第三 八回 ②
チルゲイ策を運らし敵陣に埋伏を施し
バラウン計に陥り闇夜に友軍を討つ
瞬く間に日は移った。ムジカは全軍を点呼して兵を六つに分けると、満足して諸将を集めた。
「奇人殿がすでに何らかの手を打っていると思う。我らも発つときが来た。アステルノ、用意はいいか」
「おお、遺漏はない」
「さすがは神風将軍。では嘱んだぞ」
アステルノは一隊を率いてアイルを去る。見れば旗は何処のものとも知れぬ旗、鎧や馬具もとてもヤクマンの正規兵とは思えぬ粗末なもの。隊伍もばらばらであったが、よくよく目を凝らせば馬はいずれも駿馬、兵はいずれも精鋭であった。
次に呼ばれたのは神箭将ヒィ・チノ。
「客人にもひとはたらきしてもらいたい」
「承知した。奔雷矩を借りるぞ」
二将はそれぞれ愛馬にうち跨がり、目指すはマシゲルのギィのクリエン。駆けに駆けて翌日の昼過ぎには早くもギィを訪ねた。軍使であることを伝えれば、ほどなくゲルへ案内される。
それとなくクリエンを探れば、誰も軍装を解かず、個々の兵が覇気に満ちた面持ちで軍務に当たっている。ヒィはおおいに感心する。
ギィは、彼らの来訪を本心から喜んでいる様子だった。笑みを浮かべて立ち上がると、ヒィの手を取って自ら席へ誘った。
「久しくお会いしなかったが息災そうで何より。マシゲルに何か朗報をもたらしてくれるのかな」
「獅子殿もいよいよ盛んな様子。今日はヤクマンのムジカの使いで参った。ムジカは貴殿に再戦を申し込む。詳しくはこの書に」
応じてオンヌクドが親書を差し出した。さっと広げて目を通すと、
「三日後とはまた急な話だ」
「クリエンの様子を見るに問題はあるまい。さすがは獅子、抜かりない」
「お褒めに与かって恐縮だ。よし、承知したと伝えてもらおう」
「責務を果たせてほっとした。それでは戦場で見えよう」
「ふふ、楽しみにしている。たいしたもてなしもできなかったが、急いで出陣の準備をせなばならぬので失礼する」
二人は丁重に辞意を述べて帰途に就いた。しばらく駆けたところで、オンヌクドは道を易えて西へ向かう。ヒィはムジカに首尾を伝えるべく帰ったが、この話はここまでにする。
さてオンヌクドの目指すはもちろんバラウンのクリエンである。彼に先行してそこに到着した一団があった。実は神風将軍率いる例の一隊。その数三千。ただならぬ数の人馬の来訪に、辺りは騒然となる。
アステルノは兵をクリエンの外に残すと、案内を請うて悠々とバラウンのゲルへ向かった。
これを迎えたのはバラウンではなく、何とチルゲイとナユテの二人。平伏したアステルノを見て二人はにやりと笑ったが、それも一瞬のこと。何げない様子で言うには、
「あいにく長たるバラウンは不在だ。代わって我らが承るゆえ、来意を述べよ」
アステルノもまた素知らぬふりで言った。
「私は北の平原を牧地とするガロウ氏の首魁でアルバガンと申します。遠く獅子ギィ様の英名を慕ってやってきたのです。クリエンの一端に加えていただきますよう伏してお願いいたします」
「兵の数は?」
「まずは戦の役に立つもの三千を連れてまいりました。余のものはあとに残してきました」
チルゲイはおおげさに驚いて見せると、
「三千とは! よし、お前をクリエンに加えよう。バラウン様が戻ったら伝えておく。もっとも東の一帯を与えよう」
「ありがたき幸せにございます」
ナユテがその名を記すのを確かめてから、ふとチルゲイは尋ねた。
「ガロウの夜に豺狼はともにあるか」
アステルノが答える。
「豺狼が走れば、すべては定めのまま。やがて身中の虫が一肢を破ると申します」
「よろしい。下がって命を待て」
これこそ互いの間に定めた符牒であった。周囲にはマシゲルの従臣もあったが誰も意味が判らない。またこのときバラウンがいなかったのも、無論チルゲイの差配であった。周りにいた従臣やら側使いやらを下がらせると言うには、
「これから忙しくなるぞ。ふふ、楽しみ、楽しみ」
そこへオンヌクドが現れた。
「おお、ちょうどさっき神風将が来たところだ」
「こちらも吉報。獅子は挑戦に応じて兵を動かすだろう。あとはこちら次第だ」
「抜かりはない。やがて獅子より出兵を促す使者が来るだろう。君はゲルに戻れ」
オンヌクドは頷いて去る。