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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
13/783

第 四 回 ①

ハクヒ(なみだ)して族史を語り宿命を悟らせ

インジャ初めて草原に戦い魔軍を走らす

 ハクヒはインジャに向かって語りはじめた。


「我が氏族(オノル)、フドウについて知っていただかねばなりません」


「フドウについて……」


はい(ヂェー)。フドウ氏はじめジョルチ部の祖先(ボルカイ)は遥か昔、遠くオロンテンゲル(アウラ)(ホイン)に連なるシェンガイ山嶺(ニルウン)からやってまいりました。名をジョルチ・チノという全身を銀の毛で覆われた(チノ)です」


「……狼?」


 意外さを禁じえず呟くと、


はい(ヂェー)。ジョルチ・チノは大地(エトゥゲン)の王たる白き狼(ツェゲン・チノ)の四番目の王子(ティギン)にあたります。チノは太陽(ナラン)の消えた忌まわしい(ウドゥル)にシェンガイを離れました」


「なぜだ?」


「チノは、やはり同じ銀の髪を持つ乙女(オキン)に恋をしたのです。乙女の名は、ネイメイ・タイエン。チノはネイメイのあとを追って(アウラ)を下りました。ちょうど天王(フルムスタ)たる太陽がお怒りになって、昼の最中に突然消えた(ブレルテレ)ので、その暗き(ハラング)(まぎ)れて無事にシェンガイを離れることができたのです」


「…………」


「チノはほどなくネイメイを見つけると、夜になるのを待ってこれを襲いました。ネイメイは(クウ)(はら)み、(サラ)が満ちて六人の子(ゾルガーン・クウヘド)を産みます。それがジョルチ部の各氏族(オノル)の祖です。すなわちベルダイ、ジョンシ、アイヅム、そして我がフドウ、キャラハン、ズラベレンの六氏。我がフドウ氏の祖たるフドウ・ジョルチは、四番目の子にあたります」


 ここで一旦話すのをやめて、インジャの顔色を窺う。


「続けよ」


はい(ヂェー)。チノはまもなく死にましたが、あとに残された六人の兄弟はよくネイメイを護り、中原に広大(ハブタガイ)牧地(ヌントゥグ)を獲得いたしました。以後、子孫は互いに婚姻を重ね、代わる代わる有能な族長(ノヤン)を輩出し、輔け合いながら草原(ミノウル)をところ狭しと駆け巡ってきたのです。ところが……」


 その口調が俄かに暗鬱な色を帯びる。


「ところが、どうした?」


「二十数年ほど昔のことになります。草原(ミノウル)(ウリダ)にトオレベ・ウルチをハーンに戴くヤクマン部なる部族(ヤスタン)があるのですが、奴らが中華(キタド)と手を組み、我が部族(ヤスタン)結束(ヂャンギ)を崩しにかかったのです」


 そこでインジャが制して言うには、


「今、中華(キタド)と言ったが、何だそれは」


「ご存知ありませんでしたか。草原(ミノウル)の南方に彼らの築いた長城(ツェゲン・ヘレム)があります。その向こうに彼らの(ウルス)があるのです。中華(キタド)の民は日ごろ(モリ)()らず、定住(ソーダル)して穀物を育てております。エジシ様によると、現在の中華(キタド)は『梁』を姓とする一族が治めているそうです」


「なるほど。……中華(キタド)というのはタムヤの連中に似ているな」


中華(キタド)は昔から卑劣(ザリ)な策謀を好みます。このたびも巧みにトオレベ・ウルチを抱き込み、草原(ミノウル)の民を相争う(ブルガルドゥクイ)よう仕向けたのでございます。無念にも我が部族(ヤスタン)はまんまと計略に()まり、まず最大の氏族(オノル)であるベルダイ氏が分裂、その争いは他の氏族(オノル)にも波及しました。ジョルチは幾つもの勢力に分かれて戦い(アヤラクイ)、急速に衰えました」


「……………」


「インジャ様の(エチゲ)であるフウ様は、何とか部族(ヤスタン)を在りし日の姿(カラア)に戻そうと努めましたが効なく、そうするうちにヤクマン部とナルモント部の連合軍に攻め込まれて四散してしまったのです」


 とて無念の表情を浮かべる。


「ハクヒも、その(ソオル)に出たのか」


はい(ヂェー)。しかしあれは戦などと呼べるものではありませんでした。ハーンの呼集に応じた兵は(すくな)く、その兵たちもみな(カラ)に従わず我先に戦う始末。これでは勝てる道理(ヨス)がありません。あっという間に蹴散らされて、ハーンも戦死してしまいました。我々もフウ様を護って逃れるのがやっとでした」


「……その後、ジョルチ部はどうなった」


「敗戦にも目が覚めず、数少なくなった人衆(ウルス)の中でさらに争いは続きました。……そして、十六年前のことです」


 ここでハクヒは大きく息を吐いた。


「ふ、フウ様が、盟友(アンダ)(たの)むアイヅム氏のテクズスに、騙され、こ、殺されたのです!」


「……父が、……盟友(アンダ)に⁉」


 インジャはしばし言葉(ウゲ)を失った。


 草原(ミノウル)では、盟友(アンダ)(ツォサン)よりも濃い絆で結ばれたまたとない(イル)、これを殺す(アラハ)など親を殺すよりも恥じなければならぬ悪行である。インジャは、ジェチェン・ハーンにそのことを繰り返し教えられてきた。その盟友(アンダ)に、父が殺されたというのだ。


 つい先日、インジャ自身がナオルと盟友(アンダ)の誓いを交わしたばかり。セルヂム(潅奠(かんてん)儀礼)(注1)して天地に誓って言うには、


「常に良き友たれ。己を(なげう)ってこれを助け、たとえ(アミン)を失っても悔いることなかれ。大ズイエの流れが逆流しようとも、天地の王に誓って互いに(そむ)くことなかれ。盟友(アンダ)にあるまじき行いあらば、子々孫々に至るまで災いあらん」


 また唱和して、


かくあ(ボルトガイ、)れかし(ボルトガイ)!」


 とて、慣習(デグ・ヨス)(なら)って互いの宝を交換した。インジャはナオルにハーンから賜った金絲(アルタタイ)の帯を、ナオルはインジャに父カメルから貰った(あぶみ)を与えた。かくしてインジャを(アカ)、ナオルを(デウ)とする盟友(アンダ)の誓いは成った。


 フウがテクズスに殺されたことは、(たと)えていえば自分がナオルに殺されるようなもの。ありえないこととしか思えない。


「さぞかし父は無念であったろう……」


「……はい(ヂェー)。その後、我々はテクズスの(ガル)から逃れるため西(バラウン)へと向かいました。しかし道半ばにして追撃を受けてあえなく壊滅、(ようや)くエジシ様を(たの)んでタムヤに難を避けました。ほどなくして若君がお生まれになり、今に至るという次第です」


 ハクヒは、はらはらと流涕して、


「是非ともフドウを再建し、憎きテクズスおよびトオレベ・ウルチを討ってくださいませ。それが我々の悲願であり、若君に課せられた宿命(ヂヤー)とお考えください」


「そうか、そのようなことがあったか……。(クチ)足りぬかもしれんが、父の(オソル)をそのままにはしておけぬ」


 かくしてインジャは己の宿命を悟ってますます鍛錬に心を砕いたが、くどくどしい話は抜きにする。

(注1)【セルヂム(潅奠儀礼)】潅奠(かんてん)(ボロ・ダラスン)(ひた)した薬指を(はじ)いて、天地人に捧げる習俗。

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