第二 九回 ④
サイドゥ西塞に気を治めて奸人を退け
サノウ小塞に書を以て大人を欺く
この間、コニバンはただ呆然とするばかりで何もできなかった。やがて諸将が戻ってくる。セイネンが馬上に拱手して語りかけた。
「コニバン殿、さぞ驚かれたことでしょう。塞で軍師がお待ちです。どうかともにおいでくださるよう」
答えることもできずにいると、アイヅムの諸将は口を揃えて、
「ここに至った以上、是非に及ばす、招きに応じるほかありません」
これを聞いて上天を仰いで嘆息して言うには、
「ああ、私は何と無能だろう。無能なりに懸命に義を守ってきたつもりだったが、何の因果か大人を裏切ることになってしまった……。しかたありません。参りましょう」
セイネンがコニバンを先導して塞に戻った。塞の門は開け放たれ、見ればサノウとハツチが拱手して立っている。コニバンはあわてて馬を降りると、拱手の礼を返した。ハツチが言った。
「さあ、中へどうぞ。ささやかながら酒食の用意が整っております」
アイヅムの諸将もともに席に着くと、サノウら山塞の諸将が卒かに平伏したので、コニバンはおおいにあわてて、
「何をなさるのですか」
「一同、お詫びせねばなりません。実は昨晩、偽書をもってコニバン殿を陥れたのです」
サノウの言葉にコニバンは瞠目して、
「どういうことですか?」
「貴殿が塞に通じているかのような書を、わざとサルカキタンの陣に届けさせたのです。疑い深いサルカキタンのことですから、何かきっかけがあればきっと貴殿を討とうとするに違いないと謀り、そのために貴殿を危地に陥れてしまいました。伏してお詫び申し上げます」
コニバンはしばし言葉を失っていたが、やがて言うには、
「そういうわけでしたか。私は非才ながらこれまで大人に忠義を尽くしてまいりました。それがたった一片の書状で信を失うとは……」
また黙り込む。セイネンが進み出て言うには、
「コニバン殿。もうサルカキタンのもとには戻れません。いっそ塞に加わって、ともに天下に道を行おうではありませんか。喜んでお迎えいたしますぞ」
ハツチやマルケも盛んに勧めたが、ううむと唸るばかり。アイヅムの諸将も口々にそうするよう説いたが、煮えきらない。そこでサノウが静かに言った。
「コニバン殿は例の一件を気にしているのでしょう」
「例の一件とは?」
ハツチが尋ねると、
「インジャ様の父君、フウ様のことだ」
みな思わずあっと声を挙げる。コニバンも力なく頷いて、
「はい。こちらの盟主であるインジャ様の父を殺したのは、ほかならぬ我が父、テクズスです。フドウの人衆はきっと我らを憎んでいるでしょう」
それを聞いてアイヅムの諸将も面を伏せる。ハツチも言葉がない。
突然、からからと爽やかな笑い声がしたのでみな驚いて顧みれば、何とインジャその人が拱手して立っている。そして言うには、
「お初にお目にかかります。フドウ氏族長インジャです」
コニバンはあっと驚くと、転がるように座を降りて平伏した。インジャはあわててこれを助け起こすと、
「お噂はかねがね聞いております。お父上のことを気にされているらしいが、それも過去のこと、貴殿には何の罪もありません。氏族の旧怨は忘れて、ともに大義のためにはたらきましょう。貴殿が仁に厚く、義を重んじる好漢であることは、このハツチからも聞いています」
「しかし……」
「父のことは無念です。しかしそれもこの乱世が招いたこと。乱世を終わらせるのが何よりの供物になりましょう。そのために力をお貸しください」
傍らのセイネンも、
「父君のことを云うなら、貴殿の父がサルカキタンの手にかかったのも、もとはといえばこの私のせい(注1)です。私こそコニバン殿に詫びねばなりません」
インジャは寂しげな笑みを浮かべて言った。
「ここに居るのは親兄弟を乱世の中で失ったものばかりです。誰が悪いわけでもなく、すべてこの乱世が災いしているのです。私は非才の身ですが、草原の行く末を憂えてなりません。悲劇が繰り返されぬよう、力を併せて乱世を収めねばなりません。私怨は忘れて、大義をともにしようではありませんか」
コニバンは、インジャの寛容な心と崇高な志に胸を打たれ、しばらくは言うべき言葉も知らない有様。やがて言うには、
「私はこれといって才もない凡人ですが、末席に加えていただければ幸いです。インジャ様に忠義を尽くして、いささかなりとも罪滅ぼしをさせてください」
これを聞いてインジャら山塞の好漢はおおいに喜んだ。まずは祝杯を挙げて、本塞にこのことを知らせる。そのあと連れ立って本塞に帰り、コニバンを諸将に引き合わせる。
初めタンヤンなどは不快を面に表したが、その温厚な心性を知るに及んで結局は喜んだ。それもそのはず、コニバンもテンゲリの定めた宿星のひとつであった。
そうしているところにタロトの兵が駈け込んできて告げた。
「ジュレン軍が東塞に総力を尽くして攻めてきたので苦戦しております。救援をお願いします」
一同はおおいに驚く。ヒスワは西塞のトシ・チノがあまりに強いので、考えを改めて東塞に兵を集中したのであった。頭を抱えているとさらに新たな報が入った。
「ウリャンハタの一万騎が麓に陣を布いています」
諸将は色を失い、座は騒然とした。インジャはこれを制して、
「かくなる上はみなの力を併せて敵を退けよう。良い策はないか」
すると一座の中からサノウが立ってあれやこれやと説きはじめた。このことから再び英傑好漢は縦横無尽に戦って、奸人の肝をおおいに冷やすことになるのだが、果たしてサノウはいかなる策をもって二手の軍勢を退けるのか。それは次回で。
(注1)【私のせい】セイネンがテクズスに連丘を出る方法として偽の情報を与えて、サルカキタンにこれを斬らせたこと。第 八 回①参照。https://ncode.syosetu.com/n4465ia/29/