第三 七回 ①
ヒィ・チノ獅子と陣中に奥義を競べ
チルゲイ神子と虎穴に智略を運らす
かたやマシゲルの獅子ことマルナテク・ギィ、かたやナルモントの神箭将ことヒィ・チノ。両雄はそれぞれの得物を掲げて対峙した。獅子の手には朱塗りの槍があり、神箭将は弓ならぬ剣を構える。
一瞬、互いの動きが止まった。次の刹那、ヒィが馬腹を蹴って斬りかかった。ギィは槍を捻って受け止める。
ヒィはすかさず腕を返し、左右に体を振りつつ声東撃西の一手を繰り出す。しかしギィは瞬時にこれを見切り、撲鳶鷹の手で逆に打ちかかれば、ヒィがはっしと受け止める。さればと天網陣の奥義で挑めば、狼牙穿頭にてそれを迎え撃つ。
まさに一個が獅子なら一個は飛鷹、前になり後になり、上天になり大地になり、いつ果てるとも知れない好勝負。
いつの間にか周囲の兵衆は、戦うことを忘れて一騎討ちに見入っている。二人の驍将も、内心相手の強さに舌を巻いていた。ヒィ・チノのおもえらく、
「噂には聞いていたが、獅子がこれほどの傑物とは知らなかった。これはうかうかできぬ」
またギィはギィで、
「ナルモントに名将があるとは耳にしていたが、この男のことであったか」
両雄はますます技に鋭さを加え、身に覚えた奥義のことごとくを披露に及んだが、まだ勝負がつかない。
かくして打ち合うこと二十余合、兵衆はこれを遠巻きにして息を呑んだまま我を忘れている。咳ひとつするものとてなく、ただ二人の得物が交わる音だけが響く。
真っ先に我に返ったのはセチェン(知恵者の意)ことゴロであった。ギィに万一のことがあってはと慮り、退却の銅鑼を鳴らさせる。これとほぼときを同じくして、ジョナン氏の側でもチルゲイがムジカを促して銅鑼を鳴らさせた。
鎬を削っていた二将は、銅鑼を耳にして同時に得物を収め、さっと離れた。ともにまったく疲労の色はない。ヒィ・チノが卒かに笑いだす。
「さすがは獅子だ。俺は今までいろんな奴と戦ってきたが、貴殿ほどの傑物には遇ったことがない。いずれ雌雄を決してくれようぞ。今日のところはこれまでだ」
ギィも知らず笑みを浮かべて答えた。
「私も貴殿のような使い手には初めて会った。なぜヤクマンに与しているのか知らぬが、次に見えるときを楽しみにしている」
そして丁重に礼を交わすと、馬首を廻らして悠然と帰陣する。両軍からは期せずして二人を称える歓声が挙がった。
ゴロはこれを迎えるとすぐに言った。
「ときを置かずに全軍を挙げて攻めかかれば勝利を得ることができよう」
これに答えて、
「いや、敵人がおとなしく退くなら追う必要はない。今日は久々に好敵手に会った。それで十分だ」
ゴロは首を振って、
「しかたない奴だ。敵はまた来るぞ」
「来れば追い返す。それだけだ」
一方、ジョナンの陣では。マクベンが興奮して言った。
「ヒィ殿のおかげで五分と五分。陣を立て直して進めば、責務を果たせようぞ」
しかしムジカは、
「いや、危地を脱したことをよしとして退くことにする。ギィが攻めかかってこないのであれば、ゆるりと退くとしよう。事後の策はアステルノと諮って決める」
ヒィやチルゲイらも賛成したので、ジョナンは静かに退却に移った。それを見てマシゲルも軍を返す。ムジカは馬を駆りつつ言った。
「今回はヒィ殿に助けられた。怠りはなかったつもりだが、どこかに弛みがあったらしい。まことに名は虚しくは伝わらぬもの、ギィは噂以上の勇将であったわ」
ジョナン軍一万騎は、およそ三十里も退いて漸く足を留めた。かくして初戦は引き分けに終わったが、この戦を機に獅子ギィの名は草原中に知れわたった。
マシゲルの長老たちは、これを始祖バルケの再来と言って称え、趨勢を傍観していた諸氏は争って麾下に投じた。抵抗を繰り返していた近隣の小部族も、その威名に恐れを成して次第に集まりはじめる。
コルブら上将たちはその対応に追われる日が続いた。しかし当のギィは、眉を顰めてゴロに言うには、
「敵がこのまま引き下がるとは思えん。浮かれていると痛い目に遭うぞ」
ゴロも頷いて、
「味方が増えるのは良いが、いたずらに兵を増やすと、いざというときに統制が取れなくなるかもしれぬ」
そこでギィは、新たに加わったものをアイルの西方に集め、バラウンにこれを治めさせた。また四方に密偵を放ち、ヤクマンのその後の動向を探らせた。