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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
144/783

第三 六回 ④

ヒィ南進して好漢と大いに歓を交え

ムジカ東征して獅子と初めて兵を合す

 待機していたムジカらも、突然現れた敵騎に驚いて為す術もなかったが、タゴサが真っ先に我に返って、


「何してるの、二人を見殺しにするつもり!?」


 そう叱咤すれば、ムジカもはっとして、


(ブルガ)には備えがあった。さすがは獅子(アルスラン)と感心しているときではないな。オンヌクド、(ドブン)の右手に回り、敵を牽制せよ」


 オンヌクドは頷くと、すぐに一隊を()いて駆けだした。さらにムジカは、


「全軍を挙げてまずは二将を救い出す。ことが成ったらすぐに退く。合図があるまで(フル)を止めてはならぬ。殿軍は私が自ら引き受けよう」


 迷うことなく断を下すと、突撃の合図を出した。全軍一糸乱れず丘に向かって駆けだす。駆けながらもムジカは様々な指示を伝える。金鼓が鳴り、次々と陣形(バイダル)が変わっていく。その際も決して乱れることはない。ともに駆けながら、チルゲイは感心して呟いた。


「まるで己の手足のようだ。こんな見事な用兵は見たことがない」


 その思いは丘の上のギィも同じであった。傍ら(デルゲ)の将に言うには、


「見ろ、敵の将はただものではないぞ」


「しかし(チャク)はこちらにある。打つ手を誤らなければよい」


 そう答えたものこそ客将ゴロ・セチェン。


「たしかに……。コルブ、いつでも下れるよう用意しておけ。金鼓が鳴ったら突っ込め」


承知(ヂェー)


 例の軽弓の名手(注1)、コルブである。彼は葦毛(ボル)(また)がって数歩、前に出た。


 さてジョナン軍は丘に達したかと思うと、するすると左翼(ヂェウン・ガル)を伸ばし、端から駆け登った。称して「薙ぎ払う(タショウル)の勢」。これがマクベンらと揉み合うマシゲルの前軍(アルギンチ)に斜めに斬り込んでいく。混乱していた二将もやっと己を取り戻し、兵をまとめはじめた。


 さらに右手ではオンヌクドが敵の間に割って入る気配を示す。マシゲルの兵はこれにも気を取られる。


「ヒィ殿、(たの)んでよいか」


「もちろん。百騎(ヂャウン)ほど借りるぞ」


 そう答えると、何も聞かずに一隊を率いて駆けだす。矢のごとく進み、友軍(イル)の間も一瞬に駆け抜けてそのまま敵軍に突っ込んだ。先頭を行くヒィ・チノは(テンゲリ)を飛ぶがごとく駆け回り、誰一人当たりうるものがない。


「さすが神将、見事だ」


 ムジカは感嘆すると、さらに中軍(ゴル)を押し出した。


 マシゲルの(トイ)からも盛大に金鼓が鳴り響く。それを受けて一斉に駆け下ったのはコルブの一隊。乱れた前軍を救うべく、突出した敵の左翼に襲いかかる。ジョナン軍は新手の参入で陣形を乱す。ためにヒィ・チノの勢いもやや衰えた。


(あや)うい、殆うい。あの突っ込んできた将は何ものだ。機を失うところだったわ」


 ギィは(マグナイ)の汗を(ぬぐ)った。ゴロも驚きを隠しきれずに言う。


「名のある将に違いない。コルブの投入が遅れたら、まずいことになっていた」


 頷いたギィは、ちらと丘の左手を見る。そこにある敵の一隊は先ほどから奇妙な動きを示している。徐々に丘を登りながら、突入する機を窺っているようにも見えるが、結局は矢を射かけるばかり。


「ゴロ、あれは?」


「ふふ、おそらくは牽制のみ。我々と前軍の間を断とうとしているかのようだが、そんな賭けには出るまい。だが、前軍の将兵にしてみれば気にはなるだろう」


「では、牽制の兵を牽制しておくか。バラウン、あの目障りな隊を何とかしろ」


 待ってましたとばかりにバラウンジャルガルが例の大弓(注2)を構えて、鏑矢(かぶらや)を放った。矢は唸りを挙げてオンヌクド隊の頭上を(かす)めていく。


 驚いたオンヌクドがはっと見上げれば、一軍がじわじわと下ってくる。先頭の将が再び大弓を引き絞っている。オンヌクドは後退してこれに備えざるをえない。


 かくして両軍は互いに牽制しつつ対峙した。そのおかげでマシゲルの前軍は勢いを取り戻して攻勢を強める。


「よし、全軍をもって一挙に蹴散らすぞ」


 ギィはそう言って、右手を高々(ホライタラ)と挙げようとした。そのとき、ヤクマンの銅鑼が天地を揺すらんばかりに轟きわたった。


「何?」


 (いぶか)しんで、挙げかけた(ガル)を中途で止める。見ればヤクマンの前軍が次々に戦場を離脱(アンギダ)していく。代わって中軍が前面に出てきた。


 長く伸びていた左翼も、まさに翼を折りたたむように整然と退いていく。余分な動きは一切なく、コルブらは思わず足を止めた。


 ヤクマン軍は長槍(オルトゥ・ヂダ)隊をどっと押し出し、余の軍勢はその隙に後退すると再び陣形を整える。


「退くのか、そうはさせぬ」


 ギィは突撃の(カラ)を下した。マシゲルの中軍が喊声を挙げつつ丘を下る。


「来たか」


 かたやムジカはぐっと(ヌル)を引き締める。


「今は退くな、押し返せ!」


 応じてわっと喊声を挙げて迎え撃つ。マクベンらの手勢はすでに後軍(ゲヂゲレウル)に回っている。正面に展開するのはすっかり中軍である。


 ここに初めて中軍同士がぶつかった。どちらも大将自ら率先しての攻防。(カブラン)か、獅子か、はたまた龍か、(チノ)か、いずれが勝るとも知れない。戦場はすでに丘ではなく、(ふもと)にまで降りてきていた。ゴロは内心思うに、


「ほほう、いつの間にか地の利が薄くなっているか。しかし丘を背にした我らの優位はまだ動かぬぞ。どう出るかな」


 ヤクマン軍にあってもっとも活躍しているのは神箭将(メルゲン)ヒィ・チノである。得物を操り、当たる端から敵兵を葬っていく。やがてばったりとギィに出くわした。


「そこにあるのは獅子マルナテク・ギィと見た、勝負しろ(ウクルドゥイエー)!」


「おや、先の将だな。よし、我が腕前(エルデム)を見せてやろう、名乗れ!」


「ナルモント部の神箭将ヒィ・チノとは俺のことだ!」


「何!?」


 驚いた瞬間、すかさずヒィが斬りかかる。ぱっとこれを(かわ)すと、ギィも(ニドゥ)(いか)らせて朱塗りの(ヂダ)を持ち直す。


 ここに草原(ミノウル)に冠たる双傑が相見(あいまみ)え、互いの奥義を尽くすことになったわけだが、森羅万象ことごとく震え、有象無象も等しく息を呑むといったところ。かたや神箭の威は天空(テンゲリ)を駆け、かたや獅子の勇は大地(エトゥゲン)に轟く。果たして二人の勝負はどうなるか。それは次回で。

(注1)【軽弓の名手】(注2)【例の大弓】ともに第一 九回④参照。

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