お ま け
外部からの呼び出し音があったので、VRヘッドセットを外して部屋を出ると、階段の途中で店のほうから「おぉい」とパパの声が聞こえた。
エプロンをたたみながら「買い出しに行ってくる」と顎で示した先、砂糖の瓶が残り少なくなっている。
店内を見回すと、常連客の一人が隅の席に陣取っているだけだった。
「うん、わかった」
どうせ退屈してた。
あのお客さんなら、ホッタラカシでいい。
「すぐに戻るから」
「焦らなくていいよ~、気を付けてね」
キーボードをカウンターのこちら側に置くと「あぁ」と納得したように頷いて、「行ってくる」と出ていった。ドアベルの余韻がカランコロンと数回耳を打って、すぐ消えていく。
「さぁて」
タブレットの画面を見ながら執筆作業を始める。
キーストロークの浅いbluetoothキーボードのトトトトッという音。
それに、常連客がスマートフォンを睨みながら頻繁に零す独り言と、ズズズッと珈琲を啜る音だけが、店内に漂っている。
静寂より静かな時間が流れていく。
「 」
「 」
「あのっ!!」
「はいぃ?!」
「もう一杯、同じのください」
嘘、珍しい、追加オーダー?
慌てて手早くセットして、すこしずつ蒸らし始める。
常連さんは、右肩のコリをほぐすようにモミモミしながらカウンターの向こうで眺めていたが、飽きれたように「ふっ」と溜息をついて目線を外した。
珍しく指定席から出てきた。
もしかして……。
「わたし、無視しましたか?」
「いいや。集中してたけどさ」
「すみません」
「謝る必要ないだろ。自分に観賞価値は無いし、店番のJKをどうこうしようとも思わない。ただ……続きを忘れた、できる気がしないな。 ……ひとまず感想返信でもするか」
「じゃあ、二杯目はサービスします!」
「ばかも休み休み言え、対価は支払う」
「すみません」
カウンター席に座って、相変わらずスマホ画面を叩いている。
観賞価値は、無い。本人の言うとおり平凡だ。平凡なだけに『異世界転移したら実は最強だった』という展開はあるかもしれないが、トラックに衝突したら無残な死体になって転がるだけだろう。 ……かわいそうに。
ただ、親指のスピードだけは人並外れている。
スマホで呪文詠唱する世界なら、これは無敵の能力だろう。その異世界では魔法の文字数が物凄く多すぎて、誰一人成功した者はいなかった。なんの取り柄も無いサラリーマンがスマホに入力して起動に成功する……っていうのは、どうだろ?
短編くらい書けそうだ。
「あのさ」
「はい?」
「なんの取り柄も無いのは認めるよ」
「え?!」
「珈琲中断してキーボードを掴むな」
なにが起きたの?
はっ……まさか!
「 思 考 を 読 ん だ ?! 」
「喋ってたんだよ」
「はははっ……まっさか~!」
「その、まさかだよ。トラックに衝突したら無残な死体になるサラリーマンがさ、なんで思考を読めるんだ?今まさに会話中ですら世界観ガバガバなJKの思考回路どうなってんのか掴みかねてるくらいだよ」
「ほんと、すみません」
「事実を言ったまでだ。苦情を言ったつもりはない」
なんてことだ。
わたしの現実は、小説家になろう商店に浸食されかけている。
ここでは店番、猫昆布茶ではないのだ……気を付けなくては。
今は、喫茶店の娘。
猫昆布茶ではない!
「珈琲です」
「……え?」
「なんですか、ひとの顔をジロジロと」
なんて失礼な人だろうか。
デリカシーの欠片もない。
「猫昆布茶さんって、どう見えてると思う?」
「今は喫茶店の娘ですけど、それがなにか?」
「じゃなくってさ」
「そうではなく?」
「うわの空でブツブツ考えるの、悪い癖だぞ」
「うるさい」
わたしの現実は、小説家になろう商店に浸食されつつある――――