第二 六回 ④
インジャ山塞に入りて新たに好漢を加え
チルゲイ神都に遊んで初めて義君に見ゆ
インジャは、わけがわからず問い返して、
「どういうことですか?」
「話せば長くなりますが、お話ししましょう。私とミヤーンは春とともに神都に参りました。サノウとはひょんなことから親しくなったのですが、彼が言うのです。『まもなく草原から客人が来よう。チルゲイ、君が遇うと話がややこしくなるから同席せぬよう気をつけろ』とね。ははあ、これはきっとジョルチ部の方が来るに違いないと思ったわけです。で、今日街を歩いていたら、いかにもそれらしき人がいる。これこそ彼の言う客人に違いないとて声をかけさせていただいたのです」
セイネンが言った。
「待ってください。よく解らぬところがありました。なぜ我々と遇うとややこしいことになるのです? それになぜジョルチからの客だと判ったのです?」
チルゲイは呵々と笑うと、手を擦り合わせつつ言うには、
「それはこれからお話しすること。みなさん、聞いて驚かないでください。実は私は、ウリャンハタ部のものなのです。となれば、遇ってややこしくなるのはジョルチ部かタロト部の方でしょう」
これを聞いたインジャらは俄かに顔色を変えた。一方、チルゲイはといえば、その様子を見てさらにからからと笑う。セイネンがかっとして、
「何がおかしい!」
叫べば、泰然として答える。
「いやいや、信じてもらえるか判りませんが、私はこの出征に反対してアイルを飛び出してきたのです。ですから、何ら警戒する必要はありません。だからこそサノウもみなさんが訪ねてくると私に告げたのです。どうです、これから一緒にサノウの家に行きませんか。そうすれば私がミクケル・カンと意を同じくするものではないことが知れましょう。それともサノウも信じられませんか」
好漢たちはしばし返答に窮したが、やがてインジャが言った。
「ともかくサノウ先生と親しいというなら、まずは信じましょう。お察しのとおり私はジョルチ部フドウ氏のインジャというものです」
セイネンはまだ何か言いたそうだったが、やむをえず口を噤む。そうなるとトオリルとオノチに異存があろうはずもない。六人は料理と酒をたいらげると、楼をあとにしてサノウの家に向かった。
インジャを迎えたサノウは、チルゲイがくっついてきたのを見ておおいに驚き呆れた。その経緯を聞いて、
「阿呆か、君は。インジャ殿が弘毅寛容な方だからよかったようなものの、まったくしかたのない奴だな」
何はともあれ、七人の好漢はぞろぞろと中に入ると、席次を決めて座った。サノウは家童に命じて酒食を運ばせる。それを見たチルゲイはミヤーンを顧みて、
「やや、ここで飲み食いできるなら、さっきあんなに注文しなければよかったな。要らぬ散財をした」
ミヤーンは眉を顰めると、
「君は一銭も散財なんかしてないではないか。すべて俺が払ったろう」
「いやだから君が、さ」
「やかましい! 静かにしてろ」
サノウは一喝して二人を黙らせると、向き直ってインジャに言った。
「近ごろ天文を観るに妖星がひときわ明るく輝き、フドウの星はその光を弱めていたので、そろそろお見えになるのではと思っていたのです。このチルゲイは、春先から神都に来ているのですが、お聞きのとおりウリャンハタのもの。余計な諍いが起きるのではないかと危惧して忠告してあったのですが、それを無視したばかりかみなさんを連れてくるとはまったく予想外のことでした」
ぎろりとチルゲイをひと睨みすると続けて、
「まあ、この男は謀略の臭気が漂いはじめたのを嫌って、いち早く部族を離れたもの。ダルシェやヤクマン部を渡り歩いてここに至ったもので、今回の戦には微塵も関わっておりません。胸襟を開いてお話しください」
それで漸くセイネンも安心し、互いに改めて挨拶を交わす。チルゲイはせっせと杯を口に運びつつ、
「ウリャンハタにも戦に反対しているものは数多いるのです。私はさっさと飛び出してきましたが、余のものはそうもいかずやむなく従っています。今、草原はすっかりジュレンとウリャンハタの色に染まろうとしているように見えますが、これも長くは続きますまい。遠からずみなさんも牧地に帰ることが叶うでしょう」
インジャは居住まいを正して尋ねた。
「どういうことですか」
すると、ふふと笑って、
「それは『驕れるものは永久ならず』ってね。またこうも謂います。『外患あらば朝に結び、内憂あらば夕に別れる』と。おお、まだあります! 『積悪の報いは一挙に到る』と。……ううむ、まだ何かあったかな」
インジャらは何が何やらわけがわからず呆気に取られる。
「我々は浅学非才にて、おっしゃるところの意味がよく判りません」
「それは失礼。まあ、おいおいサノウが教えてくれるでしょう。なあ、サノウ」
笑いながらサノウの顔を見れば、これ以上ない険しい顔で、
「まあ、ぺらぺらとしゃべりおって。君にはこの古言をやろう。『巧言令色は鮮し仁』だ。みなの顔を見るがいい。煙に巻かれたようではないか」
「おっとこれは先走りすぎたか。みなさんサノウに用があって見えられたのでしょう。そちらの話を先にどうぞ」
インジャらは気を取り直して、居住まいを正す。サノウに改めて窮状を訴え、その知謀が必要なことを懇々と説き、ともに山塞に入るよう勧めた。サノウは腕を組んで考え込んでいたが、言うには、
「近ごろ周りの知己が次々と街を追われている。ハツチをはじめ、ジュゾウ、ゴロ、トシロルまで去った。しかしこの私はいまだ草原に出る理由もない。このまま安穏無事に暮らすこともできよう。貴殿らは私を買いかぶっておられるようだが、私とて神のごとき知謀を持っているわけではありません。独り私が加わったとて急に事態が好転するわけではありませんぞ」
「もちろん重々承知しております。ただ我らにはもう打つ手がなく、今は一人でも多くの有為の人材を求めているとき。そこで無理を承知でお願いします。是非とも街を出て、天下のためにその才をお使いください」
インジャはそう言って席を降りると、伏して拝礼した。
しばらく黙っていたチルゲイがあわててこれを助け起こすと、サノウに向かってあることを言い放った。その言葉から、ついに伏竜は沼の淵から飛び出し、その才幹を縦横に天下に振るうということになる。さてチルゲイは何と言ったか。それは次回で。