第三 一回 ③ <スク・ベク登場>
アネク山道に三将を討って功を顕し
カントゥカ平原に四雄を退け軍を保つ
「大カン、私はキャラハン氏族長セイネン・アビケルと申します。諦めていただきましょう。さあ、かかれ!」
合図を機に、キャラハン軍は一斉に押し寄せる。ウリャンハタ軍は為す術もなく崩れていく。ミクケルは嘆息して言った。
「わしがこんなところで死ぬとは……」
「何をおっしゃいますか、大カンだけでもお逃げくだされ。ここはみなで喰い止めます!」
側近たちは口々に励ますと、ミクケルの乗馬の尻を槍で突いた。馬はひひいと嘶いて、前脚を高々と上げる。ミクケルは必死で鞍にしがみつく。そのままもの凄い勢いで駆け出して、包囲を突破した。
「しまった! 追え、逃がすな!」
セイネンが叫んだが、ウリャンハタ軍が最後の力を振り絞って抵抗したので追うことができない。しかし抵抗もそこまで、次第に数を減じていく。
ついにそれが掃討され尽くしたころにはアネク、コヤンサンをはじめ、ドクト、テムルチら諸将もそれぞれ莫大な戦果を上げて意気揚々と集まってきた。
「ミクケルを逃したのは痛いな」
テムルチが言えば、
「ウリャンハタはまだ数千の兵を残してきています。逃げたものも掻き集めればなお八千にはなるでしょう。さらに山を下って追撃するべきかと存じますが」
トオリルが遠慮がちに進言する。みなそれはもっともだと思ったので、軍を再編成して山を下ることにした。オノチだけは報告のため塞に帰った。
一方、ミクケルは一気に麓まで駆け下ったところでヒラトに迎えられた。彼は先に後退したので追撃を免れ、軍を保ったまま待機していたのである。
「大カン、急いで帰りましょう。本営にはすでに知らせてあります。やがて合流するはず」
ミクケルは答える気力もない。ヒラトは替馬にこれを騎せて進軍を命じた。少し行くと待機していた数千騎が合流したので、それを巧みに再編して一路西に向けて出発する。
「ヒラト、このたびは散々だったな」
声をかけてきたのは誰あろう、スンワ氏のカントゥカ。彼は先の本塞攻めで生き残り、今日は待機していたのである。
「カントゥカか。山塞の連中は手強いぞ。どんな大軍をもってしてもあの塞は抜けまい。いずれ彼らは必ず牧地を回復するだろう。ウリャンハタはメンドゥの西に撤退するほかあるまい」
「やはり無謀な出師だったということよ」
「ジュレンのヒスワはどうした?」
いまいましげな表情で尋ねれば、ふんと鼻を鳴らして、
「とっくに帰りおったわ。青い顔してな。あんな書生の策に乗ったのが過ちだったのさ」
「サルカキタンは?」
「もっと哀れさ。ヒスワを留めようと必死だったわ。まあ、奴にしてみりゃこの先、誰の助けもなく山塞勢と対峙しなきゃいかんのだからな。最も愚かなのはこいつだろう。『射るには人の弓をもってするなかれ、騎るには人の馬をもってするなかれ』ってのはこのことだ」
ヒラトは頷くと、深い溜息を吐いて、
「……幸い私も君も生きている。西原に帰るまでそうあればよいが」
「山塞の連中、きっと追撃してくるぞ」
「ならば戦おう。生きるために」
カントゥカの予想どおり、いくらも行かぬうちに後方に追撃軍が現れた。先頭はズラベレン氏のコヤンサン。
「待て、待て! 生きて帰れると思うなよ!」
「来たな……。カントゥカ、どうする?」
ヒラトは冷静に問う。カントゥカは答えて、
「やむをえん、挨拶してくるか。殿軍は委せろ。あとで追いつく」
「スク・ベクとともに行け。無理はするな」
「当然だ」
カントゥカは笑って馬首を廻らすと、スク・ベクに声をかけて、
「おい、挨拶に行くぞ」
「よしきた、参ろう」
答えたスク・ベクとはいかなる人物かといえば、
身の丈七尺半、眉を墨を引いたがごとく、瞳は漆を点じたがごとく、見事な髭を蓄え、怪力無双、気宇広大、仁に倚り義を重んじるまことの好漢。
二人は躊躇することなく敵の大軍向けて駆けた。カントゥカの得物は二丁の戦斧、これはそれぞれ五十斤(注1)もある代物。スク・ベクの得物は身の丈の倍もあろうかという長槍。いずれも見るからに尋常のものではない。
コヤンサンは、たったの二騎で向かってくるのを見て叫んだ。
「命を捨てにきたのか、阿呆め!」
傍らのトオリルがこれを制して、
「あの得物をご覧なさい。並のものではありませんぞ」
「見かけ倒しよ」
制止を振り払って飛び出す。
「愚かな奴もいるものよ。まずはこのカントゥカの腕を見せてやろう」
二丁の戦斧を軽々と振り回しながら馬腹を蹴る。コヤンサンが名乗りも上げずに槍を繰り出す。ぶんと斧を振るってこれを弾けば、あまりの衝撃にうっかり槍を落としてしまった。
「あっ!」
思わず声を挙げる。カントゥカは冷笑を浮かべて、
「話にならん。もっと強い奴を連れてこい」
(注1)【斤】1斤は約480グラム。つまり五十斤だと約24キログラム。