第三 五回 ② <アステルノ登場>
神道子一たび占いヒィ敢えて難を採り
神風将再び疑いチルゲイ即ち憂を解く
「これはおとなしくしているほうが良いぞ」
チルゲイが囁けば、ナユテ、ミヤーンは一様に頷く。
縛り上げられた四人は軍営らしきところに連れていかれた。警備はものものしく、篝火が焚かれて辺りは真昼のような明るさ。
「将軍、怪しきものを捕らえました」
応じてゲルから鎧に身を固めた一将が現れた。
「ほう、お前らはどこの密偵だ。何を探りに来た」
「我らは密偵の類ではありません。一介の旅人にて将軍が営しているのも知りませんでした」
チルゲイが言えば、その将は薄ら笑って、
「縛って檻車に押し込んでおけ」
「待て、よく確かめもせずに罪人扱いするのか!」
ヒィ・チノが怒って声を挙げたが、聞く耳も持たない。四人は揃って大きな檻車に放り込まれた。
「ヒィ、無事か?」
ナユテが問う。見ればヒィは口の端を切って血を流している。ぺっと血の混じった唾を吐き出すと、
「ふざけやがって! いったい奴は何ものだ」
「密かに旗を見るに、あれはヤクマンの将だ」
チルゲイが言った。それを聞いてミヤーンが、
「ならばムジカ殿の名を出せば、疑いも晴れるのではないか?」
ナユテが首を振って言うには、
「どうかな。あの男の相を看るに、能なく功を求める小人の相。おそらく軍を進めて功なく、我らを捕らえて賞に与かろうという魂胆に違いない。されば何を言っても聞くまい」
「いずれにせよ今は自重のとき、そのうち好機も訪れよう」
チルゲイがそう言ってみなを戒める。ミヤーンがぽつりと呟いた。
「ナユテの先知には恐れ入った」
翌日、軍は移動を開始した。それに伴って四人の入った檻車もがらがらと動き出す。食事すら与えられず、ぐうぐうと腹を鳴らしながら何も言わずに座している。やがてミヤーンが言った。
「何処に行くのだろう」
するとチルゲイが、一夜明けてすっかりもとの調子を取り戻した様子で、
「功成って凱旋さ。我らはさしずめ敵の将というところか。はは、出世したものだ。それにしても腹が減った」
「君は楽しそうだな、まったく」
「怒るな、怒るな。気力を溜めておけ。今は自重、自重」
チルゲイは悠々としたものである。これを見てみな奇人の肚裡には秘策があるのだろうと焦るのを止めたが、はたしてこのときそれがあったかどうか。ただ手を拍って、
「窮すれば小人は乱れ、君子は乱れず。これ君子の君子たる所以かな」
などと嘯くばかり。
半日も揺られ続けて、あるアイルに到着した。檻車から出されてゲルの前に引き据えられる。昨夜の将が大声で、
「ジャムラ、戻りました」
応じて中から一人の男が現れた。見れば、
身の丈七尺半、鬣のごとき長髪を靡かせ、三白眼にて辺りを睥睨し、身のこなしは敏捷、知のはたらきは俊慧、聡明にして侠心ある、まさに勇名顕れるべき一個の武人。
「ご苦労。そこにあるのは何ものか」
「はは、賊の首魁およびその部将にございます」
「ほほう……」
男は顎を撫でながらヒィらの周りをぐるぐると回って仔細に観察していたが、やがてジャムラの前で足を止めて言った。
「賊の首魁か。……おい、いかにしてこのものを捕らえた?」
「はは、それがしは兵を預かり、軍を進めること十日……」
「前置きはいい! 要点だけを述べよ」
眼を瞋らせてジャムラを睨み据える。震え上がって、
「はは、賊の夜営を急襲し、これを得たのでございます」
「夜襲か……」
そう言うと、今度はジャムラの周りをぐるぐる歩きはじめる。ジャムラは青ざめて額に汗を浮かべている。男は卒かにこれを大喝した。
「嘘を申すな!」
ジャムラは吃驚して思わず一歩退がる。
「さあ、俺の眼は欺けぬぞ。真実を言え!」
「い、偽りではございません。それがしは……」
「では、賊を破ったときに家畜、兵糧の類はどうした?」
「そ、それは……」
「夜襲においては火を放ったか? 敵に備えはあったか? 四将はそれぞれどうやって擒えた? 賊徒はすぐに降ったか? 逃げたものはいたか?」
矢継ぎ早の質問に、ジャムラはひとつも答えられずただ震えるばかり。
「俺を欺くということがどういうことか教えてやる」
言うや否や、一瞬にしてこれを真っ二つに斬り捨てた。助けを請うどころか、悲鳴を挙げる隙すら与えない。鮮血が迸り、男の顔と袍衣とを問わず赤く染めた。剣をいつ抜いたのかも判らないほどの早業。四人は感心して声も出ない。
男はさっと剣を払うと、ヒィらに向き直って名乗った。
「俺はヤクマン部セント氏の先鋒アステルノ。戦場に迅速を謳われて、人からは『神風将軍』の渾名を頂戴している。いったいお前らは何ものだ?」