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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
152/783

第三 八回 ④

チルゲイ策を(めぐ)らし敵陣に埋伏を施し

バラウン計に(おちい)り闇夜に友軍を討つ

「チルチル、いるか」


 不安を誰よりも感じていたのは将たるバラウンである。


「ここにおります、ご心配なく。(チャク)をお待ちください。将の不安は全軍の士気に影響いたしますぞ」


「ふ、不安などあるものか。異状がなければよい」


 強がってみせたが、その拳はぎゅっと握られたまま。肌寒いほどであるにもかかわらず、(マグナイ)には脂汗を浮かべている。


 また辺りは静寂(ヌタ)に包まれる。気の遠くなるようなときが流れた。すでに夜半であろうか。突如、金鼓が轟いた。わあっという喊声が挙がり、(アクタ)(いなな)き、刀槍の交わる音が一斉に巻き起こった。


「お、おお、遭遇したか!」


 バラウンが立ち上がる。卒然としてチルゲイが現れて言った。


「ガロウ氏が(ブルガ)先鋒(ウトゥラヂュ)に出合い、交戦に入りました。座してお待ちください」


 そして闇の中に消える(ブレルテレ)


「チルチル、どこへ行く!」


 代わってミヤーンが現れて、


「敵はあわてて応戦もままならぬ様子。ここは定めのとおり金鼓を鳴らし、左方に待機する八氏族(ナェマン・オノル)を前線に投入するときです」


 そう言ったかと思うと、これも闇に消える。


「定めとは何だ、知らぬぞ!」


 (わめ)くと同時に八つの鼓とみっつの(かね)が交互に轟いた。バラウンは吃驚して転げそうになる。


「ご心配なく。合図は(とどこお)りなくすみました。さらに十二隊を投入します」


 そう言ったのはオンヌクド。しかし呼び止める間もなくすぐに去る。


「オヌオヌ、いったい戦況はどうなっているのだ!」


 バラウンは焦って叫んだ。そうするうちにも(バラウン)から(ヂェウン)から干戈の交わる音、怒号が絶え間なく聞こえてくる。馬蹄(トゥル)の響きが遠ざかり、また近づき、大地(エトゥゲン)が揺れる。


 そこへまた闇の彼方から来るものがあった。これぞ神道子ナユテ。


「敵もさるもの、頑強に抵抗しております。ここは力戦あるのみ、依然我が軍の優位は動いておりません。大将の気概(ヂルケ)が勝敗を決するでしょう。ときどき例の合図を出してください。全軍それに従う手はずになっています。合図は鼓八つ、(かね)みっつです。いずれ捷報がもたらされるでしょう」


「そ、そうか。それはそうとチルチルらは……」


「督戦に当たっております。(ソオル)が終わったら会えるでしょう」


 そう言って、やはり去っていく。


「待て!」


 呼び止めたが帰ってこない。戦はまだまだ続いている。そもそもバラウンは前線で勇戦するべき豪傑。後方で大軍を指揮した経験もない上に、このように視界の()かぬ戦闘(カドクルドゥアン)は初めてだったので、はなはだしく不安が募る。


 (たの)みの四人もいないとあっては為す術もない。ただナユテの言葉(ウゲ)を信じて、ときどき金鼓を鳴らさせるばかり。


 ところが一向に干戈の音は()むことがない。それどころかますます人馬の(ダウン)が辺りに満ち満ちて、ときに天空(テンゲリ)から降ってくるような錯覚に見舞われる。


「……戦はどうなっているのだ」


 やがて少しずつ(ブダン)が流れはじめた。それは次第に涼風となり、また(サルヒ)の来る方角が徐々に明るくなりはじめた。


「おお、朝だ」


 白くぼんやり(ブデグ)とした光が、彼方から這ってくるように伸びてきて、風が衣を()ぐように霧を払ってしまうと、闇は遠くなり、青く視界が開けてきた。


「戦況は……」


 バラウンはやっと周囲を見渡して、あっと驚いた。倒れ伏す人馬の(アウラ)が築かれた凄惨な状況に(ニドゥ)(みは)ったのではない。


 種々の(トグ)が雑じる友軍(イル)戦って(アヤラクイ)いる敵の旗を見れば、それこそまさに主君(エヂェン)たるマルナテク・ギィの金獅子旗(アルタン・アルスラン)


「あ、あ、あ、あれはギィ様の……!!」


 あまりのことに立ち尽くしていたが、はっと我に返るとあわてて叫んだ。


「止めよ、戦を止めよ! 撤退の合図を!」


 しかし金鼓隊は困惑するばかり。それもそのはず、決められた合図に撤退を命ずるものがなかったからである。


「何でもよい、鼓を、(かね)を、銅鑼を鳴らせ!」


 どうなるものでもないと知りながら、バラウンは怒鳴った。やむなく一斉に金鼓が打ち鳴らされる。


 これに惑ったのはもちろん勇戦する将兵たち。何の合図かさっぱり判らず、俄かに矛先が鈍る。マシゲル軍は得たりとばかりに反撃する。


「違う、違う! 我らは友軍だ!」


 独りバラウンが叫んだとて誰に通じるわけもない。そこではっとナユテの言葉を思い出した。


「そうか! 『()()()()()()()()()()()()()()』とはこのことだったか! 謀られた!」


 ときすでに遅く、両軍甚大な被害を出したあとであった。眼下ではいまだ激闘が続いている。


「ああ、このままではギィ様に合わせる(ヌル)がない。自害して詫びるべきか……」


 悶々と考え続けたがどうにもならない。側近(コトチン)の一人が恐る恐る言った。


「ことここに至ったからには、ギィ様の下に帰るわけにはいきません。いっそ逃げましょう。いずれ時宜(チャク)を見て(ゆる)しを請うべきかと……」


「……ううむ、やむをえん。一旦身を隠そう」


 バラウンは顔を赤黒く染め、ぎりぎりと歯噛みしながら決断すると、手近の兵を掻き集めて(ドブン)を下った。そろそろと戦場を離れると、あとは一目散に逃げだす。


 (したが)ったのは僅か数十騎。昨日まで一万騎(トゥメン)の将だったのが一夜明ければこの有様、これも宿運(ヂヤー)というほかない。


 まさに奇人の計略は数万騎を東西に(もてあそ)び、一夜を徹して獅子(アルスラン)を疲れしめ、ついにその一肢を奪うということになったわけだが、このことから一将おおいに面目を躍如し、奇人は再び道中の人となる。


 果たしてヤクマンとマシゲルの戦はどうなるか、また失意のバラウンジャルガルは何処に逃れるか。それは次回で。

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