを見れば、やはりすっかり疑心は消えて(ブレルテレ)いる。なぜなら、


「サルチン、ヘカトと結んだ方なら私も否やはない。彼らもまた神都(カムトタオ)を去ってホアルンにいるとは初めて知った」


 四人がまた口々に彼らの様子を伝えれば、ゴロはおおいに喜ぶ。しかしそれと同時にヒスワの専制について考えざるをえず、心中穏やかではなかった。


 酒食が運ばれて、しばらく他愛のない話題にうち興じていたが、やがてチルゲイが居住まいを正して言った。


「ギィ殿。アンチャイ殿から伝言を承っているのですが……」


 これを聞いたギィは、びくりと(ムル)を震わせると思わず杯を取り落とした。あわてて拾い上げると苦笑して、


「これは粗相をした。私としたことが(エメ)の名を聞いて動揺した」


「ごもっともなことです。しかしご心配なく。アンチャイ殿は、ジョナンの客としてトオレベ・ウルチのもとに送られることもなく無事に過ごしております。人衆(イルゲン)家畜(アドオスン)の多くは献じるほかありませんでしたが、ご夫人だけはムジカをはじめ諸将がその高潔な(オロ)に感銘を受け、アイルに留めたのです。ギィ殿が望めば、いつでも喜んでこれを返すでしょう。ムジカは真の英傑(クルゥド)、何の心配も要りません」


 ギィはおおいに安堵したが、反面己の不明を責めて気が重くなる。チルゲイは知ってか知らでか、すぐに言葉を継いで、


「アンチャイ殿が言うには、『私は好漢(エレ)の方々の恩顧を賜り、無事に暮らしております。人衆(ウルス)はみな獅子(アルスラン)の名が再び世に(あらわ)れることを信じています』とのこと」


 ギィはこれを聞くや、(たま)らず叫んだ。


「ああ、私は何と愚かな夫だろう! 妻の身も守れず、こんなところに籠もっているとは。しかしアンチャイは何と賢い妻だろう!」


 みな驚いて、あわててこれを慰める。ナユテが言った。


「アンチャイ殿はまことに徳高き女性。アイルを接収するためにやってきたセント氏の神風将軍(クルドゥン・アヤ)に、臆することなく相対したそうです。ムジカらはそれによってアンチャイ殿を尊ぶようになったのです」


 ゴロやコルブは幾度も頷く。独りギィは嘆息して()まない。突然ヒィ・チノが(シレエ)を叩いて言った。


「嘆くばかりでは何にもならぬぞ、獅子らしくもない。アンチャイの(イトゥゲルテン)に報いようとは思わんのか」


 これにはみな呆気にとられる。さらにヒィは続けて、


「アンチャイは敵人(ダイスンクン)が眼前に迫っても狼狽(うろた)えることなく、さながら勝者のごとく堂々とこれを迎えたそうだ。なのに君はただ一度の敗戦で弱気になっている。それではアンチャイの志も無になるぞ」


 ギィは衝撃を受けて言うべき言葉も知らない有様。居並ぶ好漢はみなどうなることかと(エレグ)を冷やす。しかしギィがやがて言うには、


「神箭将、君の言うとおりだ。たしかに弱気になっていた。よし、私は上天(テンゲリ)に誓おう。再び草原(ケエル)に繰り出し、獅子の名を知らしめてみせよう!」


 一同わっと歓声を挙げる。ヒィもにやりと笑って、


「それでこそ獅子だ。暴言は(ゆる)されよ」


 かくして座には笑顔が戻り、語れば語るほどに意気投合したがそれもそのはず、みなもとよりテンゲリが定めた宿星(オド)であった。彼らは夜が()けるまで語り合ったが、この話はこれまでとする。




 さて四人はマシゲルの客となり、(ウドゥル)を重ねていった。昼は狩りに興じ、夜は宴を楽しむ毎日。


 ここでの狩りは(アクタ)()らず徒歩で行った。狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)小鼠(クチュグル)をはじめとする小さな(アラアタヌイ)だったが、ごくたまに(カブラン)野鹿(カンダガイ)などに出合うこともある。


 まず狩場を決めて、周辺に二十人(ホリン)をひと組とした部隊を幾つも配置する。彼らは金鼓を持ってこれを打ち鳴らしながら、猟犬(ハサル)とともに獣を追う。その先に弓手(ホルチン)が待ちかまえていて、追われてきた獣を射殺すという算段である。


 コルブはそこで神箭将ヒィの並々ならぬ腕前(エルデム)に驚嘆し、これに師事して技を磨くことにした。もとより弓術に秀でた将だったので、みるみるうちに上達してヒィをも驚かすほどになったが、くどくどしい話は抜きにする。


 そんなある日のこと、チルゲイとナユテは(オロ)を決してギィを訪ねた。ギィは喜んでこれを迎えたが、二人の表情は硬いまま。何ごとかと尋ねれば、突然膝を屈して平伏する。おおいに驚いて助け起こそうとしたところ、チルゲイが言うには、


「今まで隠していたことがある。白状して(ゆる)しを請うために参った。先の(ソオル)のことなのだが……」


 (いぶか)しがるギィに、二人はバラウンを(おとしい)れたことを偽り(クダル)なく語った。聞き終えたギィはしばらく無言であったが、その表情からは何を考えているのかさっぱり判らない。

(注1)【ベルダイでお会いして以来】婚礼の挨拶のためベルダイを訪れていたギィを、インジャらが訪ねて会ったこと。初対面は第一 七回②。以降、ともにサルカキタンと戦い、別れたのは第一 八回③。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ