表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻三
155/783

第三 九回 ③ <ハリン登場>

アンチャイ独り神風を迎え衆庶を(まっと)うし

チルゲイ俄かに初志に還り行旅を云う

 注目を浴びた奇人は呵々大笑すると、


「易い、易い。知恵というほどのものでもない。なあ、神道子、君ならどうする」


 即座に答えて、


「君と同じ(アディル)ことをするさ」


「そうだろう。ではちょっと中座させていただく。戻ってきたときにはすべて解決しているはずだから、待っていてもらいたい」


 チルゲイはヒィを伴ってゲルを出た。みな意図が判らずぽかんとしている。独りナユテだけがにやにやしながら杯を傾けた。


 半刻ほど経っただろうか、不意に二人が戻ってきた。


「おお、待ちかねたぞ。いったいどうなった?」


 ムジカが問えば、すました顔で言うには、


偶々(たまたま)、賢くも美しい(オキン)を手に入れましたので、族長(ノヤン)様に献上します」


 驚いて彼の背後を見れば、何とそこにアンチャイが立っている。当人にも事情が呑み込めていない様子。オンヌクドが言った。


「これはいったい……」


 チルゲイが語るところによれば、


神箭将(メルゲン)と夜風に当たろうとぶらぶらしていたところ、なぜかかくも美しい娘がいたので、族長(ノヤン)様に献じようとて連れてきたのです。どうぞお納めください」


 傍ら(デルゲ)からヒィが口添えして言うには、


「それはそうと、たしかに(とら)えたはずの獅子(アルスラン)(エメ)は、いつの間にか逃げ出してしまったようで、捕虜の中には見当たらなかったぞ。衛兵(ケプテウル)を叱っておいたから今後このようなことはあるまいが」


 一同はやっと二人の意図が解って大笑い。ムジカも笑みを浮かべて、


「なるほど、獅子の妻は逃げたか。それでそこの娘は君らが見つけてきたと云うのだな」


いかにも(ヂェー)。この娘を丁重に扱うもハーンに献ずるも族長(ノヤン)様の(オロ)ひとつです」


 チルゲイがそう言って深々と拝礼したので、また座は笑いに包まれる。ムジカは二人に礼を述べて座らせると、アンチャイにも席に着くよう勧めたが、何と答えたかといえば、


「お志はありがたく思いますが、(ソオル)に敗れて人衆(ウルス)が難儀しているときに、私だけが施し(オグリゲ)を受けることはできません。将軍もそのようなことを軽々しく口にしてはいけません。それはマシゲルという部族(ヤスタン)に対して礼を失しております」


 ムジカらはおおいに()じ入り、みな席を立って謝罪した。その後、アンチャイは本人の願いもあって人衆のもとへ返すことにした。マシゲルの民は、アンチャイが連れていかれたので心配していたが、無事に戻ってきたのでおおいに安堵した。


 それでもこのあとアンチャイは、タゴサに仕えるという名目で幾人かの従者(コトチン)とともにジョナン氏のアイルに残ることになった。


 その他の捕虜、家畜(アドオスン)はことごとくハーンの下に送られて、後日改めて一部が恩賞としてジョナン、セント両氏に下賜された。その中に一個の女丈夫があって、アイルに送られてくるなり言うには、


「アンチャイ様に会わせてください。私はそのために八方手を尽くしてここに戻ってきたのです」


 その人となりを見れば、


 身の丈は七尺足らず、鹿(マラル)のごとき(ニドゥ)(ダナ)のごとき歯の美貌(オンゲ)、肌は銅のごとく赤く、胴は(ブカ)のごとくして(オモリウド)(ゲデス)(ボコレ)も大ならざるはなく、またその(セトゲル)も器に応じて広量、瑣事に拘泥せず、人の心を安んじるべき女丈夫。


 偶々(たまたま)居合わせたオンヌクドが、これは並の女ではないと看て取ってアンチャイに引き合わせれば、おおいに喜んで言うには、


「ああ、ハリン! 無事でしたか!」


「アンチャイ様も息災そうで何より。安心しました」


 オンヌクドがアンチャイに尋ねた。


「この人はどういう方ですか」


 答えて言うには、


「こちらはキライ氏のハリン。マシゲルに(とつ)いだ当初から側に仕えてくれていました。(ヌル)が赤く身体(ビイ)が大きいので『赫大虫(かくだいちゅう)(赤い虎の意)』と呼ばれています。恐ろしげな渾名(あだな)を付けられていますが、心優しく賢い女性です」


 するとハリンは笑って、


「そんなに褒められても困ります。とにかく会えて良かった」


 オンヌクドはタゴサに(はか)って、ハリンもまた側に置いてアンチャイと一緒にいられるようにした。二人がおおいに喜んだのは言うまでもない。




 それはさておき、この戦でマシゲル部の勢威は大きく後退し、獅子は雌伏の(とき)を過ごすことになった。代わってヤクマン部の版図(ネウリド)が拡大し、小部族(ヤスタン)の多くはトオレベ・ウルチ・ハーンに臣従した。


 一方、ムジカとアステルノは上将としての地位を確かなものとし、ときおり開かれる大会議(イェケ・クラル)に出向かねばならなくなった。


 そもそもこの勝利は四人の客人(ヂョチ)がもたらしたものであった。すなわち第一に神箭将ヒィ・チノは初戦で敗勢を(くつがえ)猛勇(カタンギン)を発揮し、第二にチルゲイとミヤーンの知略でバラウンを術中に(おとしい)れ、最後に神道子ナユテが(ブダン)の天候を正確に読んで策を(まっと)うさせたのである。


 その四人はといえば本来は旅の途上、(オブル)をジョナン氏のアイルで越すだけのつもりだったが、いつの間にか季節は(ゾン)も半ばになっていた。


 彼らは暇を持て余していたので、狩りをしたり、子どもと遊んだり、忙しくはたらくオンヌクドらを冷やかしたり、アンチャイとハリンを訪ねて話をしたり、つまるところ何もせずにぶらぶらして過ごしていた。


 今ではアンチャイも彼らが好漢(エレ)であることを知って、また傍に人と接するのが上手なハリンがいるのも手伝って、徐々に心を開くようになっていた。しかしギィの無事を朝夕上天(テンゲリ)に祈っていたのは言うまでもない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ