第 三 回 ② <ナオル登場>
インジャ一たび草原に永えの盟友に遭い
ムウチ二たび天王に芳しき御酒を賜う
インジャが、エジシ、ハクヒとともにタロト部を訪れたのは、それから半月後のことであった。大ゲルにてジェチェンに見えたハクヒは、その威容に圧倒されてまともに目を合わせることもできず平伏する。
かまわずエジシがにこやかに挨拶する。
「ハーン、先日お話ししたフドウの世嗣をお連れしました」
ジェチェンは無言でインジャを見遣った。当のインジャは、ハーンの恐ろしい風貌にも周りの雰囲気にも気圧されることなく、その光ある双眸でこれを見返す。ジェチェンは再び視線を戻すとエジシに言うには、
「彼を我が部族に置くにあたっては、フドウの族長の息子とはいえ、余のものと分け隔てなく扱うが、よいな」
その声は、大地の底から響くよう、ハクヒはますます首を縮める思いだったが、エジシは気にする風でもなく答えて。
「ええ、ご随意に」
「ふうむ。ではインジャとやらに尋ねよう。……草原を見て、どう感じた?」
隣のハクヒはびくりと身体を震わせ、横目でそうっと様子を窺ったが、インジャは臆することなく言うには、
「はい、何やら心躍ります」
その答えにジェチェンは豪快に笑った。インジャも応えて満面の笑み。独りハクヒは気が気でない。
「気に入ったぞ。ここにはいろいろな奴を置いているが、お前のような奴は初めてじゃ。心躍るとな、その言葉、よく覚えておくぞ」
これにて会見は終了し、主従はあてがわれたゲルに案内された。ハクヒが額の汗を拭いつつ言うには、
「どうなることかと思いました。ジェチェン・ハーンとは尋常のものではありませんな。まことに名は虚しくは伝わらぬものです」
エジシが頷いて、
「いかにも。ハーンは僅か十年で、弱小だったタロトをここまで強大にした男。ヤクマン部の謀略にもその統率は乱れず、かえって周辺の部族の衰退を利用したほどです。ハーンの下にいれば、きっとインジャ殿のためになるでしょう」
二人はもの珍しそうにゲルを観察しているインジャを眺めやった。不意にエジシが笑い出す。
「先刻の問答はなかなか傑作でしたな。僅か六歳の童子が、あの大ハーンを前に動じることなく『何やら心躍る』とは、さぞかしハーンはお気に召したでしょう。いやいや何と大胆不敵、まったく見事でしたよ。ははは」
ハクヒも次第に興が増してきて、おおいに笑う。その後、エジシは衛兵に護られて帰っていったが、この話はこれまでとする。
インジャは早くも翌日から、馬術はもちろん、弓、剣、槍などの手解きを受けつつ、草原での暮らしについても教え込まれた。誰もがその覚えの早さに一様に感心したが、くどくどしい話は抜きにする。
ある日のこと。インジャのもとに同じ年ごろの少年が訪ねてきて言うには、
「フドウ氏のインジャというのは君か?」
「そうだけど、君は?」
「ジョンシ氏のナオルだ」
傍らにいたハクヒがおおいに驚いて、
「待て待て。ということは、君もジョルチの民か?」
するとナオルは少し得意げに、
「そう、お父さんは族長のカメルだ」
ハクヒはますます驚いて、
「カメル様の! なぜここに?」
そこでゲルの戸口に一人の武人が現れて言うには、
「私からご説明しましょう」
見れば、年のころは四十、身の丈七尺半、右目の下に大きな傷のある一見してそれとわかる歴戦の勇士。互いに拱手して挨拶を交わすと、
「カメルの甥でシャジと申します」
とて語りはじめたことを聞けば、
「族長は草原の情勢を見て氏族の行く末を案じられ、タロト部と誼を通じるべく末子のナオル様をこちらに預けられたのです。それがちょうど一年ほど前のこと。今日は、フドウの若君がこちらにおられると聞いて、どうしても会いたいとおっしゃるので連れてまいりました」
「もし存じていれば、こちらからお伺いすべきところ。足を運んでいただいて恐縮です」
そこへインジャが口を挟んで、
「この人たちは仲間なのか」
「同じジョルチ部のものですから、ご先祖様は同じということになりましょうな」
これを聞いたインジャはぱっと顔を輝かせると、ナオルを誘って外へ飛び出していく。二人の大人はこれを笑って送り出した。夕刻になって漸く帰ってきたが、ともにおおいに満足した様子。またの再会を約してこの日は別れる。
実はこのナオルこそ、インジャの最初の盟友にして、エジシ言うところのフドウを衛る星々のひとつ。ゆえにここで二人が遇ったのは、すでに上天の定めたことであった。
しかしのちに草原にその名を轟かせるナオルも、インジャと同じく当年六歳、世に出るのはまだまだ先のことである。