第二 六回 ③
インジャ山塞に入りて新たに好漢を加え
チルゲイ神都に遊んで初めて義君に見ゆ
翌日からドクトとテムルチは、早速山塞の拡張に着手した。ジュゾウはマルケへの使者となって発ち、ズラベレン三将は山塞の外の守りに、マジカンは一の門の、シャジとゴルタは二の門の守りにそれぞれ就いた。
インジャは、ナオル、セイネン、マタージのほかにトオリルを交えて、向後の方針について協議した。そこでセイネンが言うには、
「この局面を打開できるものが一人だけいます」
「それは誰だ」
「はい。神都にいるイェリ・サノウです。彼ならきっと何らかの知恵を出してくれるでしょう」
「以前、神都に行ったときはコヤンサンやハツチを救い出すので手一杯だったが、今度ばかりは是非ともお連れしなければならん」
「では、明日にも私が神都へ参りましょう」
そう言ったのはナオルである。セイネンも随行を希望する。インジャは二人を制して言った。
「私が自ら参る。サノウ殿に誠意を示さねばならぬ。ナオルはここに残り、マタージと力を併せて留守を守ってくれ。セイネンはともに参ろう」
ナオルはおおいに残念がったが、ほかならぬインジャの言葉なので素直に順った。夜、大ゲルに諸将を集めてこれを諮れば、危惧を示すものもあったが、その固い決意を知ってそれ以上反対するものもなく、明朝出立することになった。
「神都へは、私とセイネンのほかにトオリルを連れていく。留守の間は何ごともナオルに諮って決めるように」
そこでドクトが言うには、
「旅ならこのオノチを連れていきなさい。きっと役に立つことがあるでしょう」
そういうわけでオノチも同行することになった。翌朝、四人は用意を整え、夜が明けきらぬうちに山塞を出た。道中は飢えては喰らい、渇いては飲み、夜は休んで、朝発つお決まりの行程。
まずはイタノウの山塞を目指したが、途中格別のこともなく到着した。マルケがこれを出迎えて言った。
「ジュゾウから話は聞きました。我が山塞は小なりといえども、一万ぐらいなら養えます。しかし今はまだベルダイ両派が激しく戦い合っておりますから、妄りに動かぬほうがよろしいでしょう」
「ベルダイの戦はどうなっている」
セイネンが問うと、答えて言うには、
「右派に何と神都の兵が合流したので、トシ殿は三度戦い三度敗れる有様。しかし粘り強く戦っております。私は神都が二万もの兵を出したと聞いて吃驚いたしました」
インジャらは、初めてトオリルの言葉に偽りがなかったことを知った。すぐにセイネンはこれに謝して非礼を詫びたが、もちろん快く恕された。またインジャはマルケに尋ねて言った。
「今から神都に行くところだが、懸念はないだろうか」
「神都はおそらくほぼ全軍を繰り出しています。むしろ今のうちに急いで街に入るべきです」
それを聞いてインジャらはすぐに出発することにした。帰途にまた立ち寄ることを約して再び一行は馬上の人となる。
やはり何ごともなくカオロンの渡し場に着いた。馬を預けて舟に乗り、ほどなく入城を果たす。久しぶりに見る神都は、どこか平静を欠いているように感じられた。きっとほぼ百年ぶりの出兵に起因しているのだろう。
考えてみれば建国から百年近く兵を動かすことがなかったというのはほとんど奇跡である。まさに初代ジョチ・ドルチの国是の賜物。
ともかくインジャらは脇目も振らず大路を進んでいたところ、前方から奇妙な歌を口ずさみながら歩いてくる男があった。聞けば、
夢を見た、夢を見た
奸人が王たらんとした
草原の風の冷たさも知らずに
血が流れた、血が流れた
英雄が世に現れる
民衆の苦の重さも顧みずに
インジャらははっとして立ち止まりかけたが、急いでいたので敢えて行き過ぎようとした。ところが、すれ違いざまに男のほうから声をかけてきた。
「ちょいと待った。そこの好漢、草原の人と看たが」
やむなく足を止めて振り返る。すると男は拱手して、
「やはりそうでしたか。急いでどこへ行かれる。世の人はみな急いでいるが、何をそんなに急ぐことがありましょう」
見るからに尋常のものではない。男には連れがあって、やはり一見してそれとわかる好漢。そちらは黙ってインジャらを見ている。声をかけてきた男が言った。
「私は旅の途中なのですが、みなさんも旅ですか」
「はい。神都に知人を訪ねてきたのです」
すると嬉しそうに笑って、
「ほう、それはそれは。草原の方が街に知人があるというのは稀有なことです。で、どちらさまで?」
ついにセイネンが業を煮やして言った。
「貴公には関わりないこと。我らは急いでいるのだ」
「ふうむ。それほど急いで会う必要があるとは、その人はよほどの人に違いない。中ててご覧に入れましょう」
うっかりインジャは興味を覚えて、
「では中ててご覧なさい。誰だと思いますか」
男は腕を組んで思案しつつ答えた。
「はてさて、きっと商人ではないな。この神都には商人ならたいした人が数多あるようだが、そうではないとなるともう一人しかいない。それは……」
指を立てて断言して、
「イェリ・サノウ! 正解でしょう」
これにはおおいに驚いて、あわてて拱手して礼をする。男も悠然と答礼する。
「どうしてわかったのです? いったい好漢は何とおっしゃる方ですか。よろしければご尊名をお聞かせください」
「では、そこの楼でお話ししましょう」
一行はぞろぞろと楼に上がる。男はしきりに席を譲ってインジャを上座に座らせると、自らは対面に着席して給仕を呼び、酒類はもちろん肉や菜のものもたくさん注文した。やがてそれらの品が運ばれてくると言った。
「いやいや、失礼しました。まずは名乗りましょう。私はチルゲイと申す旅のもの。こちらはミヤーン。ともに志を立てての草原探訪、これまでにメンドゥ河を渡り、万里の長城を見て、ついに有名な神都に参りました」
そしてにやにや笑っていたが、ついに言うには、
「実は先に正解を出したのは、私の智恵ではないのです」