第61話 記憶からいなくなった者達
オレ達はかなりの不安と、一縷の望みを抱きながらブラッドローズの家に向かっている。
「ルナちゃん……大丈夫?」
「……大丈夫ではないのです。でも、ミルファちゃんとレイジくんがついて来てくれるのでまだ何とか……なのです。」
ルナの声は震えていて、その不安が伝わってくる。
ギルドの受付嬢の様子を見ても、確実にオレ達は忘れ去られている。
それを理解しながらも、万に一つの可能性に掛けて家に帰ってみる。
「此処なの?」
「はいです。今までは此処に住んでいたのです。でももう……。」
ルナはミルファと並び玄関をノックする。
「はーい。ん?ミルファ…だっけ?ロードウインズの。どうしたの?此方は……友達?」
出てきたのはディルに気があるレイだった。
だが、その反応は……明らかにルナの事は知らない様子だ。
「あの、ウチ……ルナです。分からないです?」
意を決し、自ら確認しに行くルナ。
「えーと、初めまして……じゃないかな?それともメンバーの誰かの知り合いかな?ちょっと待ってて。」
レイはそう言うと、他のメンバーを呼びに家の中へと戻っていく。
ルナは悲しげな表情を浮かべたまま、俯いてしまっている。
間もなくレイは、ソニアを筆頭としたブラッドローズ全員を連れて戻ってきた。
「この子なんですが、誰かの知り合いかと思って……。」
レイがブラッドローズ全員に説明していくが、誰もが首を傾げ知らない素振りを見せている。
いや、記憶に無いのだから本当に知らないのだろう。
その現実をまざまざと見せられてしまった。
「ミルファ、この子は貴女の知り合い?あら?背後に可愛い男の子もいるじゃない。
それで、どうしたの?ウチに用があって来たんじゃないの?」
ソニアの口ぶりで確定した。
オレの事も完全に記憶から消されてしまっているようだ。
「ソニア姉さま……ウチはルナです。分からないです?姉さま!」
ルナはソニアの手を取り、必死に訴えている。だが、
「ごめんなさい。私には貴女のことが分からないわ。以前何処かでお会いした事があるのでしょうけど。
折角訪ねてくださったのに、ごめんなさいね。」
ソニアのこの言葉を聞き、ルナは絶望に打ちひしがれてしまい走って逃げ出してしまった。
本当に忘れ去られてしまっていた。
ルナは記憶から自分が消えているなどとは、心では信用していなかった。
しかし、現実は残酷だった。今この世の中でルナを知る者はレイジとミルファだけなのだ。
オレはルナを追いかけた。
自分に何か出来るとも思わない。だがほっとく訳にもいかない。
今のルナの姿は、この後自分にも訪れるであろう事を理解しているが故にほっとく訳にはいかなかった。
一方でミルファはソニアと話していた。
「あの子がウチの?そんな事ある訳ないでしょう。今使ってる部屋だって……待って、まさか?」
ソニアは途中で何か気になる事を思い出したようだ。
「ミルファ、ちょっと入ってもらっていいかしら?見て欲しい部屋があるの。」
そう言われ、ミルファはソニアの後をついていく。
「この部屋。今日の夕刻前くらいから誰の部屋か分からなくなってしまったの。見てもらっていい?」
ミルファはそっと部屋の扉を開け入っていく。
小さなテーブルと布団だけが置かれた部屋。
特別ルナの物だと分かる物も置かれていない。
クローゼットを開けてみると、数枚の衣類が架けられていたが、それ以外は何も見当たらない。
「私には分かりませんが、皆さんが誰の部屋か分からないなら間違いなくルナちゃんの部屋なんだと思います。」
「そう。おかしな事もあるんだね。皆の記憶から一斉にその子の記憶だけが無くなるなんて。
そういえば、昔ディルにも言われた事があったっけ?
どうしてお前らは記憶が無いんだ。って。もしかしたら同じ事が起きてたのかしら……。」
ミルファはそれを聞き、動揺しながらも詳しく説明を求めた。
そして確信を得る。ディルも皆が記憶を無くしながら一人だけ覚えてる事がある。
即ち、あのフギンとムニンに会ってるという事。
ミルファは衣類だけを受け取り急いで二人を追っていった。
オレはルナに追いつき、捕まえていた。
掛ける言葉などは持ち合わせていない。それでもほっとく訳にはいかなかった。
「……ウチ、これからどうすればいいのです?もうウチの事を知ってる人も帰る場所も無いのです……。
どうやって生きていけばいいのです……。」
「……一緒にやってくか?多分オレも皆に忘れ去られてるはずだからな。
ミルファは問題ないからロードウインズに残るかもしれないけどな。
あ!とりあえずロードウインズで暮らせないか聞いてみるか!
オレ達が一緒なら不安も無いだろう?」
「グズっ、レイジくんはそれでいいのです?」
「……一応この後家に帰って聞いてみてだけどな。間違いなくオレも忘れられてるからどうなるか分からないけど。」
既に覚悟が決まったからなのか、不思議とあれだけあった不安は全く無くなっていた。
寧ろ、ミルファの今後を心配する気持ちの方が大きくなっている。
「レイジさーん!どこですかー!」
オレ達を探してるミルファの声が聞こえてきた。
「ミルファが探してる。行こう。」
ルナの手を取り、共にミルファの声がする方へ歩き出した。
ミルファと合流し、次はオレ達の家へと向かうのだが、ミルファから驚きの言葉が発せられた。
ディルが同じ体験をしている。
この事実はオレ達にとって希望になるかもしれない。
それを確かめる為にもオレ達は家へと急いだ。
オレ達が居た場所から家までは目と鼻の先だった。
いざ家の前に立つと、流石に少し恐怖を感じている。
オレはミルファの隣に立ち、共に家へと入っていった。
「お!ミルファ、帰ったか。ん?なんだ?男連れてきたのかー!
よう、俺はエイル。ミルファの……保護者ってやつだな。」
やはりエイルはオレの事を全く覚えてはいないようだ。
覚悟していたとは言え、やはり辛い。
「初めまして。レイジって言います。よろしくお願いします。」
オレは精一杯何も無かったように振舞う。
ここで騒ぎを起こしてもミルファの印象が悪くなるだけだ。
「レイジさん、何言ってるんですか?初めましてじゃないでしょう?
エイルさん、レイジさんは今朝まで一緒に暮らしていた家族ですよ。
冗談でも忘れちゃダメじゃないですか。思い出してください。」
「はあ?今朝まで一緒に?ミルファ、何言ってるんだ?この家には俺とマリー、ディルとお前の四人で暮らしてるんだろう?帰ってくるなり寝ぼけてるのか?」
エイルはミルファが可笑しな事を言ってるとしか思っていない。
しかし、これにディルだけは反応した。
「俺達は忘れて、ミルファだけが覚えている…?まさか?
ミルファ!お前らもしかして黒い羽の生えた二人の子供に会ったか?」
ディルは覚えている。サフィアに関する記憶を皆から奪ったあの二人の正体を。
「は、はい。やはりソニアさんの言った通り、ディルさんは知ってるんですね?」
「ソニアが?あ、ああ。では俺達は一緒に暮らしていたその男の事を、完全に忘れてしまったって事だんだな?」
ディルは確信を持ったように聞いてくる。
「あの二人組はフギンとムニン。戦神オーディンに付き従う、思考と記憶を司る者だ。」
「あ!シームルグ様もそう言ってました。神の力を行使した技でやられたとか……。」
「ああ、かつて俺の大切な者もそれを受けて皆の記憶から無き者にされてしまった。
一緒にいた俺とパウロだけが彼女の事を覚えている事が出来た。
結局彼女は殺されてしまったがな。
エイル、マリー、ソニアも一緒に遊んでいた仲間だったが、その記憶に彼女の事は一切無かったよ。」
ディルにとっても辛い過去なのだろう。
だからこそ、ミルファの気持ちは痛いほど分かるはずだ。
「あの時、サフィアの事を忘れた全ての者を憎んだが、ホントに記憶に無いもんだな。
レイジと言ったか?申し訳ないが全く思い出せないんだ。
今ではあの時のエイル達の気持ちも分かるし、今のミルファの気持ちも分かる。
皮肉なもんだな。あれだけ忘れた者達を罵倒してた俺が忘れる立場になるなんて……。」
「ディルさん、今回忘れ去られたのはオレだけじゃないんです。」
オレがそう言うと、玄関よりルナが入ってきた。
勿論オレとミルファ以外は誰か分からずにいる。
「彼女はルナと言って、ソニアさんのトコに居た子です。
今回オレと共に皆に忘れられてしまいました。
オレはいいとして、彼女を保護してもらえませんか?」
先ずはルナを最優先で考えた。
最悪オレは金があるからどうとでもなる。
しかしルナはそうはいかないだろう。
それを踏まえての相談だった。
「うーん、悪いんだけど、ちょっと信じられないんだよな。
ディルとミルファを信用しない訳じゃないけど、ちょっと怪しすぎるんだよな。」
「エイル!俺はこいつらを信じるぞ!しかも探し求めてた相手、フギンとムニンが自分から出てきたんだ。
チャンス以外何でもないからな。」
エイルとディルは喧嘩まではいかないが、揉め出してしまった。
多分簡単にはいかなそうだ。
「二人共落ち着いて!ミルファちゃん、私達もいきなりだから頭も気持ちも整理出来てないの。
少し時間を貰っていい?」
「は、はい……。」
マリーの言う事は最もだろう。
いきなりお前の記憶は間違ってると言われても、はい、そうですか。というヤツなんている訳がない。
そして、この雰囲気でこの家に居続ける訳にもいかなそうだ。
少なくても、今日は宿に泊まった方が良いだろう。
この後の話で、明日ギルドで今後の対応をどうするか話し合うという事で、今日は解散となった。
オレは宿に泊まるために家を出ていく事にした。
ルナはミルファと此処で今夜は過ごすように言ったのだが、オレが行くならウチも行くと言って聞かない。
更には便乗するように、ミルファまでもついていくと言い出したのだ。
これも話し合っても平行線のままなので、結局三人で宿へと向かう事になった。




