第二 八回 ④
山塞トシ・チノを迎えて俱に大義を誓い
喪神オロンテンゲルを犯して俄かに陥穽に落つ
夜が明けると、ウルゲンとイシャン率いる七千騎が、先陣を切って山塞へと向かってきた。その報を受けて一の門を守るナオルは、マタージとともに五千騎を率いて山麓に布陣する。
イシャンはそれを見てせせら笑う。
「あれはタロトとジョンシの旗。何度戦っても同じことよ」
ウルゲンもかつて受けた屈辱を思い返して闘志を燃やす。陣形などかまわずに、いきなり銅鑼を鳴らして突撃に移った。
ナオルも銅鑼をいっぱいに打ち鳴らしてこれを迎え撃ち、雨のように矢を降らせる。しかしイシャンはものともしない。矢を払い落しながら、足は一瞬たりとも止まらない。続く七千騎も怒号を挙げて迫り来る。
続いてタロトの長槍部隊が鞭をくれて前に出る。これもイシャンはかまわうことなく得物を閃かせて一騎、また一騎と突き倒す。
「相も変わらず恐ろしい腕だ」
ナオルは呟く。さっと合図を下せば、次々と新手の部隊が左右からイシャンに襲いかかる。
「ははは、無益なことを!」
その武勇はますます猛威を振るい、累々と屍を増やしつつ本営に迫る。
「退け!」
ついに退却の金鼓を鳴らさせて馬首を転じる。マタージもこれに続く。タロト、ジョンシの兵は一斉に後退し、本塞に続く道を駆け戻る。
「待て、早くも逃げるか。追え、追え!」
イシャンは全軍に命じて追撃に移る。と、わっと喊声が挙がって左右からわらわらと伏兵が現れる。
「ふふ、小賢しい」
まったくあわてず得物を掲げて伏兵を追い散らす。被害はほとんどなかったので、また隊列を整えて道を登る。いくらも行かぬうちにまた一隊の人馬が左右から襲いかかる。これも容易く追い返す。やはり兵の損耗はない。
こうして何度も伏兵に遭ったが、その都度蹴散らして兵を損ずることはなかった。しかしそのためにナオルらを見失ってしまった。
「かまうものか。奴らはこの道を登るほかないのだ。このまま本塞まで攻め登ってくれよう」
得物を高々と掲げて進軍を再開する。やがて地形を巧妙に利して築かれた城門が見えてきた。左右には切り立った崖が迫り、その間に石と木で造られた堅固な門があって行く手を阻んでいる。道は狭く一度に大軍を投じることはできない。
「ほほう、なかなか見事だ」
顎鬚を撫でつつ感嘆する。ウルゲンが言う。
「まともに攻めては損失が大きかろう。ここは戻って大カンと兵を併せて攻めることにしてはどうだろう」
イシャンは、露骨にこれを軽蔑して、
「どこを見ているのだ。こんな狭隘の地に大軍を入れれば、身動きがとれぬではないか。兵を知らぬものは黙っていてもらおう」
ウルゲンは怒りに顔を赧くしながらも何も言い返せず、馬首を転じてその場を離れた。それを無視したイシャンは部将を呼んで指示を与えると、自ら数騎を従えて偵察に赴いた。
遠く眺めるに、城門はしんとして敵軍の気配もない。
「妙だな。すでに奴らはさらに上へ逃げ去ったか……」
警戒してすぐに引き返すと、四方に気を配りつつ手はずが整うのを待つ。やがて準備ができたので、いよいよ城門攻略へと向かった。わざわざウルゲンを呼ぶと、
「貴殿は後方から援護を。門が破られてからゆるりと参られるがよかろう」
ウルゲンは返事もせず、よそを向いたままであった。
七千騎はゆっくりと城門を目指し、ついに眼前にそれを望んだ。すると卒かにわっと喊声が挙がり、門の上にタロトの旗が林立する。ずらりと弓手が並び、矢をつがえる。銅鑼が鳴り響き、雨のように矢が降り注ぐ。
「ははは、それで虚を衝いたつもりか」
予想していたのか、まったく動じることなくさっと右手を挙げると、銅鑼を鳴らして全軍を門に向かわせた。上からは投石も始まり、早くも何騎か犠牲になる。
「怯むな!」
イシャンは叫ぶと、弓手を並べて矢を射返す。自らも三人張りの強弓を手に取り、やあっとかけ声もろとも放てば、今しも投石しようとしていた敵兵を貫き、あっと悲鳴を挙げて視界から消える。
そこでさっと指示すれば、丸太を引いた一軍が現れる。用意された丸太は十数本にも及び、それぞれを十騎が引く。
「よし、お前らはその丸太を門にぶつけて破れ」
合図とともに次々に門に突進する。城門の上からは矢や石が激しく降ってくる。どーんという音とともに何度も丸太が城門に打ちつけられる。初めはびくともしなかったが、一本また一本と当たるうちに次第にめりめりと音を立てはじめる。
「それ、もう少しだ!」
叱咤すれば、その声に押されるようにまた十騎、丸太を引いて駆けだした。怒号を挙げて門に向かうと、やあっと気合い一声、左右に分かれる。丸太が飛ぶように前に出て門に突き当たる。
ばりばりと大きな音がしたかと思えば、ついに閂が壊れて、城門がゆっくりと開いた。
「よし、開いたぞ!」
大喜びで叫ぶと、馬に鞭をくれて、
「続け! 突入だ!」
先頭に立って門をくぐり、七千騎もわっと喊声を挙げてこれに随う。門内に駆け込めば、辺りはしんと静まりかえっている。あれだけ激しく抵抗していた敵兵の姿も見えない。
「妙だぞ?」
呟いた途端、イシャンはあっと悲鳴を挙げた。急に足場がなくなり、身体が浮く。しまったと思う間もなく、人馬もろとも深い穴へと転げ落ちる。続く騎兵もあちこちで罠に嵌まり、辺りは悲鳴と怒号の嵐となる。
「退け、退け!」
穴の中でもがきながら声を嗄らして叫んだが、誰の耳に届くわけもなく混乱は増すばかり。あとからあとから人馬は押し寄せ、片端から穴に落ちる。イシャンの落ちた穴にも新たに一騎落ちてきて肝を冷やす。
何とか這い出たものの、それを待っていたかのように四方に敵の旗が林立し、矢の雨がどっと降り注ぐ。次々と味方が討ちとられていくのを、さすがの喪神鬼も目を白黒させながら見ているばかり。
まさしく勇将も為す術なく、己の命も危ぶまれるといったところ。果たして喪神鬼の命運はどうなるか。それは次回で。