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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
14/783

第 四 回 ② <マタージ登場>

ハクヒ(なみだ)して族史を語り宿命を悟らせ

インジャ初めて草原に戦い魔軍を走らす

 エジシが久々にタロトを訪れた。

 インジャが、ハクヒから聞いた話を告げると、


「お聞きになりましたか。しかし焦ってはなりませぬぞ」


「では私はどうすればよいでしょう」


 教えを請えば、(ホロー)を立てて言うには、


「まずは味方(イル)を増やすことです」


「と申されますと?」


「内にあってはハーンによく仕え、外にあっては(ソオル)で名を挙げることです。そうすればハーンの援助(トゥサ)を期待できますし、インジャ殿に(オロ)を寄せるものも現れるでしょう」


 さらに言うには、


「また戦で名を(あらわ)せば、フドウの遺民が続々と馳せ参じるでしょう。しからば自ら(クチ)を持つことがかないます。よいですか、何はともあれ実を得ることです。草原(ケエル)の民は虚名には騙されませんぞ」


はい(ヂェー)。努力いたしましょう」


 エジシがジェチェンに何か言ったのか、数日後にインジャは初陣を命じられた。


 先日、少数部族(ヤスタン)であるカマヌウトにハーンの長子が襲われるという事件があった。幸い大事に至らなかったものの、ハーンはおおいに怒り、これを殲滅(ムクリ・ムスクリ)する(はら)を決めた。


 その大将にインジャを指名したのである。ナオルもまた副将として加わり、さらに古参の将たるゴルタを付けて輔翼とした。


「初陣にもかかわらずこのような大任を仰せつかり、恐縮にございます」


 ジェチェンは眉間には深い皺を刻んでいたが、柔らかい口調で、


いや(ブルウ)、カマヌウトごときは恐れるに足らぬ。何かあればゴルタに尋ねるといい」


はっ(ヂェー)、ハーンのご威徳を知らしめてまいります」


「うむ、精鋭五百騎を与える。明朝までに発て」


 インジャが勇躍(ブレドゥ)して辞さんとすれば、それを呼び止めて言うには、


「この戦は報復じゃ。それを忘れるな」


はっ(ヂェー)!」


 退出したインジャは、早速ゴルタ、ナオル、ハクヒ、シャジを集めた。まずゴルタに尋ねて、


「カマヌウトとはいかなる部族(ヤスタン)ですか?」


 問われたゴルタは身の丈八尺、(ハツァル)(かた)(サハル)に覆われ、(マグナイ)に大きな刀傷を持つ歴戦の勇者。不敵に笑いつつ答えて言うには、


「カマヌウトはメンドゥ(ムレン)の流れ込むシータ(ダライ)東岸の小族、五百騎もあれば多過ぎるくらいです」


「ならば恐れることはない。ジェチェン・ハーンの名を轟かせようぞ」


 諸将は明朝を期して別れた。


 インジャが武具の手入れなどしていると、不意に訪ねてきたものがあった。その人となりはと云えば、


 年のころはインジャと同じくらい。身の丈七尺半、細長い(ヌル)に細長い腕。眼差しは温かく、口許(くちもと)には柔らかい笑み。しかし心奧を窺うことは難しく、一見して並のものではない。飄々然として拱手して立っている。


 拱手の礼を返しつつ、


壮士(エレ)はどなたですか」


「私はジェチェン・ハーンの末子(ニルカ)でマタージというもの。ひとつお願いがあって参りました」


 おおいに驚いて、


「ハーンのご子息(ティギン)にあられるか。失礼しました。どうぞおかけください」


 あわてて上座を勧めると、マタージは固辞して、


いえいえ(ブルウ)、それはなりません。すぐに帰りますから用件だけ。明日、カマヌウト征伐に発たれると聞きまして、是非私も加えていただけないかと思って参った次第です」


 インジャは重ねて驚いて、尋ねて言うには、


「それはハーンの許しを得ているのですか?」


いえ(ブルウ)、実は許しは得ておりません。独断でお願いに参ったのです」


 平然(ガイグイ)と答える。インジャは半ば呆れて、


「それでは貴殿を加えるわけにはいきません。私はハーンに大恩ある身、ハーンのお許しもなく、ご子息を危うい目に遭わせることなどどうしてできましょう」


「そうですか、ではしかたありません。ご武運を祈っております」


 そう言って口惜しそうに去っていった。残されたインジャは、何とも不思議な男だと思ったが、この話はこれまでにする。


 翌日、五百騎の兵は刻限どおりに集まった。みな押し黙って(カラ)が下るのを待っている。が、内心では大将のあまりの若さに不安と興味が相半ばしている様子。傍ら(デルゲ)のゴルタも、インジャがいかなる第一声を放つか、興味津々といったところ。


「よいか! これよりカマヌウト征伐に往く! ハーンの精兵の力を彼奴らに見せてやるのだ!」


 その態度は堂々としていささかも臆するところなく、またその(ダウン)は凛呼たる調子で、居並ぶ兵士の端の端に至るまで響き渡る。さらに言うには、


「私はこの戦において、ハーンの権を代行するものである。我が命はすなわちハーンの命令(ヂャルリク)と心得よ!」


 しかし莞爾と笑うと、


「とはいえ私にとってこの戦は初陣である。諸君の健闘に(たの)むところは大きい。ハーンの期待に応え、ともに褒賞に(あず)かろうぞ」


 どっと歓声が巻き起こる。号令一下、一斉に繰り出していく。




 ふと後方からインジャを呼ぶ声がする。何ごとかと顧みれば、何とマタージが一騎追いかけてくる。


「これはマタージ殿! いかがなされました」


 満面の笑みで答えて、


いえいえ(ブルウ)、軍に加わりに参ったのです」


「お許しがいただけたのですか」


「まあ、そんなところです。さあさあ、先を急ぎましょう」


 マタージはからからと笑って駆けていく。インジャはナオルと顔を見合わせる。


「誰です、あれは」


「ハーンの末子で、マタージ殿とおっしゃる方らしい」


 ナオルは何と答えてよいものやら迷った様子で、


「何とも変わった方ですね」


「ううむ。まことにハーンのお許しが出たのであろうな。もしものことがあったらハーンに合わせる顔がなくなるぞ」

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