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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
131/783

第三 三回 ③

ヒィ・チノ知略を(もっ)て不浄大虫を討ち

ホアルン神人を(つか)わし拓末菲絲(たくばつひし)を招く

 チルゲイとミヤーンは、ヒィが呼ぶのを聞いて初めてそれが名高き(ネルテイ)サトラン氏のツジャン・セチェンだと知った。


「何か用か?」


「特に用があるわけではないが、久しぶりに来てみれば何だ。旅にでも出るのか」


「さすがは知恵者(セチェン)、そのとおりだ。これからちょっと河西に行ってくる」


 こともなげに言ったが、おおいに驚いて、


「待て、河西だと? 当てでもあるのか」


「君も聞いたことがあろう、ジョルチのインジャに挨拶してくるつもりだ」


 ツジャンは呆れてものも言えなかったが、(ようや)く尋ねて言った。


「これから(オブル)だぞ。しかも道中の神都(カムトタオ)は、先の敗戦に懲りてよそものは入れぬとか。どうやって河西に渡るつもりだ」


「ほほう、そうか。チルゲイ、何とする?」


 傍ら(デルゲ)でにやにやしながら聞いていたチルゲイは、即座に答えて言うには、


(ウリダ)のホアルンを経由しよう。遠回りになるが、ホアルンに行けば舟の一艘や二艘、すぐに調達できよう」


「ホアルン? ここからホアルンまでも千里あるんだぞ。しかも(ムレン)を渡れば渡ったで、ヤクマン部の版図(ネウリド)だ。どんな目に遭うか判らんぞ」


「心配は無用(ヘレググイ)、ヤクマンには私の兄弟がいるゆえ」


 チルゲイはすっかりご機嫌である。ヒィが応じて、


「おお、ムジカだな」


「さすがはヒィ、よく覚えている。そうだ(ヂェー)、彼に言えば(ハバル)まで置いてくれよう。それからゆるりと(ホイン)へ向かえばいい」


 ヒィは向き直って言った。


「というわけだ。次の(ゾン)には帰るから、みなにそう伝えてくれ」


 ツジャンはあわてて、


「何が『というわけ』だ、ハーンが許すわけなかろう。せめて春まで待て」


「春まで待てるか! ハーンには君から言っといてくれ。俺の私兵(エムチュレン)は、君とキセイに預ける。()()()()()()キセイを走らせてくれ」


 ツジャンはやれやれと首を振って、


「君はいつもそうやって人をはらはらさせる。先に(ヂェテ)のアイルに乗り込んだときもそうだったが、今あわてて河西に行かずともよかろうに。まあよい、好きにするさ。君の兵は預かろう。君は君の(モル)を進めばいい、私は私の道を進もう」


 ヒィはおおいに喜んで、


「解ってくれたか! では今夜にも発つからあとは(たの)んだ」


承知した(ヂェー)。あまり無理はするなよ」


 そう言ってツジャンは去っていった。


 夜までに三人はことごとく準備を()えると、(アクタ)(また)がってアイルをあとにした。目指すは南方千里、ホアルンの(バリク)である。




 ホアルンがどこにあるかと云えば、まず神都(カムトタオ)から南へカオロン(ムレン)に沿って延々と下っていくと、前方に長城(ツェゲン・ヘレム)が見えてくる。その辺りから(ムレン)は次第に(ヂェウン)へと折れていく。流れがまったく東に向きを変えたすぐ北岸にあるのがそれである。


 規模はタムヤと同じくらいだが、西(バラウン)のタムヤ、イシなどと比べると中華(キタド)系の商人(サルタクチン)が多い。といっても、いわゆる中華(キタド)の民ではなく、その領内に住む異民族(カリ)系の華人である。彼らはもともと異民族であったのが、早くから中華帝国(キタド・ウルス)の治下にあったため同化していったものである。


 ホアルンはおよそ百年前(注1)に、そういった異民族出身の華人たちによって建設された。ジュチが神都(カムトタオ)を奪還したのとほぼ同じ時期である。その中核を成したのが、寧夏族の拓末菲絲(たくばつ・ひし)である。


 寧夏族とは遥か昔から中華(キタド)の西北方にいた民族(ウンデス)で、その名はすでに『蔡書』の「蛮夷列伝」に見える。それによると古くから商道に優れ、蔡が興るやいち早く入貢、ときの皇帝(グルハーン)太祖より全国での商売を許されたという。


 以後も寧夏族は商業に従事し、王朝が幾つ交代しても関わりなく東西を飛び回っていたことが史書に見える。その後、全国の要地に商館を設け、交会と呼ばれる組合(オルトク)を結成して勢力を伸ばし、今や中華(キタド)の民間に隠然たる力を持つに至っている。


 さてその寧夏族の拓末菲絲であるが、彼のホアルン建設について世にも不思議な物語(ウリゲル)が伝わっている。これを語らずして続きを語るわけにはいかない。


 彼はもともと中華(キタド)の南方で商売をしていたが、取引において大きな過失(アルヂアス)があって交会を除名されてしまった。やむなく身ひとつで北へ向かうと、姓を変え、名を改めて新たに商売を始めた。


 それが(ようや)く軌道に乗りはじめたときであった。史上に残る「郢宋(えいそう)の大乱」(注2)が起こり、再び全財産を失ってしまった。つくづく運がないと悲嘆していた折に、夢の中に神人が現れて言った。


「これからお前はさらに北へ向かうがいい。途中、眼の青い男と髪の赤い男に()うだろう。それがお前の仲間だ。三人揃ったら鄭州で人を集め、長城を越えよ。お前は光差す地、ホアルンに辿り着くだろう。そこに街を造れば富貴を極めることができよう」


 拓末菲絲は目を覚ますと、(わら)にも(すが)る思いで旅に出た。数日間は格別のこともなかったが、蓋州の手前で宿屋に泊まったところ、眼の青い男に出逢った。


 これこそ神人の言った仲間に違いないと思って声をかければたちまち意気投合した。男は青眼虫の李車車と名乗った。二人でさらに北へ行くこと五百里、今度は穣州で髪の赤い男を見つけた。拓末菲絲は李車車に、


「あれこそもう一人の仲間に違いない」


 と言って、声をかけた。その男は赤髪兎の嚇吐樊(かく・とはん)と名乗った。三人はおおいに気が合った。そこでいよいよ鄭州へ行くことにした。無事に鄭州に着いて人を募ってみたが、わざわざ長城を越えようというものがあるはずもない。

(注1)【およそ百年前】現在は西暦では1204年。ホアルンの建設は1105年のこと。ちなみにジュチが神都(カムトタオ)を奪還したのは1101年のことである。第一 九回①参照。


(注2)【郢宋(えいそう)の大乱】1103年、節度使の郢宋が梁帝国に叛旗を(ひるがえ)して起こった内乱。

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