鏡の中
──みんな大丈夫かな?アヴァールとリュゼはちゃんと生活できてるのかな?お父さまはどうしてるんだろう?
ジャンティーはふと、家族のことが気になった。
けれど、ここには野獣がいる以上、無断で出て行くことは難しそうだ。
家族の元へ帰ることを許してくれるかどうか、ジャンティーにはまだ確信が持てなかった。
最悪の場合、怒り出して家族全員の命を手にかけるかもしれない。
それを考えると、自分はまだここに残り続けたほうがいいだろうとジャンティーは判断した。
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「わたしを醜いと思うだろう?」
ある日、ジャンティーの部屋にやってきた野獣が、そんなことを聞いてきた。
「ぼくは自分にウソはつけません。たしかに、その通りです。でも、あなたの瞳はとても美しくて、とても哀しそうだと思います」
ジャンティーは戸惑ったが、同時に野獣の瞳の奥にある哀愁に満ちた翳りを見逃さなかった。
ジャンティーは、この野獣より醜い人たちを今までに何度も見たことがある。
他人を憎んだり嫉妬したり騙したり、陥れようとしたりする、醜い人。
その人たちの目は、このうえもなく醜かった。
これこそ、この野獣そのもののように。
「かわいそうなウォルター様」
ジャンティーは野獣に対して、そんなふうに思った。
この人だって、好き好んでこんなに醜く生まれたわけではないだろうに。
「そうだな、お前からしてみれば、わたしはそう見えるのかもしれない。しかしジャンティー、お前はそんなわたしに、一筋の光を残してくれた」
野獣が大きな口を開いて、ジャンティーに笑いかけてきた。
「わたしは明日もこの部屋に来る。そして、同じ質問をする。お前が「はい」とうなずいてくれるその日まで。無理にわたしを愛しているなんて言わなくていい。しかし、せめてわたしを見捨てたりしないでくれ。お前がここにいてくれるだけで、わたしは満足だから」
そう言って野獣は立ち去っていき、ジャンティーは孤独の中に取り残される。
この孤独が恐ろしく耐えがたくて、いっそ思い切って「はい」とうなずいてしまおうかと考えてしまうことがある。
しかし、自分にも野獣にもウソはつけない。
そんなウソは、自分も野獣も幸せにはしないだろう。
自分が孤独なら、野獣はもっと孤独なのだ。
──孤独と孤独を寄せ合って、お互いに傷を舐め合うような真似だけはしないでおこう。それが一番よくない気がするから……
孤独がせまってくると、やはり思い出すのは家族のことだ。
──お父さまはどうしてるんだろう?アヴァールとリュゼは?
シャルルは鎮痛薬を飲むのを忘れていないだろうか。
毎朝仕事に向かうときに、ハンカチを忘れてはいないだろうか。
アヴァールとリュゼが作った料理は、シャルルの口に合うだろうか。
アヴァールとリュゼは家の中をいつも清潔に保っているだろうか。
畑をちゃんと見ていてくれているだろうか。
シャルルは年老いて、かなり白髪が増えてきた。
どんなに自分のことを案じてくれていることだろう。
──なんとかしてお父さまに、ぼくが元気でいることを教えるすべはないのかな…
そんなジャンティーの心情を察したのか、ある日、野獣はジャンティーを別室のひとつにある等身大の鏡台の前まで連れていった。
「これを見てごらん」
野獣が、床まで垂れるほど長いビロードの覆いをバッと取り除いた。
その言葉に応じて、おそるおそる鏡を覗くと、驚いたことにそこにシャルルの姿が見えた。
いま、仕事から帰って部屋で着替えを済ませたばかりのようだ。
窓の外を所在なげに眺めながら、哀しそうな顔でため息をついている。
ただでさえ歳を取ったと思っていたのに、その顔にはさらに見るも無残な孤独と絶望感が刻まれている。
「ああ、ジャンティー…どうしているんだろう……もう生きてはいないのか、もし生きているなら、せめて便りだけでも出してはくれないだろうか……」
もうそばにはいない長男坊に向かって、シャルルは呟き続ける。
そしてつぎに、アヴァールとリュゼの姿が映し出された。
2人は今日も華やかに着飾り、ドレッサーの前でパーティーに出かける用意をしていた。
こんなときでも2人は、とジャンティーは呆れかえったが、3人とも無事で生きていることに限っては素直に安心できた。
しかし、その安心も次の瞬間には見事に砕け散ってしまう。
アヴァールが口を開いた。
「ああ、せいせいしたわね!目の上のタンコブが居なくなってくれたもの」
「ホントホント。どうしてお兄さまばかりがチヤホヤされるのかしら。顔がいいだけの成金だけじゃ飽き足らず、こないだ遊んだ男爵さまも子爵さまも、わたしよりお兄さまのことばかり聞いてくるし…いままでそれだけが癪 しゃくの種だったわ!」
リュゼが帽子を選びながら、楽しそうに話す。
「つくづくそう思うわね、リュゼ。いったいお兄さまがどれだけ感心な人だというの?わたしたちだってお父さまの子どもなのに。わたしたちだってもっと愛される権利はあるわよねえ?」
アヴァールが高価な香水をシュッシュッと吹き付ける。
瓶の中に、香水がまだたっぷり入っているのを見るに、また新しいものを買ったようだ。
「どっちみち、お兄さまはもうとっくに野獣に食べれてしまっているわ。どんなに苦しんだでしょう?ねえ、お姉さま」
「いつもは澄ましてるお兄さまも、さすがに我慢できなくてギャーギャー泣き喚いたんじゃないかしら?」
「ほほほほ!それを考えたら、嬉しくてたまらないわ!これまでわたしたちに散々不愉快な思いをさせて、お父さまにあんなに心配をかけた罰だわ。当然の報いよ!!」
アヴァールとリュゼの高笑いが、部屋いっぱいに響き渡る。
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ジャンティーの顔がショックで青ざめていくのを、野獣はジッと観察していた。
これまで、妹たちをわがままでどうしようもない子たちだと思ってはいたが、ここまでとは思わなかった。
自分がいなくなったことを心底喜んでいるなんて、自分が野獣に食われる恐ろしい最期を想像して笑い合っているなんて……
これが、血を分け合った2人の妹なのだろうか。