第三 五回 ③
神道子一たび占いヒィ敢えて難を採り
神風将再び疑いチルゲイ即ち憂を解く
いつの間にか四人を戒めていた縄は地に落ちている。アステルノが瞬く間に切ったからである。チルゲイがはっとして言うには、
「我々はただの旅のもの。野営していたところを襲われて、何が何やら判らぬうちに連れてこられてのです」
アステルノはすっと眉間に皺を寄せると、
「旅? 何処へ行くのだ」
「世に好漢を索めて草原に出たのです。そこでまずは英傑と名高いジョルチの若君を訪ねようとて北へ向かう途中です」
「ジョルチ? ああ、フドウの族長か。俺も名だけは聞いているぞ。おもしろい、中へ入れ。詳しく聴こう」
こうして四人はゲルに招き入れられた。造りは簡素で余分な装飾は一切ない。それぞれ席に着くと、チルゲイがみなを紹介した。まずはヒィ・チノ。
「これはナルモント部ムヤン氏のヒィ・チノ。天下の俊英にして、弓は百歩離れたところから的を射抜くほど、ゆえに人からは『神箭将』と渾名されています」
次いでナユテ。
「これはホアルンのナユテと申すもので、占って外れたことがないという超俗の士。人からは『神道子』と渾名されています」
そしてミヤーン。
「これはイシのものでミヤーンと申します。常人とは異なる着眼の主で、棒を能くし、経略の大才があります。残念ながらいまだ無名にして渾名はありません」
最後はもちろんチルゲイ本人。
「かく云う私はウリャンハタ部カオエン氏のチルゲイと申すもの。無用の弁を弄し、奇行を好むので、『奇人』などと呼ばれているつまらぬものです」
アステルノは興味深そうに聴いていたが、
「ひと目見たときから並の人物ではないと思っていたが、やはりな。大変失礼しました。機嫌を直して一杯やってください」
そう言うと、側使いを呼んで酒食を整えさせた。あとは旅の話などしながら、お決まりの宴。話し合ってみれば互いに上天に連なる身、意気投合せぬはずもない。アステルノは上機嫌で言った。
「ははは。神箭将、神道子、神風将軍と三人の神将が揃ったというのはめでたい。俺も才覚に自信がないわけではなかったが、今日出逢った神将はいずれも一世の傑物、これに勝る喜びはない」
そして向き直って、
「もちろんミヤーンも一方の英俊、時宜を得れば天下に名が轟こうぞ」
一同は大笑い。そうして次々と杯を干すうちにすっかり夜になってしまった。四人はセント氏の客人となって旅装を解くことになった。ゲルに案内されてひと息吐くと、ヒィが言った。
「ナユテの言った『疑獄の憂』とは昨晩のあれを指すのだろうか」
「そうだと良いが」
二人の会話にチルゲイが口を出す。
「もしアステルノに遇わなければ一大事であったぞ。殆うい、殆うい」
「いずれにせよ、あれですんだのなら安心できるってもんだ」
ヒィはごろりと横になると、やがてすうすうと寝息を立てはじめた。余の三人もそれぞれところを定めて疲れを癒した。
夜半、卒かに外が騒がしくなって四人は目を覚ました。叫び声、馬の嘶き、ばたばたと慌ただしく駈け回る足音、さらに聞けば、
「火事だ! 火事だ!」
四人はそれを聞いて、がばと上体を起こした。
「聞いたか?」
ヒィが確かめれば、みな一様に頷く。彼らは先を争ってゲルから飛び出した。
散在するゲルから紅蓮の炎が噴き上がり、テンゲリを焦がしている。みな走り回るばかりで為す術もない有様。家畜が大暴れに暴れ、それを押さえるのに躍起になっている。身を焼いて転げ回るものがいても助ける余裕すらない。
「何だこれは、敵襲か?」
ミヤーンが呟いたが、それらしき影もない。ただ燃え盛るゲルがあるばかり。
「神風将軍は無事か?」
チルゲイの言葉に漸くはっと我に返って、彼らは駈けだそうとした。と、そのとき、四方からセント氏の人衆がわっと襲いかかってきて、瞬く間に縛り上げられてしまった。
「何をする。我らはアステルノ殿の客だぞ!」
ヒィが叫べば、
「うるさい! そのアステルノ様の命令だ」
「何っ!?」
四人は再び縄をかけられて神風将に見えることになった。アステルノは黙って彼らを睨み据えた。ナユテが憤然として問いかける。
「将軍、どういうことか説明していただきたい」
「黙れ!」
大喝一声、アステルノは剣を抜き放った。
「殆うく詭弁に騙されるところだったわ。お前らどこの手のものだ、正直に白状しろ!」
その眼は炎を映してぎらぎらと燃えている。ミヤーンが叫んだ。
「将軍は何か思い違いをされている。我らは先に述べたとおり、たたの旅人。いったい我らにいかなる罪があるというのだ!」
神風将軍は眼に瞋恚(注1)の炎を宿しつつ、
「しらばくれおって! 甘言をもってアイルに潜り込み、隙を見て火を放つとは卑怯千万、草原の民として恕されざる行為だ。いったいどこの誰が命じた!」
(注1)【瞋恚】怒り。憤ること。