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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
145/783

第三 七回 ①

ヒィ・チノ獅子と陣中に奥義を(くら)

チルゲイ神子と虎穴に智略を(めぐ)らす

 かたやマシゲルの獅子(アルスラン)ことマルナテク・ギィ、かたやナルモントの神箭将(メルゲン)ことヒィ・チノ。両雄はそれぞれの得物を掲げて対峙した。獅子の(ガル)には朱塗りの(ヂダ)があり、神箭将は弓ならぬ(ウルドゥ)を構える。


 一瞬、互いの動きが止まった。次の刹那、ヒィが馬腹を蹴って斬りかかった。ギィは槍を捻って受け止める。


 ヒィはすかさず腕を返し、左右に(ビイ)を振りつつ声東撃西の一手を繰り出す。しかしギィは瞬時(トゥルバス)にこれを見切り、撲鳶鷹(はくえんよう)の手で逆に打ちかかれば、ヒィがはっしと受け止める。さればと天網陣の奥義で挑めば、狼牙穿頭(ろうがせんとう)にてそれを迎え撃つ。


 まさに一個が獅子なら一個は飛鷹(シバウン)、前になり後になり、上天(テンゲリ)になり大地(エトゥゲン)になり、いつ果てるとも知れない好勝負。


 いつの間にか周囲の兵衆は、戦う(アヤラクイ)ことを忘れて(ウマルタヂュ)一騎討ちに見入っている。二人の驍将も、内心相手の強さに(ヘル)を巻いていた。ヒィ・チノのおもえらく、


「噂には聞いていたが、獅子がこれほどの傑物(クルゥド)とは知らなかった。これはうかうかできぬ」


 またギィはギィで、


「ナルモントに名将があるとは(チフ)にしていたが、この男のことであったか」


 両雄はますます(エルデム)に鋭さを加え、身に覚えた奥義のことごとくを披露に及んだが、まだ勝負がつかない。


 かくして打ち合うこと二十余合、兵衆はこれを遠巻きにして息を呑んだまま我を忘れている。咳ひとつするものとてなく、ただ二人の得物が交わる音だけが響く。


 真っ先に我に返ったのはセチェン(知恵者の意)ことゴロであった。ギィに万一のことがあってはと(おもんぱか)り、退却の銅鑼を鳴らさせる。これとほぼときを同じくして、ジョナン氏の側でもチルゲイがムジカを(うなが)して銅鑼を鳴らさせた。


 (しのぎ)を削っていた二将は、銅鑼を耳にして同時に得物を収め、さっと離れた。ともにまったく疲労の色はない。ヒィ・チノが(にわ)かに笑いだす。


「さすがは獅子だ。俺は今までいろんな奴と戦ってきたが、貴殿ほどの傑物には()ったことがない。いずれ雌雄を決してくれようぞ。今日のところはこれまでだ」


 ギィも知らず笑みを浮かべて答えた。


「私も貴殿のような使い手には初めて会った。なぜヤクマンに(くみ)しているのか知らぬが、次に(まみ)えるときを楽しみにしている」


 そして丁重に礼を交わすと、馬首を(めぐ)らして悠然と帰陣する。両軍からは期せずして二人を(たた)える歓声が挙がった。


 ゴロはこれを迎えるとすぐに言った。


「ときを置かずに全軍を挙げて攻めかかれば勝利を得ることができよう」


 これに答えて、


いや(ブルウ)敵人(ダイスンクン)がおとなしく退くなら追う必要はない。今日は久々に好敵手に会った。それで十分だ」


 ゴロは首を振って、


「しかたない奴だ。(ブルガ)はまた来るぞ」


「来れば追い返す。それだけだ」


 一方、ジョナンの(トイ)では。マクベンが興奮して言った。


「ヒィ殿のおかげで五分と五分。(デム)を立て直して進めば、責務(アルバ)を果たせようぞ」


 しかしムジカは、


いや(ブルウ)危地(アヨール)を脱したことをよしとして退くことにする。ギィが攻めかかってこないのであれば、ゆるりと退くとしよう。事後の策はアステルノと(はか)って決める」


 ヒィやチルゲイらも賛成したので、ジョナンは静かに退却に移った。それを見てマシゲルも軍を返す。ムジカは(アクタ)を駆りつつ言った。


「今回はヒィ殿に助けられた。怠りはなかったつもりだが、どこかに(ゆる)みがあったらしい。まことに名は虚しくは伝わらぬもの、ギィは噂以上の勇将であったわ」


 ジョナン軍一万騎(トゥメン)は、およそ三十里も退いて(ようや)く足を留めた。かくして初戦は引き分けに終わったが、この(ソオル)を機に獅子ギィの名は草原(ミノウル)中に知れわたった。


 マシゲルの長老(モル・ベキ)たちは、これを始祖バルケの再来と言って(たた)え、趨勢を傍観していた諸氏は争って麾下に投じた。抵抗を繰り返していた近隣(サーハルト)の小部族(ヤスタン)も、その威名に恐れを成して次第に集まりはじめる。


 コルブら上将たちはその対応に追われる(ウドゥル)が続いた。しかし当のギィは、(フムスグ)(しか)めてゴロに言うには、


「敵がこのまま引き下がるとは思えん。浮かれていると痛い目に遭うぞ」


 ゴロも頷いて、


味方(イル)が増えるのは良いが、いたずらに兵を増やすと、いざというときに統制が取れなくなるかもしれぬ」


 そこでギィは、新たに加わったものをアイルの西方に集め、バラウンにこれを治めさせた。また四方に密偵を放ち、ヤクマンのその後の動向を探らせた。

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