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草原演義  作者: 秋田大介
巻三
128/783

第三 二回 ④ <ヒィ・チノ登場>

サノウ山上に理を説いて職制改まり

チルゲイ東原に雄と交わり討賊を議す

 このころ、例の奇人チルゲイがどこにいたかといえば、相も変わらずミヤーンと旅の途上にあった。神都(カムトタオ)でインジャらと別れたあと、すぐに(バリク)を出て東行千里、道中格別のこともなくナルモント部のアイルを騒がせた。


 ナルモント部は勇猛(カタンギン)にして翻天竜の異名を持つダコン・ハーンが治めていた。チルゲイは巧みに言辞(ウゲ)を操り、いつの間にかちゃっかり客人(ヂョチ)になりおおせた。


 ここにやはり宿星(オド)(めぐ)り合わせか、一個の好漢(エレ)があった。その名はヒィ・チノ。ハーンの嫡子(ティギン)である。覚えている方もおられようか、カミタ氏のオノチに弓を教えた(注1)のが彼である。その人となりはと言えば、


 身の丈七尺半、年のころは二十歳を出でず、(ニドゥ)(ガルチュ)を宿し、(アマン)(サルヒ)を出だし、四肢に気(みなぎ)りて、所作は躍すること奔馬(クラン)のごとく、心中に(オロ)宿りて、舌鋒は鋭なること名剣のごとし。(ヂルケ)は世を(おお)うべく、(クチ)(アウラ)を抜くべく、(ウルドゥ)(ガヂャル)を裂くべく、弓は(ナラン)を落とすべく、武芸、水練、天文、地理、用兵、故事、ことごとく通暁せざるはない、まさに天下無双の英傑(クルゥド)


 チルゲイとミヤーンは、ハーンの(カラ)でヒィに預けられることになった。初めて挨拶を交わすとヒィが言った。


「河西から見えたとか。どうだ、おもしろい(ソニルホルトイ)ことがあったろう」


いかにも(ヂェー)草原(ミノウル)の彼方には、魑魅魍魎が(クイラン)を巻いて巣食っているぞ」


「ほう、それは仰々しい。話を聞かせよ。無聊(ぶりょう)(注2)が(しの)げそうだ」


 かくしてチルゲイがおおいに草原(ミノウル)の情勢を弁ずれば、ヒィはおおいに喜び、躍り上がって言うには、


「こんな辺境でちまちまと牧地(ヌントゥグ)を争うのは、親父(エチゲ)の代までで十分だ。俺はさっさとセペート部を滅ぼして河西に繰り出すぞ。(おとこ)として生まれたからには、大事を成し遂げねばならん」


 セペート部というのは、北東を流れるズイエ(ムレン)を挟んで対峙する大部族(ヤスタン)である。ナルモント部とは宿年の仇敵(オソル)


 それはさておき、チルゲイとヒィ・チノはすぐに意気投合して義兄弟となった。聞けば二人とも同じ(ナス)、しかも同じ(オブル)の生まれであった。


「よし、チルゲイ。今日から俺と君は兄弟だ。ミヤーンもついてこい、出かけるぞ!」


 そう言うと真っ先にゲルを飛び出していく。


「よしきた!」


 チルゲイもぱっと席を立って、あとを追う。しぶしぶミヤーンも立ち上がって、


「やれやれ。奇人一人でも大騒ぎなのに、また盛んなのが現れた。疲れるなあ」


 ぼやいたが、もちろん二人の(チフ)には届かない。三人はそれぞれ(アクタ)(また)がって駆け出した。先頭に立つのはヒィ・チノ。彼らを見かけた人衆(ウルス)はみな(ガル)を振って、


「若様、お気をつけて」


「若様、早くお戻りになられますよう」


 ヒィは笑って、


「陽が落ちるまでには戻るさ! お前らもしっかりやれよ!」


 そう言ってさらにひと鞭、()るは漆黒の駿馬(ハラ・クルゥグ)瞬く間(トゥルバス)にアイルを遠ざかる。チルゲイとミヤーンはついていくのがやっとの有様。


 さて、見渡すかぎりの(ウヴス)(ダライ)を、三騎は駆けに駆けた。


「チルゲイ、見ておれ」


 そう言うや弓に矢をつがえて天空(テンゲリ)へと放つ。はっと見上げれば、矢は見事に天翔ける(クシ)を射止める。二人はおおいに感嘆してその手並みを褒めた。三人は大笑いしてさらに馬を飛ばす。


 しばらく行くと、ヒィ・チノが馬を止めて言った。


「ひとつ相談があるのだが」


「何だ、何だ。私にできることならよいが」


「耳を貸せ」


 チルゲイが(ヌル)を寄せると、そっとあることを耳打ちした。さすがの奇人も驚いて(ニドゥ)を見開いたが、やがて満面に喜色を浮かべる。傍ら(デルゲ)のミヤーンは、どうせろくなことにはなるまいとて様子を窺う。チルゲイが言うには、


「ほほう、おもしろい、おもしろい! 何と大胆(スルステイ)なことを思いつく奴だ。で、何人でやるんだ?」


「俺と君、そしてミヤーンの三人だ」


 チルゲイはひょうと奇声を発すると、


「ますますおもしろい。たった三人か、ははは、これはいい。いいぞ、いいぞ」


 連呼して愉快そうに笑う。彼が笑えば笑うほどミヤーンは不安を増したので、恐る恐る尋ねた。


「何がそんなにおもしろいだ」


「ふふ、いやさ、このヒィ殿が、数百の手下を率いた野盗(ヂェテ)を三人で始末しようと言うのさ。こんな痛快なことがそうそうあろうか、ははは」


 ミヤーンは吃驚して、


阿呆(アルビン)か! お、俺はやらんぞ! (タルヒ)がおかしいのか?」


 ヒィ・チノは眼に炎を宿して、


「無理ならそのときは逃げるのさ。嫌とは言わせないぞ。さあ、乗り込もう」


 チルゲイは至って呑気な調子で、


承知、承知(ヂェー ヂェー)。ミヤーン、ついに君の棒が役立つときが来たんだぜ」


「絶対に嫌だ! 君たちだけでやればいい」


「まあまあ、そう言わずに。行こう、行こう」


 ヒィとチルゲイは二人だけで話をまとめて、嫌がるミヤーンを()き立てて進んだ。三人はやがて小高い(ドブン)に辿り着いた。ヒィがそれを指して言った。


「ここに奴らのアイルがある。主将は『不浄大虫』のバーリルっていうけちな男だ。噂には重さ十五斤の大鉄槌の使い手だそうだが、かまうことはない。そいつさえ討ちとればあとは有象(エレムデク)無象(・ヂェムデク)の類、取るに足らん」


「君の弓の(エルデム)があれば易々と仕留められるだろう」


 すると何と答えたかと言えば、


「それではつまらん(ソニルホルグイ)。しかしどこからかかろうか」


 応じて僅かに考える風だったが、


「ふうむ。まことにそのバーリル以外はたいしたことないんだな。ならばことは容易(たやす)い」


 ヒィ・チノの眼がきらりと光る。


「ほう、策があるか」


 ミヤーンがあわてて間に入ると、


「とんでもないことを言っているが、俺はまだ承知したわけではないぞ」


「ここまで来て何言ってるんだ。『駆け出した馬からは降りられぬ』と謂うではないか」


「駆け出したのは君たちじゃないか!」


 しかし押しきられてやむなく(したが)ったが、これはいつものこと。


 さてそこで奇人は(ホロー)を立てて二人に一計を話しはじめた。このことから好漢おおいに賊徒の(エレグ)を潰し、名声四方に轟くといった次第になるのだが、果たしてチルゲイはいかなる策をもって不浄大虫を討ちとるか。それは次回で。

(注1)【オノチに弓を教えた】第二 七回②参照。


(注2)【無聊(ぶりょう)】退屈なこと。心が楽しまないこと。気が晴れないこと。


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