第三 二回 ①
サノウ山上に理を説いて職制改まり
チルゲイ東原に雄と交わり討賊を議す
さてコヤンサンが叫んだのを機に、サノウはおもむろに立ち上がると、拱手して話しはじめた。
「今、山塞には好漢が星のごとく集い、ついに敵人を退け、まさに隆盛の機運を迎えようとしております。しかしコヤンサンの言うとおり、もともと我らは草原に生きるべき民、よってその回復は何より望まれることです」
みなおおいに頷いたが、サノウは首を振って、
「とはいえ、ここまで大きくした山塞を棄てるのは惜しまれることでもあり、また早計でもあります。ただ草原を懐かしんでこれを飛び出せば、必ず痛い目に遭うことでしょう。たしかに勢いに乗じて山を下れば、牧地は容易に回復できます。しかし『易く得たものは易く失う』ということは、ウリャンハタ部を見ても明らかなこと。慎重に、着実に、一歩ずつ失地を回復するべきかと存じます」
「では軍師、その方策やいかん?」
トシ・チノが問えば、
「我らは多くの氏族が混淆しております。これをただ草原に返せば、もとに戻るばかり。いわば点をばら撒いたような状態になってしまいます。これでは強敵と見えたとき、また敗れるのは火を見るより明らか。そこで点を線に、さらに面にせねばなりません。そのためには焦らずじっくりと牧地を広げて、敵が現れたらその都度力を併せて退けていかねばなりません」
みなの顔を見回してから続けて、
「今、草原を見渡すに、東のジュレン部はしばらく街から出てきますまい。西のウリャンハタ部もメンドゥ河は渡れません。しかし目を南に向ければ、まずベルダイ右派のサルカキタンがいます。まあ、これは難敵とは言えません、すぐにも討てましょう。しかしその南は? そう、マシゲル部が分裂して争っています。それはそれとして、さらに南はどうでしょう」
ナオルが答えて、
「ヤクマン部がある」
「そう、草原最大の梟雄トオレベ・ウルチ率いるヤクマン部が盤踞しています。今回、トオレベ・ウルチは我々の戦にもマシゲルの内乱にも荷担せず、じっと様子を窺っています。その間、何もしていないはずはありません。一挙に牧地を広げようと力を蓄えていたに違いないのです。これを見れば、迂闊に草原に出るのは愚挙であることが解りましょう」
さらに続けて、
「また敵はそればかりではありません。小部族、野盗の類は数知れず、かのマシゲルの獅子ギィ殿も、タロトの妖人ジェチェン殿も、その跳梁に悩まされたものです。我々はこれらのうち、降るものは迎え、逆らうものは滅ぼさねばなりません。寛猛を使い分け、地を広めるごとに強を益す大略なくして、草原に覇を唱えることなどできません」
一同はしんとして次の言葉を待った。サノウはひと息吐いて、
「山塞は決して棄ててはいけません。まずはこのオロンテンゲル山の南を牧地として収めましょう。家畜は輪番で管理することとし、ほかの職制も定めて、しばらくは山塞を軸にアイルを展開しましょう。早く故郷の山河に戻りたいものもあるでしょうが、辛抱して大義のためにはたらいてもらいます」
これには異議を唱えるものもない。タアバが尋ねて言った。
「輪番というが、そのものは山を下りるのか」
「いかにも。決められたものは草原にアイルを構えて家畜を守るのだ。それ以外のものは今までどおり塞で暮らしてもらう」
さらに一同に向かって、
「この任務は、誰にでもできるというわけではありません。全部族の家畜を預かる重要な役ですから、みなの信頼とそれに応える才略が不可欠です。また万が一、敵人が来襲したら、真っ先にそれを察知して山塞に伝え、自らは先頭に立って戦わねばなりません。ところでナオル殿は、インジャ様の一の義弟にして信頼厚く、胆力才略ともに卓れているのは誰しも認めるところです。ゆえに最初はナオル殿が適任かと存じます」
当のナオルは急に褒められたので窮屈そうに畏まっている。サノウは続けて言うには、
「そのほかの職制も一部改める必要があるでしょう。それは明日、インジャ様とセイネン、マタージ殿、サイドゥと諮って決めておきましょう。祝宴を中断して申し訳ありません」
そしてやっと着席する。一同は言葉もなかったが、突然ドクトが、
「殆うく今日はもう飲めぬのかと思ったわ! さあさあ、ぱぁっといきましょうや。山塞に乾杯! インジャ様に乾杯! 軍師先生に乾杯だ!」
そう大声で叫んだので、一座の空気はがらりと変わり、あとはいつもの宴会となった。諸将は代わる代わる立ってインジャに杯を勧め、インジャも快く受けると諸将に返杯した。
座に並ぶ好漢を数えれば、総じて二十九人。どの顔にも笑顔が溢れ、勝利の喜びに浮かれている。
中でも功績一等に輝いたアネクは軍装を解き、艶やかな袍衣に身を包んで、宴席に華を添える。その白い笑顔はまるで花が咲き零れたがごとき美しさ。
諸将はおおいに飲み、騒ぎ、語り、宴は夜更けまで続いたが、この話はここまでとする。