ハッピーエンド?
青年はすっくと立ち上がると、あっけにとられているジャンティーに手をさしのべた。
そんな些細な仕草すら、とても美しい。
サファイアのようにキラキラした青い瞳、夏の太陽のように光り輝く金髪、陶器のように白い肌。
「ジャンティー、ありがとう。お前のおかげで長くかかっていた魔法がとけた」
青年が手を差し伸べたまま、にっこり微笑みかける。
「どういうことなんです?あなたはどこの誰です?ウォルター様は、いったいどこに?」
「わたしがウォルターだよ。さっきまで、お前の腕の中にいた。そして、お前はわたしのために涙を流してくれた。とても嬉しいよ」
「信じられません。いったい、どうしてこんなことが……」
ジャンティーは困惑するばかりだった。
「そうだね。ちゃんと話すから聞いておくれ、わたしの身の上話を」
青年はジャンティーに目線を合わせるようにして、その場に座り込んだ。
「そもそもは人間の世界の醜さを嘆いたがために、あんな醜い野獣に変わってしまったわたしだが、いつしかわたしは、こんな姿のまま生きることが辛くなり始めていた。だから、また神に祈った。「身勝手だとはわかっています、人間の姿に戻してください」と祈った」
「祈って……それで、どうしたのです?」
やや興奮気味に話す青年に対して、いまだに話が見えてこないジャンティーは、その続きが気になった。
「ひたすら祈って祈り続けて、その祈りはもう届かないのだと諦めたときだった。神はわたしに応えてくださったんだ。ある啓示をしてくれたんだ」
「啓示って、何をです?」
ジャンティーは、ドキドキしながら尋ねた。
神はいったい、この青年に何を告げたのだろう。
「神はおっしゃった。いつかこの世で本当に美しいもの。本当に、心の底から信じられるものに巡り会ったとき、わたしは人間の姿に戻る機会を与えられる。その日まで待つのだと」
青年がさらに続けた。
「お前がこの城にやって来たとき、わたしはついにそのときが来たのだと考えた。お前こそが本当に美しく、心の底から信じられるものを与えてくれる。いや、それそのものなのだと……」
「お前の父親の病気を知ったとき、わたしは賭けてみようと思った。ほんの少しの間だけ、お前を家族のもとへ帰らせて、その上でお前がまたこちらに帰ってきてくれるのかどうかを…もし、もしお前に裏切られたら、わたしは人間に戻れなかった。そればかりか、命まで失うところだったんだ。しかし、この命がどうなろうと、わたしは賭けてみた。お前の誠意に賭けてみたんだ」
青年は敢えて「愛に」とは言わなかった。
──万が一ぼくが戻らなかったら、ウォルター様は死んでいたってことか……
そんなことを考えたジャンティーは今さらになってゾッとして、戦慄のあまり冷や汗をかいた。
汗はジャンティーの背中を伝っていき、かつて青年が野獣だった頃にくれた上等な服に吸い込まれていく。
しかし、そんな戦慄もあっという間に消え失せて、いまは美しい青年へと戻った野獣を、ジャンティーはうっとりと見つめた。
「それでもあなたは……ぼくを信じてくださったのですね。自分の命を危険に晒してまで……」
「お前を愛していたからだ。お前への愛があったからこそ、お前の誠意を疑うなんてことはできなかった。それは、お前への冒涜以外の何ものでもないと感じた」
青年が、大きな手でジャンティーの頬を撫でた。
頬に伝わる体温が温かくて心地良い。
「お前が現れたとき、私は悟ったんだ。お前だけはほかの人間たちとは違う。見せかけの美しさや、口先だけの言葉に欺かれない人間なのだと。そして、お前ならきっと私の真実の姿を見抜いてくれる。いつか私にかけられた魔法を解かしてくれると」
「ウォルター様……」
ジャンティーは目の前の青年──ウォルターを夢見心地でうっとりと見つめた。
なぜだろうか。
目の前のこの人を、はるか昔から知っていたような気がする。
それは、ジャンティーがかつて幼かった妹たちに読み聞かせていた物語に登場する、白馬の王子様に似ていたからかもしれない。
そのときは、「あたし、大人になったらこんな人と結婚するのよ!」と息巻いていた妹たちの話を他人事のように聞いていた。
しかし、いま目の前に立っている人を見ると、そんなふうに胸ときめかせる気持ちがよくわかった。
「ジャンティー、お前は私を元の姿に戻してくれた。私に多大なる幸福を与えてくれた。その恩に報いるためにも、これからは私がお前を幸福にしてやる番だ。ここで、この城で私と生きてくれないか?」
「それで構わないのですか?ウォルター様、ぼくは男だし、大して美しくもございませんのに」
愛しい人と暮らせるなら、それは悪いことではない。
しかし、自分は男だし王子様の妻になど相応しくないのではないか。
ジャンティーはそう疑問に思った。
「そんな細かいことを、いまさら気にする必要はない。私はお前を愛しているし、お前は私を愛している。愛する者同士が一つ屋根の下でとも暮らす。ただそれだけだ。何を気にかけることがある?」
ウォルターの手が頬から離れて、今度は両肩に降りてきた。
「そうですね、ウォルター様。ぼく、とても嬉しいです」
自分を見つめる青い瞳がキラキラ輝いているのを見て、ジャンティーは胸が高鳴った。
「お前の父親も、ここに呼び寄せるといい。そのほうがお前もいいだろう?」
「はい。ありがとうございます。ねえ、ウォルター様」
「何だい?」
「ぼく……夢を見ているような気がします」
「ふふふ。違うぞ、これは現実だ」
「嬉しい…」
ウォルターに抱き寄せられて、ジャンティーはそっと囁いた。
突然訪れた幸福の美酒に、すっかり酔っていた。
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そんなジャンティーだから、ウォルターが妹たちの名前を一度たりとも口に出さなかったことになど、まるで気がつかなかった。