画策
「まあ、そういうことになるね…野獣が、そうして過ごしていれば、それでいいって言うから……」
リュゼの言い様に、ジャンティーはなんだか後ろめたい気持ちになった。
野獣はこれほど手を尽くして自分の世話を焼き、帰宅の許可までくれたのに、何も返せていない気がした。
──ぼくは、ウォルター様に何かできるだろうか。帰ったら、少しくらい何かお返しをしなくちゃ……
「そう……」
「それはよかったわね…」
そんなジャンティーの心情とは裏腹に、2人の妹は兄を睨むように見つめていた。
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予想外の話に、アヴァールとリュゼの嫉妬は次第に大きくなっていく一方だった。
「なんとかお兄さまを向こうへ帰らせないようにしなきゃ」
「そうよ、お姉さま。お兄さまにだけあんな幸せを独り占めさせる手はないもの」
2人の妹は、この一軒家には不似合いな豪華な家具で窮屈になった2人部屋で、顔をつき合わせて相談していた。
「そもそもどうして、お兄さまばかりがいっつも美味しいとこ取りなの?ここに来てからずっとそうだわ。わたしたちいつもカスばかり…」
まだ裕福だった頃の華々しい日々を思い出して、アヴァールは爪を噛んだ。
あの頃は、どちらかといえば美味しいところをもらっていたのは自分たちだったのに。
自分たちのほうが美しく、自分たちのほうがはるかに褒めそやされていたのに。
それが、いまや全てにおいて兄のジャンティーのほうが優位となっている。
「大丈夫よ、いい考えがあるの。わたしにまかせて、お姉さま」
リュゼが耳打ちしてきた。
「なるほどねえ」
リュゼの提案を聞いたアヴァールは、妹の賢さにいたく感心して、クスクス笑った。
腹黒いことを考えている2人の整った顔は、一気に醜く崩れるくらいに、酷いニタニタ笑いで歪んでいた。
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「お兄さま、出ていかないで。お父さまのことを考えてあげて?あなたがいなくなってから、お父さまがどれだけ悲しんでいたかわかる?終いには倒れてしまったのよ?」
「お姉さまの言うとおりだわ。今回は単なる風邪だったけど、今度は何があるかわからないわ。お父さまはお兄さまが誰より大事なのよ?あなたが1番よくわかってるでしょう?」
城の中での暮らしぶりを話して以降、アヴァールとリュゼがそうやって強く引き止めるようになった。
──ぼくがいなくなって、ちょっとは懲りたのかな?
ジャンティーはそう解釈した。
何せ、シャルルが倒れてからは家事をするものがいなくなったので、部屋が汚れたり着る服が無くなって苦労したらしい。
そこから、少しは掃除や洗濯も自分からしていたみたいだし、慣れない看病も頑張っていたみたいだ。
これにシャルルは、「それでもやっぱり、家事も看病もジャンティーが上手だな」と述べていた。
シャルルがそう言っても、理由はどうあれ2人の妹が家の仕事を頑張っていたというなら、ジャンティーはそれはそれで悪くないと感じた。
──そうだ。アヴァールとリュゼだって、やればできるし、成長してる。いい加減に現実を見始めてるんだ
2人の妹の思惑などまるで知らないジャンティーは、城の鏡で見た2人の姿をすっかり忘れていた。
「お兄さまがまた野獣のところへ行ってしまったら、どうなると思う?今回は大丈夫でも、今度こそお父さまは死んでしまうかもしれないわ」
アヴァールのその言葉に、ジャンティーは言葉を失った。
そんなことを言われたら、ジャンティーはどうすればいいのかわからなくなる。
胸の中が哀しみでいっぱいになってあふれて、苦しくてたまらなくなる。
ジャンティーだって、できることならずっとこの家にいたい。
どんなに暮らしに困っても、この家で家族いっしょに過ごしたい。
しかし、野獣との約束がある。
それを迂闊に破るわけにはいかない。
「かわいいジャンティー。わたしと結婚してくれないか」
ジャンティーは、部屋にやって来るたびにそう尋ねてくる野獣の低い声を思い出した。
ジャンティーがそれに対して拒絶の意思を見せると、辛そうな顔をして去っていく野獣の広い背中が目に浮かんでくる。
彼は孤独なのだ。
彼を理解する者など、誰ひとりとしてこの世にはいない。
自分が野獣であることの苦しみに、野獣自身が押し潰されそうになっている。
救いを求めているのだということが、ジャンティーには嫌というほどわかった。
きっと野獣は、保証が欲しいのだ。
自分のように醜く恐ろしい生き物でも、誰かに愛されるのだという保証が。
「ぼく、野獣と約束したんだ。お城に戻らないと……」
「約束だなんて!どうせ相手は恐ろしい野獣じゃないの!!」
「お姉さまの言う通りよ、お兄さま。お父さまを犠牲にしてまで、そんな約束を守る必要はないはずよ」
アヴァールとリュゼは引き下がらない。
実際、2人の言い分が正しい気もする。
けれど、ジャンティーにだって思うところはある。
「そんなことはできないよ。もし約束を破ってしまったら、ぼくは野獣にも劣る存在になってしまう」
「野獣に劣るからなんだと言うの?お父さまがかわいそうと思わないの⁈」
リュゼがまくし立てた。
その目には、涙まで浮かべている。
これを演技と気づかないジャンティーは胸が痛んだが、それでも引き下がれなかった。
「野獣はぼくをずっと待ってるんだ。あの人の傷ついた心を和らげてやれるのは、ぼくしかいないんだ」
「お兄さま、あなた、まさか……」
野獣を気遣うような言葉に、アヴァールが疑いの目を向けてくる。
あまりにまじまじと顔を見つめてくるものだから、ジャンティーは思わずどぎまぎした。
──でも、ひょっとしたら、ぼくは…
あの恐ろしくも醜い野獣を愛しているのだろうか。
いや、そんなはずはない。
気の毒な身の上で、いつも独りで過ごしている彼に同情しているだけだ。
ジャンティーは自分にそう言い聞かせてみた。
それでも彼がそばにいないことで、ジャンティーは不安で寂しくてたまらない。
いま現在、家族と会えた嬉しさがある反面、野獣のことが気にかかってしかたがない。
──彼から少し離れただけなのに、とても寂しい……こんなに満たされない気持ちは初めて……
ジャンティーは、その初めて抱く感情の名前がわからなかった。