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四季静江

「静江さん・・・」


 夏季は少し緊張して、声が硬くなった。


 四季静江。


 夏季を養子として受け入れてくれた人物。

 だが、それは父である四季武雄(たけお)が半ば強引にねじ込んだ案件であり、静江は望んで夏季を迎え入れたわけではない。

 夏季はそんな静江に遠慮があり、5歳の頃に引き取られたにも関わらず、未だに距離感が掴めないでいた。


 夏季だけではなく、静江だってそうだろう。

 だからこそ、家を分けるなどという金のかかることをしてまで、夏季を遠ざけたのだ。


 あまり朱希の家に行かない理由は、無闇に静江と顔を合わせたくないからであった。


 流石朱希の母親というかべきか、無地のシャツにパンツ姿という服装であるものの、セミロングの髪型で、漆黒の艶やかな髪、引き締まったその体つきはなんとも言えない色香が漂っており、和服を着たらさぞかし似合うだろうと想像できた。


「お久しぶりです」


 そう言うと、静江は苦笑いを浮かべた。


「それ程久しぶりというわけでもないでしょう。それにそんな畏まった話し方をしなくてもいいのよ。貴方も私の息子であることに変わりはないのだから」


「・・・はい」


 そうは言うが、静江の声も若干硬い。

 あちらはあちらで距離感を掴みかねているのだ。


 出会って早11年。

 ずっと2人はこんな感じだった。


「朱希。今日は買い物に行っていたの?」


「うん。お兄ちゃんと一緒に」


 静江は夏季の持っていた荷物を見て朱希に尋ねると、朱希は素直に答えた。


 朱希は家族の前では家の外よりも素の自分を表に出す。

 しかし、母、静江に女の子らしく振る舞うように躾けられており、夏季の家で見せるようなだらしない服装で寝っ転がり、ポテチを食べるような姿は見せない。

 その辺のコンビニくらいには出歩ける部屋着を着ているし、紅茶を飲み、食べるお菓子はクッキーやマカロンなどが多い。

 実際はポテチをバリバリ食いながらペットボトルをラッパ飲みする奴なのだが。


 静江は困り顔で頬に手を当てる。


「あまり遅くなると困るわ。夏季さん。どうして遅くなったの?」


 聞きようによっては夏季を咎めるような言い方だ。

 それでも夏季は嫌な顔を作らず小さく頭を下げた。


「すいません。遅くなってしまって」


「朱希は体が弱いのだし、女の子をあまり遅くまで歩かせるのは何かと心配よ? 貴方もその辺りは分かっていると思ったのだけれど」


「はい。すいませんでした」


「ちょっと待ってよ」


 ここまで黙っていた朱希が2人の間に割って入った。


「お母さん。今日お兄ちゃんを買い物に連れ出したのはあたし。遅くまで付き合わせたのもあたし。なんでお兄ちゃんばかり責めるの? 責めるならあたしでしょ!」


 朱希は静江に真っ向から反発した。

 静江は眉を八の字にしてため息をつく。


「勿論貴方にもいいますよ朱希。こんな時間までほっつき歩いて。何かあったらどうするの?」


 朱希は腕時計を見た。


「何かって、まだ7時じゃない。それにお兄ちゃんがいるんだから心配しなくても大丈夫だよ」


「そうは言ってもね。私としてはやっぱり心配なの。6時には帰ってきてくれないと」


「そんなの、部活やっている友達なら帰れないこともあるよ。バイトやってる人間なら10時過ぎることだって」


「そんなこと許しませんよ」


 静江は少し声のボリュームを上げた。


「静江さん、落ち着いて下さい」


 夏季はこのままではいけないと思い、やんわりと2人の会話に割り込んだ。


「今朱希が言ったのは言葉のあやです。俺だってそんな時間まで朱希を外に出させやしません」


 静江は硬い顔のままで頷く。


「ええ、その通りだわ。朱希も、あまり私を心配させないでね」


「・・・分かってるよ」


 どうやら2人の怒りも幾分か収まったようだ。

 夏季は胸を撫で下ろした。


 今のところ朱希は静江に従って、外では淑女として振る舞っているが、本来は奔放な性格だ。

 あまり抑圧させ過ぎると、大きな反発を招きかねない。

 それを理解している夏季は静江にそっとこう言った。


「あまりここで立ち話をしていると、ご近所迷惑になりますので」


 静江はそっと目を細め、


「そうね。家に入りましょう朱希」


「うん」


 静江はご近所の評判を気にするタイプだ。

 家の前で家族が言い争っていては何かと不味い。

 ただでさえ、夏季が隣に住んでいるという爆弾を抱え込んでいるのだ。

 優等生である朱希は周りから評判も良く、これが静江の誇りであり、ストレスを軽減している。


 それが解っている朱希は、母の為、夏季の為に外では仮面を被っているといってよい。


 静江はトリップゲートを開け、庭に入った。


「そういうお母さんも買い物に行ったの?」


「ええ。スーパーに夕飯の食材を買いにね」


「今日の夕飯何?」


「玉葱が安かったから、今日はカレーよ」


「えっ、違うのがいいな。今度あたしが作るよ。腕によりをかけて!」


 朱希はそう言うと腕まくりした。


「ほら、女の子がこんな所で腕まくりなんかするものじゃないの。それに貴方が作ったら玉葱を炒めるだけでどれだけ時間がかかることか分からないじゃない」


「焦げないように焦げないように、それを黒くなるまでゆっくりと炒めるの。カレーの美味しさは玉葱で決まると言っても過言じゃないんだよ」


「休みの日にでも作りなさい。平日学校帰りに作らないでね。出来れば市販のルーを使って欲しいわ」


「スパイスで作るからいいんじゃない」


「大して美味しくもないのに」


 朱希は唇を尖らせた。


「・・・もっと研究が必要だな」


 素人がスパイスから作ったカレーがそれほど旨い筈がない。

 そもそも、朱希が作っているのはインド系のカレーで、あまり日本人の慣れ親しんだ味でもないことだし。

 しかし、朱希は聞き入れようとしない。


 実際、美味しいインドカレー屋はあるし、朱希は朱希なりに、アレンジを続ければ美味しくなると信じている。

 確かに、初めて作った時よりは大分まともになった。

 朱希の偉いところは自分で作った料理をしっかり食べ残すことなく完食する点である。


 よくラブコメ作品のヒロインが、自分で作った殺人的料理を味見もしないで主人公に食べさせるシーンがあるが、朱希は「そもそも愛情があればそんなことは出来ない」と断じるタイプだ。

 まあ、朱希と一緒に失敗作を食べさせられるのは夏季なのだが、不味いには不味いが、食べられないことはない。

 腹を壊したことはあったけれど・・・。


 今、朱希と静江に流れる空気は先程よりもずっと緩んでいる。

 上手い具合に朱希が夕飯の話題にもっていったのが大きい。

 夏季とは上手くいっていない静江であるが、基本人当たりのいい人物であり、空気の読める人だ。

 朱希の話題切り替えに乗った形になるだろう。


「それじゃあ、俺はこれで」


「あ・・・うん」


 夏季は一礼すると自分の家に帰ろうとした。

 一瞬朱希がこちらに何か言いたそうにして、止まった。

 おそらく夕飯を一緒に食べないかとでも言いたかったのだろう。

 しかし、ようやく静江との気まずい空気を払拭したばかりだ。

 ここで夏季が食卓を一緒にすると、再び空気が気まずくなることは想像に難しくない。


 それが解っている朱希は、言葉を飲み込んだ。


「・・・おやすみお兄ちゃん・・・」


「おやすみなさい夏季さん。身体には気を付けるのよ?」


「はい。二人共おやすみなさい」


 それだけ言うと、夏季は自分の家に帰った。

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