第三 七回 ②
ヒィ・チノ獅子と陣中に奥義を競べ
チルゲイ神子と虎穴に智略を運らす
そのころ、神風将軍アステルノ率いるセント軍は、キャンベルを追って連戦連勝、破竹の勢いで北上中だったが、ムジカからの報せを受けてこれと合流した。陣中にムジカを迎えると、早速小宴を張る。
「どうした、らしくもない」
「ははは、獅子にしてやられたわ。噂に違わぬ傑物だった」
笑いながら言うと、続けて、
「ヒィ殿に助けられた。もしヒィ殿がいなければ、きっと敗れていただろう」
それから諸将は、ギィを討つべく策戦を練った。ジョナン氏とセント氏を併せれば一万八千騎、対するギィは約一万騎である。アステルノが言った。
「数は我が軍が圧倒的に有利だ。兵法に『倍すればこれを分けよ』とあるのに順って、二手に分かれて挟撃してはどうだろう」
マクベンが異を唱えて、
「何の。奇策を弄さずとも、正面から攻めればよかろう」
受けてムジカが、
「それはまだギィを甘く見ているというものだ。数を恃んで勝てる相手ではないことは先の戦闘で承知しておろう」
侃々諤々、議論を交わしたが、諸説入り乱れて何ひとつ決まらない。業を煮やしたか、ナユテが制して言うには、
「机上に空論を弄んでも埒が明くまい。ひとつ密偵を放って敵情を探るのが先決。敵を知るのは兵法の初歩かと思うが」
一同はっと我に返る。ムジカがほっとして言った。
「さればオンヌクドにそれを命じよう」
「承知」
命を受けて退出しようとしたところ、珍しく黙って座に連なっていたチルゲイが、つと立ち上がって言った。
「私もともに行こう」
ムジカは驚いて、
「いやいや、君は客人。それには及ばぬ」
「及ぶ及ばないは二の次、二の次。行きたいから行くのだ。悪いようにはしないさ。なあ、ミヤーン」
突如名を呼ばれたミヤーンは目を剥いて、
「また俺か! 俺は嫌だぞ。いつもそう言っているのに……」
「いつもそう言っているが、一度もしかと断ったことはないぞ。さあ、行こう」
ミヤーンはやれやれといった表情で立ち上がる。
「君たちだけではやはり不安だ。私も行こう」
名乗りを上げたのは神道子ナユテ。チルゲイはおおいに喜んで、ともに行くことにした。オンヌクド、チルゲイ、ナユテ、ミヤーンの四人はそれぞれ馬に跨がり、諸将に見送られて陣をあとにした。
マクベンが眉間に皺を寄せて呟いた。
「奇人殿は、遊びか何かと勘違いをしているのではないか」
それを耳に止めたヒィが言った。
「ふざけているように見えるのは奴の持ち味。きっと妙策を携えて帰ってくるだろう。あの四人の組み合わせというのは案外絶妙かもしれん」
「そういうものですか」
マクベンの不安も余所にチルゲイらは半ば陽気に、半ば緊張しつつ馬を駆った。途上、四人は一隊の人馬に出逢った。その数、およそ三十騎。彼らは歌いながらゆるゆると馬を進めている。聞けば、
起きたいときに起きるは楽し
寝たいときに寝るは嬉し
そんな暮らしが性に合っていたけれど
それも今日まで
なぜかと云えば
偉いお方がいるからさ
さあ、馬を駆って会いに行こう
素晴らしく晴れた佳き日に
一節歌っては高笑い、手を拍ってまた歌いだす。チルゲイはおおいに興味を惹かれて、さっと馬を寄せると尋ねて言った。
「ご機嫌だな。その歌はどういう意味だい?」
「ほうほう、そうとも、ご機嫌さ。俺たちはこれから草原一の英傑であるマルナテク・ギィ様の民になるのさ」
一人が髭を震わせて言った。隣の男も胸を張って言うには、
「ギィ様はヤクマンの大軍を撃退し、飛ぶ鳥を落とす勢い。その麾下に加われば安泰というものだ」
チルゲイは、ほほうと唸って、
「そうは言うが、易々と仲間に入れてもらえるのかい?」
するとまた別の男が答えた。
「知らんのか。ギィ様はバラウンジャルガルに命じて、小部族を受け容れているのだぞ。その数は日に日に増えて、まもなく数千に達するだろう」
「そうか、そうだったのか」
三人のもとに戻ってこのことを告げれば、オンヌクドはおおいに驚いて、
「近隣の小部族を収容しているとは猶予ならざる事態。どうすればよいだろう」
チルゲイは迷うことなく答えた。
「我々もひとつバラウンジャルガルに会いに行こうではないか。集まってくる連中に紛れて様子を探ろう。幸い誰も顔を知られていない」