第三 四回 ① <ゾンゲル、カノン登場>
神箭将カノンを救いて双商を知り
神道子ヒィに遇いて四句を吟ず
三人の好漢は女が野盗に襲われているのを見て、手に手に得物を執るとこれに斬り込んでいったが、ヒィ・チノのあまりの猛勇に首魁らしき大男が言うには、
「待たれよ、豪傑! 手向かいはいたしません、その剣をお収めください!」
それを聞いて漸く手を止めると、野盗どもはみな馬を降りて平伏した。ヒィはチルゲイらを顧みて、
「これはどういう戯言だろうな」
そう言って笑った。その野盗の首魁がいかなるものかといえば、
身の丈八尺、二百斤は遥かに超えようかという巨体、顎は硬い髭ですっかり覆われ、目はぎょろりと円く、何より顔は棗のごとく黄色い、異形の豪傑。
その大男が震える声で言うには、
「戯言などではございません! わしはこの辺りではちっとは名の知れた男でゾンゲルと申します。人からは顔が黄色く身体が大きいので『病大牛』と呼ばれております。常々、商旅を襲って生計を立てておりましたが、久しく獲物がなかったところにこの商旅が現れまして、しかも車の中には若い女までいるというので、恥ずかしながら大喜びしていたのでございます。しかし世の中うまくいかないもの、図らずも英雄のお手を煩わせることになってしまいました。わしは生まれてこのかた、貴殿ほど強いものを見たことがありません。伏して恕しを請う次第であります」
ゾンゲルはそう言って神妙に頭を下げた。ヒィはおもしろがって、
「ほほう、ではまずその女の縄を解け!」
するとあわてて女に駈け寄り、たちまち縄を解いた。女は戒めを解かれるやヒィの馬前に走り寄って礼を言った。
「殆ういところを助けていただいて、ありがとうございます。この恩は生涯忘れません」
その人となりを見れば、
女にして身の丈は七尺二、三寸、歳は二十歳を超えず、眉は映え、鼻は通り、眼は輝き、顎は尖り、腰は細く、脚は長く、性は屈するを潔しとせず、志は漢に劣ることない、美しさの中にただならぬ侠気を秘めた一個の女丈夫。
ヒィ・チノは、ひと目で彼女が凡夫とは比ぶべくもない侠女であるのを看て取って尋ねた。
「女、名は何という」
炯々たる視線にも臆することなく答えて言うには、
「はい、私は神都のカノン・ジュンと申します。近ごろの神都は佞臣が幅を利かせ、心あるものはみな眉を顰めております。私はかかる現状を憂えたもののいかんせん女の身、やむなくホアルンに落ちようとしたところ、この凶事に遭ったというわけです。貴殿に救っていただかなければ、舌を噛んで命を絶つところでした」
ヒィはその気概に少なからず感心して言った。
「我々もまたホアルンへ向かうところ、送ってさしあげよう」
カノンはまた礼を言った。三人はいちいち名乗り、行をともにすることになった。ヒィがカノンを鞍上に乗せ、それではと進もうとしたとき、
「お待ちください! 我々はどうすればいいんで?」
振り返れば病大牛のゾンゲルが呆然と見上げている。
「何だ、お前。まだいたのか」
すると顔を歪めて、
「うひぃ、まだいたのかとはあまりのお言葉。どうか我々の頭領になってください。一同伏してお願いします」
それを聞くやチルゲイは大笑いして、
「ヒィよ、君はつくづく野盗の類に慕われるらしいぜ。おい、病大牛とやら、よく聴け。この方はお前らの手が届くようなつまらぬ男ではないぞ。実は北方の雄ナルモント部ハーンの嫡子にして、チノの称を持つまことの英雄。それを捉まえて野盗の頭になれとは何だ、姿を拝見できただけでもありがたく思え!」
ゾンゲルはおおいに驚くと、額を地に打ちつけて非礼を詫びた。チルゲイは再び大笑い。ヒィもまた笑いながら、
「こら、あまり人を驚かすものではない。おい、病大牛。俺がナルモントに戻ったら配下に加えてやる。それまではあまり悪さをせずに神妙に暮らしておれ」
そう言えば病大牛は恐縮して、
「もったいないお言葉にございます。謹んでお待ちしておりますので、決してお忘れなきよう」
「忘れるものか。きっと使いを寄越そう」
ゾンゲルはおおいに喜んで、再び地に額を着けて拝礼する。そのやりとりを聞いていたカノンがやはり恐縮しつつ言うには、
「私、できましたら馬を借り受け、自ら騎乗して参りたいと思います。ハーンのご嫡子の鞍に同乗するなど恐れ多くございます」
「何だ、別に俺は気にせんぞ。嫌か?」
「いえ、とんでもない! ただ……」
傍らからチルゲイが言った。
「まあ、四頭の馬があれば四人で騎ればいい。病大牛、ぼうっとするな。馬だ、馬だ」
ゾンゲルはあわてて己の馬を牽いてきた。カノンはそれにさっとうち跨がる。見れば堂々たる騎乗ぶり、一同密かに感嘆の息を漏らした。
「カノン殿、遅れずについてこれますか」
ミヤーンが問えば、きっと蛾眉を顰めて、
「女だと思って甘く見てもらっては困ります。これでもいささか武芸の心得もあり、馬術についてもその辺の凡夫には決して劣りません」
「ははは、勇ましいことだ。ではいざホアルンへ。とんだ寄り道をしてしまった。急ぐぞ」
ヒィはそう言うとゾンゲルに別れを告げ、一散に駆け出した。カノン、チルゲイ、ミヤーンの順でこれに続く。