第二 九回 ②
サイドゥ西塞に気を治めて奸人を退け
サノウ小塞に書を以て大人を欺く
アネクらは突撃の合図を見て、躍り上がって喜んだ。
「今か今かと待っていたぞ。さあ、存分に敵を蹴散らせ!」
カトラが叫び、千騎はおうと勇み立った。盛大に銅鑼が鳴り渡り、アネクら三将を先頭に、堰を切った奔流のごとく城門を開いて飛び出した。
あわてたのはジュレン軍。朝からずっと同じことを繰り返していたので、まさか今になってベルダイ軍が撃って出てこようとは、想像もしていなかったのである。
虚を衝かれた形のジュレン軍に、アネクらは正面から斬り込んだ。アネクは例の二条の鉄鞭を振るい、カトラは刀身の太い長剣を舞わせ、タミチは短鎗を掲げて、当たるを幸い薙ぎ倒す。
瞬く間に屍の山が築かれる。塞上からそれを眺めたサイドゥが言った。
「世に『勇将の下に弱卒なし』と申しますが、あれをご覧なさい。まるで鬼神の群れではありませんか。敵は押し合い圧し合い、後方のものは何が起こっているかも判らぬはず。かくして前軍は退くこともできず、後軍は前軍を助けることもかなわず、まもなく遁走することになるでしょう。それはすでに軍とは呼べません。一万が十万でもあの勢いを止めることはできません。さあ、我らは今のうちに兵を休めましょう」
そしてさっさと下に降りていく。トシとナハンコルジはあわててあとを追った。
サイドゥの言葉どおり、ジュレン軍は混乱の極にあった。退かんとする前軍と留まらんとする後軍が交錯し、部将は躍起になって怒号を挙げる。いたずらに銅鑼が鳴り、金鼓が耳を劈き、みなどうすればよいか見当もつかない。
中軍の諸将も、いったい何がどうなっているのかさっぱり判らず、軍の再編を試みるが隘路ではそれもならず、ただ混乱が増すばかり。ヒスワも陣中にあったが、歯をぎりぎり鳴らして悔しがる。
「何てことだ! 前軍の将は何をやっていたのだ。敵襲に備えもなかったとはこの愚将め。ここは退くほかない。こら、退却の合図を!」
自らは三人の上卿とともにいち早く駆け出す。金鼓が一斉に鳴らされるが、それがまた混乱に油を注ぐことになったのだから何とも情けない。
残された兵は何が何やら、敵将の姿を目の前にして初めてあっと驚く有様。ジュレンの損害は甚大なものとなり、アネクら千騎はこれを追って追って麓近くまで追いまくった。そこで漸く兵を返すとトシに報告した。
殺したものは二千騎を下回らず、投降してきたものもまた二千、奪った軍馬は三千を超える大勝利。トシは大喜びで諸将を労い、本塞にこれを報告した。
本塞は続く勝利におおいに沸いた。聞けば東塞の敵も攻めあぐねて兵を退いたとのこと。こちらは戦果が上がったわけではないが、まずは朗報といったところ。セイネンが言った。
「これで小塞のマルケが持ち堪えれば申し分ありません」
インジャが心配して言った。
「小塞には千騎があるのみ。マルケは塞の防禦に慣れているから間違いはあるまいが苦戦は必至、誰か救援に遣ったほうがよいと思うが。軍師の考えをお聞かせください」
「兵を割くのは難しいところ。さてどうしたものでしょう。マルケにも策は授けてありますから落ちることはないでしょうが、ここは一気にうるさい蠅を払っておくべきでしょうな」
サノウは少し考えてから言った。
「私とセイネンが参りましょう。ええ、セイネンの五百騎があれば十分です。こちらはナオル殿に委せておけば心配ありません。もし困ったことがあれば、そのときはジュゾウを寄越してください」
早速セイネンを伴って退出しようとしたが、ふと立ち止まって言った。
「おっと忘れるところでした。美髯公、お前も来い」
呼ばれたハツチはきょとんとしている。
「兵糧のことはトシロルに委せて、小塞へ参ろう。やってもらいたいことがある」
ハツチは怪訝な顔をしながらともに退出する。三人は間道を伝って小塞に赴くと、マルケに見えた。
「おお、軍師。これは心強い。何とぞ良い知恵をお貸しください」
「戦況は?」
「大人はさすがに草原の雄、慣れぬ塞攻めですが果敢に攻勢を繰り返し、なかなか退く気配はありません」
「ではここにセイネンの五百騎があるから、しばらく交替して兵を休ませるように。陽が落ちれば大人といえども兵を退くだろう。そこで計を用いることにする」
マルケは礼を言って、早速セイネンが守備に就いた。しばらく激しい攻防が続いたが、やがて陽が傾き、サルカキタンは粛々と軍を退きはじめた。
「追撃しましょうか」
マルケが言ったが、サノウは、
「いや、敗れて退くわけではない。備えもしているだろう」
そこでハツチを呼んで、
「嘱んでいたものはできているかな」
「これでよいか」
差し出したのは一片の書状。サノウは中を検めると、満足して頷いた。
「ほほう、名文ではないか。よしよし」
キャラハン氏の兵から気の利いたものを一人選ぶとそれを託して、
「奴らの軍を追って、かくかくしかじかにせよ」
男は一瞬驚いた顔をしたが承知すると、書状を懐に入れて出立した。