城での生活
城での生活は、不思議の国にでもいるような気分だった。
3度の食事の時間になれば、目に見えない手がジャンティーのためにその都度ちがうメニューの、見るも豪華な料理を用意してくれる。
グラスを持ち上げれば、目に見えない誰かが飲みたいと思うものを注いでくれる。
席につけば、目に見えない誰かがジャンティーの前にナプキンを広げてくれる。
さらに、目に見えない誰かがジャンティーのために優美な音楽の演奏までしてくれる。
食事と食事の合間にも、ジャンティーが空腹を感じたりすると、目に見えない手がお茶とお菓子をいつでも用意してくれた。
朝に目覚めたときも、夜にベッドに入るときも、目に見えない手がジャンティーの着替えを手伝ってくれた。
────────────────────
出される食事もお菓子もお茶も、いままで味わったことがないほどに美味しかった。
日々奏でられる音楽は聞いたことがないほどに耳触りがよく、野獣が用意してくれた絹の寝巻きは、いままでに着ていたどの寝巻きよりも着心地がよかった。
そして日に一度、野獣はあのゴォーッという地鳴りのような音とともに、ジャンティーの部屋にやってきた。
ここでの生活はある程度慣れたのだけれど、この音にはどうにも慣れない。
野獣の到来を予感すると、どうしても一瞬、体がこわばってしまうのだ。
それから野獣は、ジャンティーと食事をしたりお茶を飲んだりして過ごした。
ときどき、食事しているジャンティーを眺めているだけのときもあった。
それが終わると、互いに向かい合って座り、あたりさわりの無い話をする。
美術、音楽、絵画、演劇、文学。
野獣はありとあらゆる分野の知識に秀でていた。
いまは貧しい身の上ではあるが、かつて優雅な時代を送ったことのあるジャンティーは、それらの話に十分についていくことができた。
裕福な商人だったシャルルは、当時としては高い知識と教養を兼ね備えていたし、かつて住んでいた屋敷には珍しい革表紙の書物がいくつもあった。
シャルルの趣味で、壁にはいつも東洋渡りの錦糸織りのタペストリーや水墨画が飾られていた。
幼いころには、亡き母に本を読み聞かせてもらい、月に何度かは演劇を見に劇場に連れて行ってもらった。
野獣の話は、地に足ついた高い教養を感じさせた。
この野獣はいったい、どこでどのように育ったのだろうか。
この野獣の父親と母親はどんな人物なのだろうか。
兄弟姉妹はいるのだろうか。
彼らもまた、同じような野獣なのだろうか。
野獣と会話していく中で、ジャンティーはつぎつぎに疑問が沸いて出てきた。
「かわいいジャンティー。いつになれば、わたしを男として受け入れて見てくれる?いつになれば、わたしの妻になってくれるんだ?」
しばらく会話を交わした後、野獣は必ずそう聞いてくる。
これが、野獣の言った質問の内容であった。
これはジャンティーにとって、とても心苦しい質問である。
「答えは変わりません、ウォルター様。ぼくは、自分にウソをつくことはできません。「いいえ」としか、ぼくには答えられないのです」
こんな答えを出すのは、もう何度目かわからない。
何度聞かれても、ジャンティーはそう答えるよりほかないのだ。
しかし、何度同じ答えを返しても、野獣は決して荒々しい手を使ってジャンティーを自分のものにしようとはしなかった。
手に触れることもしない。
ジャンティーの答えを聞き終わると、ただ「そうか」とだけ言って、悪いことでも言ってしまったかのような顔をして、またあの轟音を立てて去っていく。
野獣のそんな姿を見て、ジャンティーは少しばかり胸が痛んだ。
それでもジャンティーには、自分があの野獣の妻になるだなんて、とても考えられない。
自分にウソをつくことはできない。
ジャンティーにだって、心で思い描く恋はあるし、夢見る人もいる。
そもそも自分は男なのだ。
野暮ったくて骨っぽい体つきの、凡庸な顔つきと体つきをした男だ。
なんだって野獣は自分を妻になんて考えるのだろうか。
どうせ妻にするなら、アヴァールやリュゼみたいなかわいらしい女の子が良いのではないか。
そう思った瞬間、ある心配が心をよぎった。