第三 八回 ①
チルゲイ策を運らし敵陣に埋伏を施し
バラウン計に陥り闇夜に友軍を討つ
さて、好漢たちが酒食に興じていたところ、卒かにチルゲイが平伏したので、バラウンはおおいに驚いて何ごとかと尋ねた。すると答えて言うには、
「実は神都に幼いころに別れた母がいるのです。こうして将軍の知遇を得たからには、ここへ呼んで孝行したいと思うのですが、許していただけますでしょうか」
これを聞いたバラウンは、単純に心を動かされて、
「それは殊勝な心がけ。可いも悪いもない、早速呼び寄せるがいい」
チルゲイは顔を上げたかと思うと、再び勢いよく叩頭して、
「ありがたき幸せ。ではここにいるオヌオヌに書を持たせて、明朝にでも迎えに遣ることにします」
そのとき、初めてほかの三人は奇人の意図を悟って内心おおいに感心したが、バラウンにはもちろん何のことやら判らない。微塵も疑うことなくこれを席に戻らせると、杯を勧めて上機嫌。
夕刻、バラウンのもとを辞した四人は、ゲルに戻ると額を寄せ合って何やら話し込んだが、その内容はいずれ判ること。
早くも夜は明けて次の日の朝。オンヌクドは、例の紙の束とチルゲイに託された書を持ってバラウンへの挨拶をすませると、大急ぎでクリエンを離れた。目指すはもちろん神都ではなく、ムジカらの待つヤクマンの軍営である。
幸い雲ひとつない透けるような青空、オンヌクドは一心不乱に馬を飛ばし、途中何ごともなく帰り着くと、足を休める暇も惜しんでムジカを訪ねた。何の前触れもなく帰ってきたオンヌクドを見て、ムジカはおおいに驚いた。
「おお、奔雷矩。心配していたぞ。三人の客はどうした?」
「客人はわけあってまだ戻らぬ。詳しいことはみなが集まってからだ」
そう言うので早速アステルノらにすぐ来るよう伝えさせた。ほどなくしてヒィ・チノ、アステルノ、タゴサ、マクベン、アルチンの五人がやってくる。席を与えて座らせると、オンヌクドに報告を促す。ひとつ咳払いすると持ち帰った紙の束を卓上に広げた。
「何だ、これは?」
マクベンが訝しげに尋ねた。オンヌクドは手でそれを制すると言った。
「先日の戦のあと、四方の小部族が続々とギィを慕って馳せ参じている。ギィは混乱を防ぐため、一将に命じてこれを西方の別のクリエンにまとめたのだが、これはその投じた連中の詳細と配置を記したものだ」
居並んだ諸将は、ほうと嘆声を挙げた。アステルノが尋ねた。
「よくここまで詳しく査べられたな」
オンヌクドはふふと嬉しそうに笑うと、
「我々は詐ってそのクリエンに潜り込み、命を受けてこれを作ったのだ。つまり部族の配置など、すべて我らが行ったということ。一から査べるより随分と楽だったぞ」
そしてクリエンに赴いたところから仔細に語れば、一人として感心せぬものはなかった。
「さすがは奇人殿、味方でよかった」
アルチンの呟きにみなが頷く。
「クリエンを治める将は誰だ」
アステルノの問いに答えて言うには、
「名はバラウンジャルガル。奇人殿に言わせれば『衆を統べる器ではない』が、人望もあり、マシゲルでは勇将として知られた男だ」
ムジカが言った。
「とにかくこれを活かさぬ手はない。オンヌクド、ご苦労だった」
それを聞いて微笑を浮かべると、
「これだけではないぞ。何のために奇人殿ら三人が残っていると思っているのだ。実は秘策を授けられている。そのとおりにすれば、一戦にて獅子を撃ち破ることができよう」
みな知らず身を乗り出して次の言葉を待つ。
「ここに奇人殿からの書がある」
オンヌクドは懐からそっと書簡を取り出して、ムジカから順に諸将に見せた。誰もが読み進むうちに目を円くする。
「俺は字が読めぬ。何と書いてあったんだ」
そう言ったのは神箭将ヒィ・チノ。ムジカは莞爾と笑ってオンヌクドを促す。ヒィの耳に何ごとか囁けば、たちまち意図するところを悟り、呵々大笑して言った。
「恐ろしきは神知、恥ずかしきは無知、獅子も一肢を失えば能く逃れえまい」
一同は愉快な気分になり、早速兵を用いるべく細かな取り決めをした。
「神道子によると、今日より七度目の陽が昇った日が好機とのこと。それまでに策をよく把握して備えておかねばなるまい」
オンヌクドの言を受けて、ムジカが言った。
「すべて語りたる言葉のごとくなろう。獅子にひと泡吹かせてやろうではないか」
諸将は解散すると、意気揚々と戦の準備を始めた。