後編
712、新しい『名』をシスターから貰った少年の彼。ワンツーは、年、セブンは神の子になったのが、夏からだと、2411、11歳の時に、ここに来たという馴染みの彼女に、そう教えて貰った。
「私はクリスマスイブの日に……吹き飛ばされちゃった、教会で聖歌を歌ってた時に、パパとママが来なかったの、遅れて来るかなって思ってたら……ね」
そのままここに来た。年が明けて12になったの、同じ年になるねと、屈託なく話す少女。
「イブって呼んでいい?」
「うん、何でもいい、君のことはどう呼ぶ?」
「うーん……足したら10になるから、Teneでいい、当て字だけど……セブンとも近いし……」
番号みたいな名前に慣れなかった彼は、そう答えた。
少人数だが、幾人か同じ年頃の子供がいる中で、二人は波長があったのか、直ぐに仲良くなった。やがて訓練の上でもパートナーとなる二人。学園と呼ばれる、広大な敷地の宿舎で、様々な事を学び過ごした日々。
「清らかなる天使の子らよ、聖母の御裁きの為に地に降りし子らよ」
学園の訓示の一節、このあと手に剣を取り、悪しきものを滅せよと続く。朝晩の礼拝の時に述べた言葉。
無垢なままに、知らぬままに、全てを知りたければ、清らかなる力を手に入れよと言われ、ただひたすら、覚えて行く様に要求された、数々の手法と手段。
一度教えた事に対しての質問は無い、厳格なる決まりがあった。疑問を呈するのは許さない……。込み上げるソレを、学ぶ者は皆飲み込む。赤銅色の鉄を飲み込む様な、熱持つ痛みが胸に残り、ここに集う子らの身体を蝕む。
「ね、知ってる?『816《エイトワンシックス》』が起きなくなったから、地下のお部屋に変わるんだって」
2411が、朝食のパンにビーフパティを塗り、添えられているレタスを挟み、ぱくんと口に運びながら話す。
「へえ……、授業免除だよね、いいなぁ」
覚える事が、果てしない極みを求められいる、712は、スクランブルエッグに、ケチャップをかけ回しつつ答える。
「えー、私はやだな、だってお勉強しないと、ご飯食べられない、出来が悪いと食事減らされるもん、そんなの、や!」
甘いミルクがかけられた苺に、フォークを突き刺す彼女。ミルクがジワリと果肉から滲み出る赤に染まる。
「まっ、そうだな、食うことだけが楽しみな訳だし……レベルは落としたく無い、俺もな」
周りの皆とは、格段に違う食事を取っている二人。ため息をつき、震え突っ伏している者もいる。羨ましげに豪華な食事を眺めている者もいる。
蒼白な顔をし、無理に食べようと頑張っている姿もある。年かさになるほど、二人と同じメニーを、満足そうに食している者達が、僅かにいる。そんな食堂の光景……。
そして……、話に出たエイトの姿は、それっきり出てこなくなった。
……、時は瞬く間に過ぎていく……。一人二人と仲間が欠ける。試練と称した進級試験に合格をしない、それか己に閉じこもってしまった為に、良心の呵責に苛まれ、眠れ過ごせば思考も動きも鈍る。生き延びる事が出来るのはほんの一握り、学園での日々。
命は大切に、そう言われ育った今までの常識が粉々に割れる。魂に突き刺さる、苛まれ眠れぬ夜が続くのは誰しも通る道。
『ひとつを大切にし、百を千を万を見殺しにするのか』
シスター達の厳しい叱責。そして、子供らは平和だった時を求める。与えられているパソコンを立ち上げる。あるいは手渡されたフォトを広げる、記憶の幸せに縋る為に。
712も例外ではなかった。パソコンの映像を、もう少し、もう少し……生きていた姿を食い入る様に見つめ続けた。
話をしている二人、手に取る様に実感が湧く、かつて一緒に座ったその場所の。風を感じる、街の音が耳に蘇る、花の色木の葉の色が目に広がる。
そうして息を殺して眺めていると……飛び散り消える。衝撃が彼を襲う、机の上に突っ伏して拳を握りしめ、唇を噛む。血の味が口いっぱいに広がる。
肉片と液体、両親から与えられた存在、二つ絡まり創られている己の血と肉。込み上げる嘔吐、飲み込む、疑問も……何もかも飲み込み、生きる力に変え過ごした。
やがて……許可がおりた。
映像を最後まで見ても懐かしさを感じている、そんな心に変わった頃。それは彼女も同じと笑っていた。
「最後の時?私は……、記憶よ、私が確認をしたの、それとシスター達が拾ってきてくれたの、焼かれた家の跡からね、埋もれていたって、生きてた頃の焦げた数枚のフォト、私は……、目を閉じたら集められていた山の中の、パパの腕が見える。腕時計がパパのだった……ママの左手が見える、結婚指輪に、私がクリスマスプレゼントにした、手作りのビーズの指輪があったから……」
誰にも話したことが無いそれまでの事を、月の光が差し込む部屋で横になり、何方ともなく始まり、徒然に会話を交わした。
「712はどっちが好み?」
『2411』はそう聞く。規定の年齢、そして技と知識を習得した年、ここを出る前夜に、仕来り通りに夜を共に過ごした彼女。今では名に相応しい、美しい肢体を持つ女性に育っていた。
「接近戦かな……ナイフなり小銃の方が好みかな」
「狙撃手なのに?おかしいの」
シーツにくるまり、くすくすと笑う彼女、額を合わせて彼も笑った。初めての夜、名を変えてから初めて心から笑った夜。
そして……太陽が昇る。卒業式を済ませた二人は、ここで覚え磨いた御技を行使する為に、外界へと降り立った。
――、聖母が命を下す、悪しき者達から、囚われた子らの開放をと……。
「ふ……、今となればあの人形のコと、俺とたいして違いはないか……でも俺達は、大人にならないと外には出れない、課せられる事もなかったな」
そう呟き飲干そうとした時、携帯に再び着信音、メールが入ったらしい。立ち上がりソファーベッドの上のそれをスクロール、ブルーライトの光の画面を開いて見る。
『昔、昔ねぼすけハンスがいました、彼はいつもならお昼近くまで、グースカ眠っているのです。でもある満月の夜、明日は早起きして、隣町迄行こうと早寝をする事にしました。
ハンスはおかみさんに、朝いちばん鳥が鳴いたら、直ぐ出かけるから、起こすようにと話しました、おかみさんは言われたとおりに、夜明け前にハンスを家から送り出しました、ハンスは早くに家を出て、寂しかったので途中、歌うたいの小鳥の家へとよりました。
眠れぬ夜には、おとぎ話をお聞きなさい』
シスターからのメッセージ、それを読み込む男。
「ふ、ん……、夕に出立ってたのに、朝イチか……ならばそろそろ行かなくちゃ」
グラスはそのままに立ち上がる。シャワーを浴びて、着替えをしなければならない。浴室へ姿を消した。
「早朝ならば……サラリーマンがいいか、場所の代わりは無い、愛人の部屋に寄るのかよ、馬鹿だな……女連れて行くなよな」
まっ、天国迄、一緒に逝くように取り計らってやるか……。ありふれたスーツで支度を済ませ、髪を整えると、量販品のビジネスバッグを手にする。
……向かいのマンション、用意はしてある。後は。
床に置いたままの、飲みかけのグラスを手に取ると、ぬるくなったそれを飲み干した。床の上の月の光は、淡くなり消えている。
最後の水に乗り、指輪が入ってきた。口の中がほんのり鉄味を帯びる。それはかつて、唇を噛み締め味わった時のそれに似ている。
両親は、肉片と液体に姿を変えて逝った。己の中には二人のそれらが重なり、絡まり混じり合い、生命の構築を成している。
『ご両親は逃げ出そうとする人々に、手を差し出されていたのです。尊き御方々でした』
嘘が真か……わからない。両親の職業など、気にした事などなかった。もう少し大きくなれば……知っていたかもしれない、しかしそれは叶わぬ夢。
口の中のソレを手のひらの上に、とぅるんと吐き出す。しばらく眺めてから、床の上に置いているブルーのグラスに近づくとしゃがみ込み、静かに、丁重に水の中に落とす。
とぷん、チャポ………底に沈む二つの指輪。
『ここは……どこなのだ、君はどう思う?僕達は何を目指しているのだろう、自分が神様に助けて貰いたいのに、そんな僕が神の子として戦える事なんて出来ない』
同じ教室で学んだ名前も忘れたクラスメートが、そんな情けない事を話してたな、ブルーの色は、彼の瞳の色に似ていた。首に下げている銀の鎖を外す男。
グラスの側にチャリと音立てる聖母の御印。仕事の邪魔になるものは、外し置いていくのが彼の決まり。
「大丈夫、生きて帰って来るから、2411と約束もあるし、ね」
そう言葉を残すと、男はエアコンをそのままに、窓の隙間もそのままに、がらんどうの部屋から、するりと出て行った。
部屋の床の上にはブルーのグラス。月光を浴びた水がヨンブンイチ満たされている。カーテンの隙間から、時が経てば日の光か入ってくるだろう。
キラキラと陽射しを浴び、ヨンブンイチに、細かな気泡が産まれるのは……
きっと、男が部屋に戻る時刻になるだろう。
終。




