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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
135/783

第三 四回 ③ <コテカイ登場>

神箭将カノンを救いて双商を知り

神道子ヒィに()いて四句を吟ず

 礼を言うと、がらりと話題を変えて、


「それはそうと、君はカノン・ジュンという女丈夫を知っているか?」


 ヘカトは急に話題が移ったことに一瞬面喰らったが、


「知っているが、どうかしたか。君の(アマン)からカノンの名が出るとは」


「実はここに来る前に()ったのだ。彼女もホアルンに来ているぜ」


 (テンゲリ)を仰いで慨嘆すると、


「そうか、さもあろう。あの(オキン)は権勢に屈するを(がえ)んじない激しい気性(チナル)。とても今の神都(カムトタオ)にはおれまい」


 それを聞いて、三人もその気の強そうな外貌(クナル)を思い出して得心した。それから四人はいろいろと話を交わしたが、そもそもみなテンゲリに定められた宿星(オド)であったから、ときを経ずしておおいに意気投合した。


 見れば一人は東北の大族のハーンの嫡子(ティギン)、一人は西方の大族の人士、一人は神都(カムトタオ)商人(サルタクチン)、一人は西南の湖畔の(バリク)に住む庶民(カラチュス)


 平生では決して会うことのない境遇のものたちであったが、すべては宿星の(めぐ)り合わせである。つい遅くまで飲み過ごして、帰途に就いたのは夜も()けてからであった。去り際にヘカトが言うには、


「もしよければ、宿を出て私の家に来ないか。十分なもてなしはできないが房室は余っている」


 三人は礼を言って、必ずそのとおりにすることを約した。善は急げとばかりに、翌日には宿を引き払ってヘカトの家に移る。ヘカトは驚き喜んで、サルチンとカノンに使いを()ると、一席を設けて彼らを歓待した。


 そこにカノンが一人の娘を伴ってきた。その人となりはといえば、


 身の丈七尺、肌は(ツァサン)のごとく、(フムスグ)は蛾のごとく、(ひとみ)は明るく、歯は(しろ)く、花顔にして柳腰、窈窕(ようちょう)(注1)にして淑女、その見た目のとおり品性もまた清らかな一個の佳人。


 みなに紹介して言うには、


「こちらはコテカイと申します。先に神都(カムトタオ)からホアルンに逃れてきていたので、彼女を(たの)んで私もこちらに参ったのです」


 先にカノンが言ったホアルンにいる「旧知のもの」とは彼女のことであった。コテカイは自ら挨拶して、


「お初にお目にかかります。コテカイです。書を少しばかり(たしな)むほかには何の取り柄もありませんが、よろしくお願いします」


 するとカノンが横合いから、


「それは謙遜が過ぎる! みなさん聞いてください。彼女は書を()くすることは神都(カムトタオ)一、いや(ブルウ)、古今東西を見回しても並ぶものなき名人なんです。世間(オルチロン)の人は、その流麗な筆致と美しい容姿(ゴア・クナル)(たた)えて『嫋娜筆(じょうだひつ)(たおやかな筆の意)』の渾名(あだな)を奉って尊んでいるんですよ」


 サルチン、ヘカトはもとよりコテカイの高名(ネルテイ)は聞き及んでいたので頷くだけだったが、ヒィらはおおいに感心して喜んだ。チルゲイが尋ねて、


「コテカイ殿はどうして神都(カムトタオ)を離れたのでしょう」


 答えて言うには、


「ヒスワが私の書の噂を聞いて仕官を命じてきたのですが、どうしても悪政に荷担することはできないので、サルチン殿の助力(トゥサ)でこちらに参りました」


 するとカノンが憤然として、


「そればかりじゃないよ。ヒスワの奴め、この子がかわいいもんだからいやらしい目でみやがってさ。ほんと逃げてきてよかったよ」


 サルチンが呆気に取られて、


「カノン、口ぶりがすっかりくだけて、もう素が出てるぞ」


 そう指摘すればあっと口を押さえて赤くなる。これにはみな大笑い。


 こうして七人の好漢(エレ)が一堂に会したことになる。それぞれ胸襟を開いて話は尽きることなく、日が暮れて暗くなるのにも気づかぬほどであった。散会してそれぞれの房室に戻ると、ヒィが言った。


「俺は今まで好漢の交わりというものを知らずに生きてきたが、これほど痛快なものとは思わなかった」


 チルゲイは答えて、


「君はまさに一世の好漢、当代の英傑(クルゥド)だ。今日集ったものもいずれ世に道を行い、名を(あらわ)すものばかり。かかるものと交わることこそ最上の喜び(ヂルガラン)に違いない」


 ヒィは何度も相槌(あいづち)を打って(とこ)に就いた。以後もたびたび席を設けては語り合ったが、この話はここまで。




 さて、ヒィ・チノら一行は思いもかけず多くの好漢と出逢ったので、去るに忍びがたく逗留を続けていた。


 ある(ウドゥル)、ヒィは一人でぶらぶらしていたが、見ると前方から一人の童子(ニルカ)を連れた長袍の男が歩いてくる。ひと目でそれと判る尋常ならざる人物。


 はっとして(フル)を止めると、男は飄々然として近づいてくる。後ろの童子は(のぼり)を捧げ持って、これに(したが)っている。その幟を見れば、


「講命談天、莫未必中」


 とあるが、もとよりヒィには何のことか判らない。しかたなく男が近づくのを待って(ダウン)をかけた。


「好漢、待たれよ。その幟にあるのは何の意か」


 男はやおら立ち止まると軽やかな声で言った。


「これは『運命判断、いまだ()たらざるはなし』という意だ」

(注1)【窈窕(ようちょう)】美しく(しと)やかなさま。上品で奥ゆかしいさま。

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