私と彼の関係について
(お天気お姉さんの嘘つき……)
図書館の窓から土砂降りの外を見て、がっくりと項垂れる。
天気予報を信じ、傘を持たずに出てきてしまった。今日は好天に恵まれるでしょう、とにっこり笑っていたお天気お姉さんが恨めしい。
図書館から最寄りの駅まで徒歩20分。走ったとしても、この雨ではずぶ濡れだろう。いくら夏とはいえ、さすがに濡れたままでは風邪を引いてしまう。どうしたものか、と思考を巡らせるが、残念ながらいい考えは浮かばない。雨が止むまで待つしかなさそうだ。
ため息をつき、書きかけのレポートに目を落としたとき、ふと手元が陰った。
「――遠山さん。」
柔らかな声に誘われるように顔を上げる。声の主は、私と目が合うとにこりと微笑み、正面の椅子に腰掛けた。
「常盤くん。」
「ひどい雨だ。これじゃ、帰れないね。」
「……そうだね。」
「ね、遠山さん。」
目の前の彼から視線を外しレポートを書く私に、彼はそっと手を伸ばす。手の甲に触れたひやりとした指先に、思わず体が強張った。
重ねられた手に力が込められる。
「こっち、見てよ。」
甘く強請られ、堪えきれずに彼を見た。視線が交わり、彼は笑う。そして、ゆっくりと身を乗り出し、私の唇を奪った。
常盤康介と私の関係は、曖昧で変なものだ。友人でも、恋人でもない。連絡先も知らない。それなのに――キスだけはする。友人にも誰にも言えない秘密の関係は、高校時代から続いていた。
私たちに接点はほとんどなく、学内でたまにすれ違うだけ。そのときはまるで私なんて眼中にないとでも言うように知らない顔をするのに、周囲に誰もいないときには必ず声をかけてくる。彼は当たり前のように私の手を握り、そっと唇を寄せる。
きっかけなんて忘れてしまった。名前を呼ばれたら拒めなくて、私はいつも受け入れてしまう。訳も分からずにキスされて、傷つかないはずがない。でも理由を問えば、必ず何かが変わってしまう。それが怖くて、聞けないでいる。
――もうずっと前から、彼が好きだった。
自覚した思いには、蓋をすることにした。彼との関係は、大学を卒業すれば終わる。ずるくても傷ついても、今、彼との繋がりがなくなってしまうのは嫌だった。
「ゼミの研究室から、この席が見えるんだ。」
彼の言葉に意識が浮上する。何の話だろう。
彼は窓の外に顔を向けたまま、静かに口を開いた。
「君は、俺のこと好きなんじゃなかったの?」
「え、」
唐突すぎる言葉に絶句する。頭が真っ白になって言葉が出てこない私に、彼は尚も畳みかけてくる。
「この前見たんだ。遠山さん、あの男、誰?」
「あの男?」
「一緒にいただろ。馴れ馴れしく君に顔を近づけてた。」
「――ああ、あれは同じ学部の人で、課題が終わらないからって見せてあげてて……。」
彼が見たという日のことを思い出す。ちょうどあの頃、学生から恐れられている教授が出した課題の提出期限が迫っていた。同じゼミの男子学生から頼み込まれ、アイスを奢ってもらうことを条件に、参考資料や文献を見せていたのだ。
「ただ同じ学部っていうだけなのに、あんな風に顔を寄せ合ってたの?」
何だろう、この感じ。まるで浮気を問い詰められているみたいだ。訳が分からないと顔に出ていたのだろう。彼は顔をしかめる。初めて見る表情だ。
「常盤くん、あの、」
「君がいなくなるのは嫌だ。」
聞き間違いかと思ったが、そうではないらしい。彼は窓から視線を外し、今度は私をじっと見つめる。目を逸らすことは許さない――そう言われているようだった。
「俺が知らないところで、君が笑っているのが嫌だ。君が他の男に笑いかけるのも気に入らない。」
「…………。」
「遠山さん、――ヒカリ。」
彼の強い瞳に捕らえられ、目眩がしそうだ。
「ずっと、好きだった。」
いつの間にか、雨は上がっていた。