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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
12/783

第 三 回 ④

インジャ一たび草原に(とこし)えの盟友に遭い

ムウチ二たび天王に(かんば)しき御酒を賜う

 それから二年ほど経った別のある(ウドゥル)


 インジャはナオルとそれぞれ小さな弓を携えて狩りに出かけた。戯れながら狩りの得物(ゴロスエン・ゴルウリ)(もと)めて駆けていたところ、一匹の栗鼠(ケレム)を見つけた。まずインジャが矢を放ったが僅かに()れる。


「外した! 次は君の番だ」


 応じてナオルが弓を構える。しかと狙って放たれた矢は、その背に()たりはしたが深傷を負わせるには至らず、栗鼠は跳ねながら逃げていく。


「やっ、浅かったか!」


 二人は躍起になってこれを追っていった。栗鼠も懸命に逃げて(ヂュブル)に消えた。森の中に駆け入ったところ、前方から五、六人の少年たち(クウヘド)が笑い転げながら現れた。年のころは十四、五、服装から察するに貴族の子弟である。


 見ると先頭のもっとも身体(ビイ)の大きい少年(クウ)が、栗鼠を()げている。刺さった矢を見れば、まさしくナオルの放ったものに違いない。そこでナオルはおおいに喜ぶと駆け寄って、


「僕の獲物を捕まえてくれたんですか?」


 すると先頭の少年がずいと進み出て、


「誰の獲物だって? これは俺が仕留めたんだ」


 どうやらこの少年が首領格らしい。

 取り巻きの一人がにやにやしながら言うには、


小僧(ニルカ)、チャルトー様の獲物を横取りしようって言うのか?」


 少年たちはどっと笑う。ナオルはわけがわからず立ち尽くす。

 チャルトーと呼ばれた少年は(モリ)を寄せてくると、


「どうした、言葉(ウゲ)を忘れたのか? 非礼(ヨスグイ)を謝れ、そうすれば(ゆる)してやるぞ」


 いつの間にかナオルはすっかり取り囲まれてしまった。ナオルは狼狽(うろた)えこそしないが、どうしてよいものやら途方に暮れる。


 と、そこへ一声飛んできて言うには、


「謝る必要(ヘレグテイ)なんてないぞ!」


 その(ダウン)は無論、インジャの放ったもの。少年たちは俄かに険悪な表情となって振り返ったが、


「あっ!」


 とて一様に凍りついた。そこには、きりきりと矢を引き絞ったインジャの姿(カラア)があった。


「な、何をする。危ないじゃないか」


「弓を下ろせ!」


 口々に(わめ)き散らすが、まるで動じない。矢は正確にチャルトーの(マグナイ)を狙って静止している。構えにはいささかも気負うところがなく、表情も自然のまま。


 少年たちはおおいにあわてる。一人が目瞬き(ヒルメス)も忘れて懸命に言うには、


「ま、待て、早まるな! この人を誰だと思って……」


 インジャはひと言答えて、


盗人(クラガイ)


 別の一人が(ガル)を振って言うには、


「違う違う、この方はジェチェン・ハーンのご嫡子(ティギン)、チャルトー様だぞ!」


 それを聞いたナオルの顔色がさっと変わる。叫んで言うには、


「インジャ、よせ! 弓を下ろせ!」


 しかしインジャは躊躇することなく、むしろ一歩を進める。応じてチャルトーたちはどっと退く。


「インジャ!」


「騙されるな、ナオル。ハーンの定めた(ヂャサ)を忘れたのか。人の獲物を奪うのは重罪だぞ。ハーンのご嫡子がそれを知らないはずがない。こいつは人の獲物を奪ったばかりか、(クダル)まで()いてるんだ」


 引き絞られた弦がきりりと鳴って、少年たちはたまらず悲鳴を挙げる。独りチャルトーだけは僅かに虚勢を張って、


「こ、こんなことをしてただですむとは思ってないだろうな。あとで父上(エチゲ)に言いつけてやるぞ」


「ナオルに獲物を返せ」


「……ちっ、小僧は冗談のひとつも通じねぇ」


 青ざめた(ヌル)で栗鼠を放り出すと、


「行くぞ! 覚えてろ」


 とて取り巻きを連れて去ってしまった。

 ナオルはやや興奮して、


「やったな! 奴らの顔ったらなかったぜ」


 しかしすぐに表情を曇らせると、


「でも、あんなことして平気(ガイグイ)か? もしまことにハーンの嫡子だったら……」


「心配ないさ」


 ことも無げに言うと、(いぶか)しがるナオルに、


「もし奴に少しでも勇気(ヂルケ)があれば、僕が弓を構えたくらいで逃げたりはしない。奴らの身体は僕の倍くらい大きいんだぜ。一斉に飛びかかられたら、射る(ハルワフ)暇なんてないよ。何もできずに帰ったところをみると相当な臆病に違いない。もしまことに嫡子だったとして、子どもが怖くて逃げましたなんてあのハーンに言えるものか」


 ナオルはぷっと吹き出すと、


「それはそうだ。でも何か嫌がらせがあるかもしれない。気をつけたほうがいい」


 その後、しばらく心配していたが何ごともなかったので、やはりインジャは正しかったのだとナオルはおおいに感心した。


 以来、自然とこれに兄事するようになったが、インジャと接してナオルが思うに、胆力(スルステイ)の源泉は「()ること」と「観ること」であった。


 二年前の豺狼(チョエ・ブリ)のときは、知識があったゆえにこれを恐れずにいられた。そして今回は、チャルトーたちをよく観察したおかげで思い切った方策を採ることができたのである。


 何も判らずにいたずらに虚勢を張るのは、蒙昧、蛮勇の類で、真に胆力があるものは、むしろ該博で慎重である。


 ナオルが人より長じているのは、見たものの本質をたちまち(つか)んで、己の血肉とするところにあった。のちに「()()()()()()」と称される(いしずえ)はこのころより形成されるのである。




 さて、いつしかインジャがタロトに来てから十年の月日が流れた。


 今や身の丈は七尺になんなんとし、軍馬(アクタ)を操ることも自由自在(ダルカラン)(ウルドゥ)や弓もひととおりは使いこなせる堂々たる草原(ケエル)の民。その心性(チナル)はいささかも(かげ)るところなく、(ひとみ)は明るく、歯は(しろ)く、明朗にして闊達、誰からも愛される。当年十六歳、「(ニドゥ)(ガルチュ)あり、(ハツァル)に光ある」まさに英雄の相。


 かたやナオルはといえば、


 身の丈は七尺半、磨かれた胆力はますます(バルアナチャ)(すぐ)れ、事物を観る目はいよいよ鋭く、人の思わぬところに着目して、しばしばみなを驚かせることもある智勇兼ね備えた名将の器。


 さてある日のこと、ハクヒはインジャが帰ってきたところを(つか)まえて、


「若君も十六になられました。ここでひとつお話ししておかねばならぬことがございます」


「何だ、言ってみろ」


はい(ヂェー)、心してお聞きください」


 改まった様子で何ごとか語り出す。


 さて、この話からインジャは己の宿命(ヂヤー)を悟り、やがては草原(ミノウル)に初めてその勇名を(あらわ)すということになるのだが、ハクヒはインジャにどのような話をしたか。それは次回で。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 第3回④まで、読ませていただきました。 壮大な物語を感じさせる導入で引き込まれました。 しっかりした文章で独特な世界観がありますね。 読み進めていくと慣れてきて、楽しめました。 イン…
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