第三 一回 ②
アネク山道に三将を討って功を顕し
カントゥカ平原に四雄を退け軍を保つ
大将旗が動くのを見てコヤンサンは、
「おお、大カン自らがお出ましだぞ。首を洗って待ってろよ!」
そう言って駆け出そうとしたところ、トオリルが諫めて言った。
「あわててはなりません。中軍には精鋭が揃うもの、こちらも態勢を整えるべきです。アネク殿やトシ様と兵を併せましょう」
コヤンサンはおおいに気が逸ったが、先の例を思い起こしてこれに順った。そのときちょうどトシ・チノの陣営から金鼓が鳴り、山塞軍は整然と布陣を立て直す。
ウリャンハタ軍も金鼓を打ち鳴らし、それを機に両軍は正面から激突した。馬蹄の響きは天地に満ち、槍の触れ合う音が方々で耳を打つ。さすがに一進一退、山塞の精鋭もそう容易には勝ちを制することができない。
トシ・チノは悠然と指揮を執りつつ、
「ほう、さすがは大カン率いる中軍、おいそれとは退かぬか。マタージ殿、策はあるか」
そう傍らのマタージに尋ねれば、答えて言うには、
「敵は緒戦の不利を挽回しようと死に物狂いで向かってきております。ならばそれを逆に利用するのがよろしいかと。つまり突き崩されたかと見せて、敵を懐に呼び込み、半ば包囲して殲滅するというのはいかがでしょう」
「妙計だ。そのとおりにいたそう」
すぐに金鼓を鳴らさせれば、それを聞いたアネクもコヤンサンもたちまち策戦を理解する。さりげなく兵を動かしてウリャンハタ軍のために道を空ける。それはあたかも猛攻に押されて隙ができたかのごとくであった。
ミクケルは誘いの一手とも知らずに欣喜雀躍して叫んだ。
「見ろ、敵は浮足立っておるぞ! 進め、進め。小僧どもの首を挙げるのは今ぞ!」
ウリャンハタ軍は、わあっと喊声を挙げて前進する。塞上から戦の様子を見ていたインジャは、あわててサノウに尋ねた。
「軍師、友軍が不利のようだが……」
するとサノウ、からからと笑って、
「ご心配なく。味方をも欺く見事な用兵とは、かくのごときを謂うのでしょう。あれは『わざと撃たせて拳を把む』という計でございます。ご覧なさい、一見突破されたように見えますが、敵は前進に気を奪われて胴が細く伸びきっております。あれでは横からの攻撃には堪えられません」
このような会話がなされていたころ、ウリャンハタの軍中にも同じ危惧を抱いたものがあった。カオエンのヒラトである。彼は味方が陥穽に落ちたことを悟ったが、ときすでに遅くいかんともすることができなかった。
そこで彼は俄かに己の手勢に退却の指令を出した。カオエン軍の一部が徐々に後退を始める。中軍のあとに従っていたので、混乱少なく離脱することができた。
すぐにそれに気づいたサノウは感心して言った。
「敵にも兵法を齧ったものがあるようですな。いずれにせよ勝敗は決しました」
その瞬間、高らかに銅鑼が鳴り響いたかと思うと、左右に散ったアネク、コヤンサンの兵が喊声を挙げてウリャンハタ軍の側面を突いた。トシ・チノの中軍もどっと押し出す。ウリャンハタ軍はずたずたに分断され、途端に浮足立った。
「敵は崩れたぞ! ここが勝敗の岐路と心得よ!」
トシが戦場に響きわたる大声で叫ぶと、山塞の兵は一人残らず奮い立ってウリャンハタ軍を揉み立てる。アネク、コヤンサンも手薄になった敵軍の中を縦横無尽に駆け回る。
ミクケルは茫然自失の体で、自軍が崩壊していくのを見遣っていた。
「む、むむう、小僧どもが……」
「大カン、退却の合図を! このままでは全滅……」
側近の将が青ざめた顔で言う。ミクケルは怒りにわなわなと震えながら、ついに退却の命を下した。銅鑼が鳴り、一斉に退きはじめる。
山塞軍はさらに勢いに乗って攻め立てる。突出した部隊のほとんどは退くこともかなわず、ことごとく討ちとられていく。辛うじてミクケルの中軍は包囲の網から脱けることができた。
「追え! 大カンを討ちとれば褒賞は思いのままだぞ!」
コヤンサンが叫ぶ。
ミクケルの中軍は旗もうち棄てて、ひたすら背走に背走を重ね、朝方登ってきた道を下り続けた。次第に従う兵の数は減り、今や大軍の面影もない。ミクケルは屈辱に顔を青く染め、歯を食いしばって鞭を振るう。
数里ほど下ったときである。突然左右から喊声が湧き起こった。驚いて見れば、道の両側からどっと軍勢が繰り出してくる。先頭の将が名乗りを挙げて言うには、
「俺はカミタ氏族長ドクト! その首、置いていくがいい!」
「わわわ、伏兵だ!」
ミクケルはあまりに驚いて、思わず鞍から転げ落ちそうになった。と、一将が飛び出してドクトの前に立ちはだかった。
「お前はこのシモウルのカヂュが相手いたす。大カン、今のうちにお逃げください!」
「おお、嘱んだぞ!」
ミクケルは一隊を残して、その場を風のごとく駆け抜けた。ほっとしたのも束の間、数里も行かないうちにまたしても喊声が巻き起こった。旗を揚げて行く手を遮った将は誰かといえば、
「やい、待ちかねたぞ。俺はドノル氏族長テムルチだ」
ミクケルは、あっと叫んだまま口を閉じることすら忘れている。そのときまたも一将が飛び出した。
「大カンには指一本触れさせぬぞ! このシモウルのフウテイが相手だ」
「おお、この場は委せた!」
ミクケルは震える声で言うと、またも一隊を割いてその場を切り抜けたが、すでに馬は息が上がり、自身も疲労困憊、喉はからからに渇き、従う将兵もみな疲れきっている。
「もう一度、伏兵に襲われたらひとたまりもない」
そう呟いた瞬間、金鼓が鳴り渡って一軍が躍り出てきた。旗を見ればキャラハン氏のもの。
「ああっ、もう終わりだ!」
悲鳴を挙げて上天を仰ぐ。