帰還
それから数日後のことだった。
ジャンティーは、何の気なしに野獣が部屋に置いてくれた鏡の覆いを取り外した。
先日見たときには、家族全員なんとか元気でやっているようだが、やはり様子が気になった。
老いて面倒をまともに見てくれる者がいないシャルルのことが、特に心配だった。
ジャンティーのその心配は的中した。
苦しむシャルルの姿が鏡に映し出されたのだ。
シャルルは熱にうなされながら、「ジャンティー…」とうわごとのように息子の名前を呼んでいる。
こんなときでも、父親が気にかけるのは自分なのかとジャンティーは胸が痛んだ。
シャルルはベッドの上で汗だくになり、身をよじりながら苦しみ続けている、
「……ああ、どうしよう、お父さま!お父さまが……」
ジャンティーは鏡に寄りかかるようにして、その場に膝をついた。
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それからしばらく経つと、野獣が部屋を訪れた。
ジャンティーは、それを待っていたかのように、彼に駆け寄った。
それに対し、野獣は眉一つ動かさないまま、黙ったままでジャンティーを見おろした。
「……ウォルター様、父が病気になったのです。ぼくの名前を呼んでいます。ぼくは、ぼくはいったいどうしたら……」
ほんのり日焼けしたジャンティーの頬に、涙が伝う。
それを見た野獣の顔に、憐憫のようなものがかすかに浮かんだ。
「ウォルター様、どうかお願いです。父の命に関わることなのです」
突然、ジャンティーは野獣の前にひざまずいた。
「どうした?」
答えをわかった上で、野獣はあえて聞いてみた。
「家族のもとへ帰らせてください。ほんの数日でいいのです。父の看病をさせて欲しいのです。このままでは、父は死んでしまいます」
「ジャンティー…」
「ここに誓います。数日後には必ずや戻って参ります。絶対に約束をやぶったりなどしませんから、どうかご慈悲を…」
野獣はうろたえてジャンティーに手を差し伸べると、なんとか立ち上がらせた。
「そんなふうに泣かないでおくれ。そんなことをされてしまうと、わたしはもうどうしたらいいかわからなくなる」
野獣は悲しげに顔を曇らせた。
「わかった。お前の願いを叶えてやる。1週間だけ、家族のもとに帰るのを許してやる。しかし、1週間経ったら必ずここに戻ってくること。約束できるかい?」
喜びのあまり、ジャンティーの頬にパッと赤みがさした。
「ああ、ウォルター様。ありがとうございます。その約束、必ず守ります。1週間経ったら、ここに戻ってきます」
ジャンティーは、野獣に飛びつかんばかりに喜んだ。
野獣は懐から指輪を取り出すと、ジャンティーに手渡した。
一見すると何のへんてつもない、金色の指輪だ。
「これを枕元に置くといい。そうすれば、お前は一瞬後には家族のところへ帰ることができる。ここに戻るときも同じようにして、枕元に置くんだよ。そうしたら一瞬後には、お前はこの城に帰ってこられる」
「ありがとうございます。ウォルター様」
ジャンティーが言われたとおりにすると、それは現実のものとなった。
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「ジャンティー!なんてことだ…これは、夢じゃないだな?」
「夢じゃないんだよ、お父さま」
突然現れたジャンティーを見て、シャルルは驚いた顔をして、のっそりと半身を起こした。
「どんなに会いたかったことか…ずっと心配してたんだよ。案の定、こんなことになってしまって……帰ってきて正解だった」
ジャンティーは目に涙を浮かべて、すっかり痩せ細ったシャルルの体を抱きしめた。
抱き返すシャルルの手が背を滑る。
背中に伝わるその手の温かさに、ジャンティーはますます深い喜びを感じた。
自分は本当に帰ってこられたのだと実感できた。
「ジャンティー、いまのいままでどうしていたんだ?あの野獣はお前を生かしておいてくれたのか?そもそも、どうやってここに帰ってきたんだ?野獣のところから逃げてきたのか?」
体を話すと、シャルルが矢継ぎ早に質問してきた。
「ぼくがどうしても家に帰りたいとお願いしたら、1週間だけ家族のところへ帰ってもいいって、お許しをくれたんだ」
「1週間…そうか、1週間か」
この家にいられるのは1週間だけと知った途端、シャルルは残念そうな顔をした。
しかし、それさえも束の間、蒼白だった顔にほんのり赤みがさしたかと思うと、なんとかベッドから自力で立ち上がった。
「アヴァール!リュゼ!喜べ、お兄さまが帰ってきたんだよ!!」
その声を聞いて駆けつけたアヴァールとリュゼはあっけにとられていたが、ふと我に帰って、兄と父親の手前、大喜びしているフリをした。
「お、お兄さま、信じられないわ。こうしてまた会えるなんて思っていなかったから…」
予想外の兄の帰還に、アヴァールは嬉しそうな顔をしてみせた。
「ほんとよね、お姉さま。わたし、嬉しいわ。夢でも見てるのかしら!」
アヴァールとは打って変わって、リュゼは即座に上手に「兄の帰りに歓喜する妹」を演じてみせた。
そんなアヴァールとリュゼの心情にまるで気づかないジャンティーは、2人の妹とかわるがわる抱き合って、再会の喜びに浸った。
一瞬、脳裏に古城の鏡で見た2人の姿がよぎったが、ジャンティーはそれを忘れてしまおうと考えた。
いまこのときの妹たちの姿が、真実なのだと思いたかった。
──そうだ、アヴァールとリュゼはワガママだけど、あんな酷いことを言うような子じゃない。ぼくが帰ってきたことを、こんなに喜んでくれてるんだから。ともかく帰ってこれたんだもの。大好きなみんなの顔を見ることができたんだもの!
「ああ…」
無理をして立ったシャルルが、ベッドに倒れ込むようにして横になった。
──ああ、いけない!