第 四 回 ③
ハクヒ涕して族史を語り宿命を悟らせ
インジャ初めて草原に戦い魔軍を走らす
それはさておき、インジャの軍勢は駆けに駆けて、まもなくカマヌウトの牧地に入ろうとしていた。ゴルタが言うには、
「そろそろ敵人の牧地です。斥候を放って探ったほうがよろしいでしょう」
「なるほど。ハクヒ、お前に斥候を命ずる」
「はっ! しばしお待ちを」
とて、数騎を率いて先行する。
そこへマタージがふらりとやってきて、
「やあ、いよいよですな」
などと暢気な調子で言う。ゴルタが目を剥いて、
「マタージ様! こんなところにいらっしゃるとは。ハーンに叱られますぞ!」
窘めたが、意にも介さぬ様子で、
「そう困った顔をするものではない。私はインジャ殿と話しに来たのだ。お前に叱られに来たのではない」
思わずナオルが吹き出す。するとマタージは、
「おお、貴殿はひょっとしてジョンシ氏のナオル殿では?」
「いかにも、私はナオルです。以後お見知りおきを」
とて互いに礼を交わす。いろいろ話してみれば、ともに同じ竜の年の生まれであった。やがておおいに意気投合したがそれもそのはず、マタージもまた上天の定めた宿星のひとつであった。
かくして三人は盟友となることを約して、生まれた月によってインジャを兄とし、ナオル、マタージの順に弟とした。お互い喜んでいると、ハクヒが戻ってきて告げて言うには、
「カマヌウトのアイルはここより西南に二十里ほどでございます」
「ご苦労。みなのもの、行くぞ!」
インジャの右手が大きく振られて再び進軍が始まる。
やがて行く手にアイルが見えてきた。インジャは一旦軍を止めると、諸将に諮って言うには、
「全軍を三手に分けようと思う。まずマタージ殿とゴルタ殿は一軍を率いて右手より攻めていただく。また一軍はナオルとシャジが率いて左手から突撃するよう。私とハクヒは残りの軍勢で正面を受け持つ」
みな頷いたので、続けて、
「合図の銅鑼が鳴ったら一斉に討ち入るとしよう。ゲルには火をかけ、抵抗するものはことごとく殺せ。婦女子および投降したものは、捕虜としてハーンに献上する。よろしいかな」
異議を唱えるものはなかったので、早速それぞれの持ち場に就いた。カマヌウト側もただならぬ気配に漸く騒ぎはじめる。
「敵人に備える暇を与えるな! 突撃!」
銅鑼が鳴り渡り、五百騎は怒号を挙げて殺到した。砂塵を巻き上げて突撃するさまは、まるでオロンテンゲル山の大瀑布のごとく。インジャも腰の剣を引き抜いて先頭に立って駆ける。
カマヌウト側は狼狽えるばかりで、中には矢を射かけてくるものもあったが敵すべくもない。インジャ軍に出遭った端から斬り捨てられ、方々のゲルからは火が噴き上がる。
カマヌウトの族長は右へ左へと血路を求めて駆け回るうちに、インジャとばったり出くわした。
「そこのもの、名のある将と見た。名乗れ!」
インジャが呼ばわれば、
「わしはカマヌウト族長、カモネンだ!」
「私はジョルチ部フドウ氏のインジャ。その首、貰い受けるぞ」
「豎子め! 戦では後れをとったが、お前ごときにやられはせぬ。その素っ首を刎ね飛ばして一矢報いてくれようぞ!」
かくして二騎は馬上に得物を戦わせた。かたやインジャはひと振りの長剣、かたやカモネンはひと振りの曲刀。渡り合うこと数合、インジャの剣が曲刀を叩き落とす。
はっと血の気が失せたところを真っ向から撃ち下ろせば、鮮血を迸らせて落馬する。族長を討たれたカマヌウトは一斉に背を向けて逃げ出した。
インジャはハクヒとシャジに百騎を与えて追撃を命じると、銅鑼を鳴らして全軍を収めた。点呼すると一騎も失われていない。屠った敵人は五十を超え、捕虜は二百人を数えた。快勝である。
ナオル、マタージ、ゴルタは揃って祝辞を述べた。
「これもハーンのご威徳とみなさんの奮戦のおかげ、私の功ではありません」
インジャが辞を卑くして言えば、みなその謙虚な態度に感服した。
追撃に向かったハクヒ、シャジらを除く四百騎は帰途に就いた。十里ほど進んだときであった。前方に正体不明の一群の騎兵が現れた。その数、約二百騎。
「あれは、どこの部族だ?」
ナオルが呟いたのと、ゴルタが叫んだのはほぼ同時だった。
「ダルシェだ! 放浪部族ダルシェの騎兵だ!」
放浪部族ダルシェといえば、小勢ながら草原最強と恐れられる剽悍な部族。一定の牧地を持たず、出遭ったものはことごとく殲滅するため魔軍などと呼ばれている。ゴルタが青ざめて言うには、
「嫌な奴に出遭いましたぞ。戦利品を奪いにきたに相違ありません。ここは逃げるのが最良かと存じます」
マタージがそれを制して、
「奴らの足の速さは、テンゲリを翔けるがごとしとか。もはや逃げきれまい」
「かといってむざむざと討たれるのを待つこともないでしょう。インジャ殿、いかがなされます?」
と、そこにナオルが進み出る。