書店で働く友人
夏季はぷらぷらと歩きながら、書店へと向かった。
雑誌はともかく、ラノベはコンビニでは売っていない。
十五分程歩いて、一駅跨いだ先にある書店まで足を運ばなければならない。
自転車を使えばもっと早くいけるのだが、あえて夏季は徒歩を選んだ。
今頃朱希は今か今かとそわそわしながら、夏季を待っていることだろう。
あっちの我儘を聞いて、自分は読まないだろう本を買いに行こうというのだ。
これくらいの意地悪は許されるだろう。
歩道を歩いていると、前方から学生服を着た男子生徒が数人やって来る。
夏季の学校の制服だ。
今日は土曜であるから、彼らは部活か何かで学校まで行ったのだろう。
だとするとおそらくは運動系の部活。
夏季の学校は野球が強いので、なんとなく野球部ではないかと、何の根拠もないがそう思った。
男子生徒らとすれ違い、夏季はにこりとほほ笑む。
「いいね。まさに青春て感じだ」
夏季はその後姿を眩しそうに見つめた。
学生の青春は長いようで短い。
社会人になってからの時間と学生の時間とでは全く違うと、夏季は思っている。
その時は長いと感じている時間が実は終わりがあり、それからはまた別の人生が待っているなど、彼らは見据えてなどいないのではなかろうか。
夏季は思う。
この短い時間をめいいっぱい楽しんでやろうと。
夏季はライトなオタクだ。
だが、インドアに徹しているわけではなく、アウトドア系の行事にも積極的に参加していきたいと思っている。
夏季は一高校年なので、修学旅行にはまだ行けないが、体育祭や文化祭が楽しみで仕方がない。
自分の趣味をしっかりと楽しみつつも、様々な物事に関わっていきたいというのが、夏季の考えなのだ。
駅前に来た夏季は、書店に入る。
有難いことに、最寄であるものの、この辺りでは最も大きい、有名チェーン店の書店であり、ここに来れば大抵の本は買える。
完全に把握してはいないが、少なくとも漫画やラノベは相当数揃っているはずだ。
雑誌は勿論、新発売したラノベも問題なく手に入る。
これでなかったなどと報告した日には、朱希がどう反応するかなど火を見るよりも明らかで、夏季は更に遠出してラノベ確保に奔走しなければならない。
可能性は低いものの、そうなる未来を想像すると、夏季はうんざりして頭を下に向けた。
(まあ、その時はその時で考えよう)
未確定の未来を無駄に考えて、気分を落ち込ませることは夏季のスタイルに合わない。
夏季は空調で温度が整った店内に足を踏み入れた。
紙の匂いだろうか?
本屋独特の匂いを嗅いで、夏季は心が安らかになった。
夏季はこの空気が好きなのだ。
今や電子書籍が当たり前となり、電車の中でも本を読んでいる人間などお目にかかる機会も減って来た昨今だが、夏季はやはり紙媒体が好きだった。
ページをペラリとめくっていくあの感じ。読んだ後本をゆっくりと閉じる読了感が何とも言えない。
他の人間は知らないが、これは電子書籍では味わえない感覚であると夏季は思っている。
(さて、ラノベコーナーは)
慣れ親しんだ通路を抜けて、夏季はラノベコーナーへと向かった。
雑誌コーナーを通り過ぎた時に、目当ての雑誌がまだ数冊残っているのを確認し、安堵する。
あれだけ数があれば、一気になくなることなどまずあるまい。
で、あれば、まずはかさばる雑誌よりも軽量のラノベから買っていくべきだ。
ラノベコーナーまでやって来ると、そこには一人の書店員が丁寧に本を陳列していた。
眼鏡をかけた細見のその男性は、頭は角刈りで白いシャツに黒いズボンを履いて、書店員独特のエプロンを付けている。
夏季は気さくにその男性書店員に声をかけた。
「やあ健太君」
下の名前で声をかけられた書店員は夏季を見ると驚くこともなく、笑いかける。
「お、夏季か。いらっしゃい」
この男性書店員の名は橘健太。
夏季とは高校で知り合った同級生で、知り合って間もないものの、気が合い、気心のしれた友人だ。
気が合うというのも、彼もまた漫画やラノベが好きで、それが高じて書店で働き始めた口だ。
尤も、彼はオタク系の本だけではなく、文芸書も嗜み、いくつかの本を夏季に進めている。
夏季もラノベしか読まないわけではないので、健太が進める本を厳選し、読んでみようと考えているのだが、如何せん学生のお小遣いでは限界がある上に、困った妹のおかげで、ラノベは定期的に買わなければならない。
なので、健太がお勧めする本は、図書館か、あるいは健太自身から借りているのだ。
「今日は何を?」
健太は穏やかに夏季に問いかける。
文学少年らしく、健太は物静かな少年であり、付き合いの短い点は当然あるが、感情を荒げた健太を見たことが夏季はまだない。
「うん。新刊コーナーはこっちの棚だよね。あの科学と魔術が交差する、ラノベを読む人間なら誰でも知っているあれ、まだ残ってる?」
「勿論。注文するまでもなく、多く入ってきているよ」
健太はそう言うと、迷うことなく新刊コーナーから、夏季が探しているラノベを引き抜いた。
大したものだ。
自分が陳列しているからか、何処に何があるのか把握しているのだろう。
「ほい」
「ありがとう」
健太が取ってくれたラノベを受け取ると、感謝の意を込めて、夏季は笑った。
「安定の人気作だよなそれ。俺も読んでるよ」
「あ、そうなんだ」
仲の良い二人であるが、健太とはまだ知り合って間もないのだ。
まだ健太の趣味、読んでいるシリーズまでは把握していない。
「読んだら感想会を開こう。楽しみだね」
「・・・え?」
夏季自分の顔が引きつるのを感じた。
このシリーズを夏季は読んでいない。
アニメ化もされているからそっちは観ているものの、本の方は手付かずだ。
なんといってもこのシリーズの作者は化け物めいた執筆スピードで書くものだから、アニメとでは差がつきすぎているのだ。
だから、今から本の方を読み始めては、どれだけ時間がかかるか分かったものではない。
本を読んでいるのは朱希である。
感想と言われても困る。
「い、いや。僕って、読書スピードが遅いからさ」
「いや、ゆっくりで構わないよ」
「そ、そっか。は、はは。じゃあ気長に待っててよ」
事情を知らない健太はにこやかに笑う。
その曇りなき笑顔が罪悪感となって夏季の胸を突き刺した。
「そ、それじゃあ雑誌を買って帰るから」
「そうか。雑誌コーナーの場所分かる?」
「うん。さっき通りかかった」
夏季は指で「あっちでしょ?」と、示すと、健太は頷いた。
「じゃあまた、学校で」
「うん。学校でね」
夏季は手を振って、雑誌コーナーに向かい、健太は仕事に戻ったのだった。