第 四 回 ② <マタージ登場>
ハクヒ涕して族史を語り宿命を悟らせ
インジャ初めて草原に戦い魔軍を走らす
エジシが久々にタロトを訪れた。
インジャが、ハクヒから聞いた話を告げると、
「お聞きになりましたか。しかし焦ってはなりませぬぞ」
「では私はどうすればよいでしょう」
教えを請えば、指を立てて言うには、
「まずは味方を増やすことです」
「と申されますと?」
「内にあってはハーンによく仕え、外にあっては戦で名を挙げることです。そうすればハーンの援助を期待できますし、インジャ殿に心を寄せるものも現れるでしょう」
さらに言うには、
「また戦で名を顕せば、フドウの遺民が続々と馳せ参じるでしょう。しからば自ら力を持つことがかないます。よいですか、何はともあれ実を得ることです。草原の民は虚名には騙されませんぞ」
「はい。努力いたしましょう」
エジシがジェチェンに何か言ったのか、数日後にインジャは初陣を命じられた。
先日、少数部族であるカマヌウトにハーンの長子が襲われるという事件があった。幸い大事に至らなかったものの、ハーンはおおいに怒り、これを殲滅する肚を決めた。
その大将にインジャを指名したのである。ナオルもまた副将として加わり、さらに古参の将たるゴルタを付けて輔翼とした。
「初陣にもかかわらずこのような大任を仰せつかり、恐縮にございます」
ジェチェンは眉間には深い皺を刻んでいたが、柔らかい口調で、
「いや、カマヌウトごときは恐れるに足らぬ。何かあればゴルタに尋ねるといい」
「はっ、ハーンのご威徳を知らしめてまいります」
「うむ、精鋭五百騎を与える。明朝までに発て」
インジャが勇躍して辞さんとすれば、それを呼び止めて言うには、
「この戦は報復じゃ。それを忘れるな」
「はっ!」
退出したインジャは、早速ゴルタ、ナオル、ハクヒ、シャジを集めた。まずゴルタに尋ねて、
「カマヌウトとはいかなる部族ですか?」
問われたゴルタは身の丈八尺、頬は剛い髭に覆われ、額に大きな刀傷を持つ歴戦の勇者。不敵に笑いつつ答えて言うには、
「カマヌウトはメンドゥ河の流れ込むシータ海東岸の小族、五百騎もあれば多過ぎるくらいです」
「ならば恐れることはない。ジェチェン・ハーンの名を轟かせようぞ」
諸将は明朝を期して別れた。
インジャが武具の手入れなどしていると、不意に訪ねてきたものがあった。その人となりはと云えば、
年のころはインジャと同じくらい。身の丈七尺半、細長い顔に細長い腕。眼差しは温かく、口許には柔らかい笑み。しかし心奧を窺うことは難しく、一見して並のものではない。飄々然として拱手して立っている。
拱手の礼を返しつつ、
「壮士はどなたですか」
「私はジェチェン・ハーンの末子でマタージというもの。ひとつお願いがあって参りました」
おおいに驚いて、
「ハーンのご子息にあられるか。失礼しました。どうぞおかけください」
あわてて上座を勧めると、マタージは固辞して、
「いえいえ、それはなりません。すぐに帰りますから用件だけ。明日、カマヌウト征伐に発たれると聞きまして、是非私も加えていただけないかと思って参った次第です」
インジャは重ねて驚いて、尋ねて言うには、
「それはハーンの許しを得ているのですか?」
「いえ、実は許しは得ておりません。独断でお願いに参ったのです」
平然と答える。インジャは半ば呆れて、
「それでは貴殿を加えるわけにはいきません。私はハーンに大恩ある身、ハーンのお許しもなく、ご子息を危うい目に遭わせることなどどうしてできましょう」
「そうですか、ではしかたありません。ご武運を祈っております」
そう言って口惜しそうに去っていった。残されたインジャは、何とも不思議な男だと思ったが、この話はこれまでにする。
翌日、五百騎の兵は刻限どおりに集まった。みな押し黙って命が下るのを待っている。が、内心では大将のあまりの若さに不安と興味が相半ばしている様子。傍らのゴルタも、インジャがいかなる第一声を放つか、興味津々といったところ。
「よいか! これよりカマヌウト征伐に往く! ハーンの精兵の力を彼奴らに見せてやるのだ!」
その態度は堂々としていささかも臆するところなく、またその声は凛呼たる調子で、居並ぶ兵士の端の端に至るまで響き渡る。さらに言うには、
「私はこの戦において、ハーンの権を代行するものである。我が命はすなわちハーンの命令と心得よ!」
しかし莞爾と笑うと、
「とはいえ私にとってこの戦は初陣である。諸君の健闘に恃むところは大きい。ハーンの期待に応え、ともに褒賞に与かろうぞ」
どっと歓声が巻き起こる。号令一下、一斉に繰り出していく。
ふと後方からインジャを呼ぶ声がする。何ごとかと顧みれば、何とマタージが一騎追いかけてくる。
「これはマタージ殿! いかがなされました」
満面の笑みで答えて、
「いえいえ、軍に加わりに参ったのです」
「お許しがいただけたのですか」
「まあ、そんなところです。さあさあ、先を急ぎましょう」
マタージはからからと笑って駆けていく。インジャはナオルと顔を見合わせる。
「誰です、あれは」
「ハーンの末子で、マタージ殿とおっしゃる方らしい」
ナオルは何と答えてよいものやら迷った様子で、
「何とも変わった方ですね」
「ううむ。まことにハーンのお許しが出たのであろうな。もしものことがあったらハーンに合わせる顔がなくなるぞ」